交通事由での遅刻と自己管理能力は無関係ですよね!


『明日は大陸からの強い寒波の影響で、平地でも15センチほどの積雪が予想されます。関東首都圏を中心に交通機関の乱れが予想され――』
「めっずらし、明日大雪だってよ!」
「えー!?雪!?珍しいねえ!!」
「梅雨ちゃん大丈夫なんかな!?」
「心配ですわね……私声を掛けて来ますわ」

葉隠と切島が天気予報に燥ぐるのをきっかけに話が広がっていく。少し離れたキッチンにもその声が聞こえて来て、道理で、と内心で頷いた。寒い寒いと思っていたら明日は雪らしい。寒い日はこれまでにも数日はあったが、雪が降るという予報は今年初だ。

前世は大都市圏内住まい、電車通勤だったうえに、そこまでリモートワークが推奨されていた会社でもなかった。そのせいか、大雪と聞くと憂鬱になる。
原因は公共交通機関のダイヤ乱れやらスリップやら荷物遅延と様々。だが最も悪いのは、遅延すると分かっているのに出社させようとする会社である。何度無駄だと思ったことか。

時間通りに出社出来ないと分かっているくせにどうして「社会人たるものダイヤ乱れに備えてリカバリーできるよう行動すべき」などと言うのか甚だ疑問でしょうがない。自然災害に等しい交通麻痺なんだからどうにもならないだろうが。
そう内心で不満を言いつつ、申し訳なさそうな文面でメールを送った後、電車が動くまで諦めて駅ナカのカフェでコーヒーを飲んでいたのはいい思い出である。社畜を眺めて啜るコーヒーの旨さたるや。まあ、有休を取得しない時点で同じ穴の狢なのかもしれない。

そういうわけで雪と聞くと色んな思い出が甦って憂鬱になる。学生の身分ではあるがインターン期間中だ。場合によっては現場に出ないといけないかもしれない。無論、それを承知でこの職を選んだが、それでもいつも以上に仕事に追われそうだな、とため息が零れそうになった。

「苗字〜、皿出してくんね〜?」
「はいはい、ちょっと待ってね上鳴」

味噌汁をかき回している上鳴に返事をして食器棚に向かった。人数分のお椀を棚から出しつつ、聞こえてくる共有スペースの声に耳を傾ける。テレビはしきりに雪上での歩き方や事故への注意喚起を大仰に伝えていた。ぼうっとそれを聞き流しながらお椀を数えていく。

積雪15センチならどういう世界になるか知っている。新雪だ。辺りは一面真っ白になるだろう。それでも1日で30センチ以上積もることに比べればマシだ。
雪の世界では音はいつもより遠く感じて、吹き付ける風の音だけが空を埋め尽くすように木霊している。打ち付ける雪が頬を叩く。痛みがじんわりと頬に広がっていくのは最初のうちだけだ。風に晒される場所から感覚が消えていく。その場で立てと言われているうちに感覚が消えて、それで――

「――、苗字」

ふいに思考を強制的に終わらせる声に思わず息を呑んだ。
声の主の方に弾かれたように視線を向ければ、驚いた表情の轟がすぐ傍に立っていた。どうやら呼ばれていたのに気づかなかったらしい。

「……大丈夫か?何回か声掛けたんだが」
「あー……、ちょっとぼーっとしてた。邪魔だよね、ごめん」

思考が完全に別のところに飛んでいた。傍にいる轟の手にも皿が乗っているから目的は同じだろうことは想像が出来た。遠くで青山が轟を急かしているのが聞こえる。

食事当番に組み込まれても、轟は調理よりも準備や味見係に任命されることが多い。轟の包丁さばきは一部メンバーをハラハラさせるので出禁、というのが今のところ暗黙の了解である。
ちなみに爆豪はメンバーによっては盛大にキレるので、今のところ同じグループに轟と緑谷と組ませないのも同様だ。食事くらいは平穏でいたい。

ひとまず意識を飛ばしていただけで別に体調が悪い訳ではない。梅雨ちゃんの冬眠問題の方がよほど深刻だろう。
轟の火であっためてあげればいいのでは。無理か、火災報知器が鳴る。
そんなことを思っていても、何か言いたげな轟の表情は変わらない。まだ何かあるんだろうか、と首を傾げれば口を尖らせた轟が煮え切らない口ぶりで声を零した。

「――いや、大丈夫ならいいんだ。……ただ、」
「苗字ー!ちょい味見してくんね〜!?わかんなくなっちゃった!」
「はいはーい!じゃ、なんかあったら言ってね」

上鳴からの声に返事をしてキッチンへ向かう。轟は何かあれば言ってくるだろう。

あいにくと私も料理はそこまで好きじゃない側の人間だ。前世じゃ仕事が忙しくて作っている時間がなかったので、コンビニ、ファーストフード、惣菜コーナーに大変お世話になっていた。
そもそも自分だけで食べるのと他人に振る舞うのはハードルが段違いであるので避けたい。まあ、寮での共同生活な以上、スーパーの企業努力に依存するわけにいかないので妥協は必要だが。ちなみに包丁はそれなりに使える。ただし千切りが苦手。轟よりはマシなことは言わせてもらいたい。

結局、その日、轟からは何もなかった。





翌日は予想通り、一面の白銀の世界が広がっていた。
インターン組は現場への要請があるかと思ったが、想定通り公共交通機関が軒並み死んでいることもあって、A組のほとんどが久々の休日となっていた。
かく言う私も休みなのでコーヒーでも飲みながら新聞でも、と共有スペースに降りると既に数人の雪と戯れている声が聞こえて来た。窓の外では雪合戦が行われている。珍しい、常闇が全力だ。

流石にはしゃぎすぎでは、と思ったが彼らはまだ高校1年生だ。降雪自体が珍しい地方である。しょうがないか、と思って遊ぶ姿を横目にキッチンへ足を向けると、先客の轟が鍋でお湯を沸かしていた。ポッドのお湯が無くなっているからお湯を沸かすのはわかるが、ヤカンを使わないのだろうか。

「おはよう轟」
「おはよう、苗字。大丈夫か?」

またこれだ。轟から聞かれる大丈夫か、が何を指しているのかまったく分からない。
少なくとも体調が悪いわけではないんだが、と思っているとその表情が表に出ていたのか、やっぱり無理しているのか、と心配された。

轟の天然は時々事故を起こす。轟の姉と兄と遭遇したときもそうだった。認識齟齬による人身事故は勘弁したい。
その『大丈夫か』はどういう意味なんだと聞けば、すこし言いづらそうに口ごもった轟がふと鍋に視線を落とした。ガスの青い炎が揺れる。

「雪だろ、今日……辛いこと思い出してねえか?」

その言葉に思わず面食らったのはしょうがないだろう。まさかその言葉を掛けられると思わなくて言葉に詰まった。かち、とガスコンロのつまみを回すと青い炎が消える。火を止めると同時に鍋から湯気が立ち上った。とっくにお湯は沸いていたらしい。
お湯いるか、と言われてそのままマグカップを渡す。轟は急須でお茶を入れるらしい。カチャ、と陶器の蓋をずらす音がキッチンに転がる。

「俺も、しばらくはヤカンの音が怖くて台所に行けなかった。苗字も同じじゃねえかと思ったんだが……」

轟に何があったかは知っている。轟の母が轟にしたことも。轟の顔に残る火傷の痕が、どれだけ心に深い傷を残したのかも。

体に負った傷は個性や薬で比較的簡単に治る時代だ。けれど心まではそう簡単に治らない。所謂トラウマとして残った傷は時々平穏な生活に、水滴のように黒い影を落とすことを私は知っている。意識しなくても体が拒否してしまうことも。

それが轟にとっては煮えたぎるお湯で、私にとっては雪だ。だから、轟は昨日からずっと私に問いかけていたのだ。私自身気付かなかった僅かな心の変化を、轟は敏感に感じ取っていた。

デリケートなところだ。踏み込み過ぎず、突き放しすぎない距離感はとても難しい。傷を負った人だからわかる繊細な心配りだと思う。口調も表情も硬いし、言葉も足りているとは思えないけれど、分かってしまえばその優しさが言葉の端から伝わって来た。
轟らしい不器用な優しさに思わず口元が緩んだ。

「ーーありがとう、大丈夫……って自信持っては言えないけど。駄目だったらちゃんと言うから」
「ああ、そうしてくれ。――言っただろ、助けてえって」

そう言って轟はふっ、と笑みを零した。
ゆるゆると口角の上がった表情はまだ目が覚めて浅いからか、休日だからかいつもよりも柔らかく感じられた。自分だけに向けられた安心しきった笑みに心臓が変な音を立てた。

くそ!!顔がいい!!

ぐ、と唇を噛みしめて感情が昂るのをなんとか抑える。
恋愛感情とかそういうのとは全く別のベクトルではあるが、顔が良いというのはやはりどう足掻いても何かに刺さってしまう。ルッキズム至上主義というわけじゃないが、前世思春期の憧れをイケメン俳優で培われているのだ。どうにも避けられない。

いや別に轟にドキッとしているわけじゃなくてその顔の良さが覿面なだけで邪な気持ちは――!

誰もいないのに誰かに言い訳をしたい気分だった。何か言わないと変な空気になりそう、と内心で焦り始めた瞬間、寮の玄関が開かれて冷気が入って来た。どやどやと数人が玄関に流れ込んで来てにわかに騒がしくなった。

「おーい!轟、苗字!爆豪倒すの手伝ってくれよ!!」
「爆豪、単純につえーんだよなあ、全部爆破しちまうし」
「名前の個性で爆豪の雪玉全部分解しよ!」

三奈や瀬呂、砂藤が早く、と急かす。いつの間にかクラスを半分に分けて雪合戦大会をすることになったらしい。参加していないA組は私と轟だになっていた。意外なことに、梅雨ちゃんも完全防備して審判役で雪合戦を見守っているそうだ。
参加するとは言っていないんだけど、と思いつつも授業で見せる顔とは違う学生らしい表情を見て、まだ湯気の立ち上るマグカップを空いたスペースに置く。それだけで分かったらしい轟が三奈たちに返事を返した。

「コート、取りに行くか」
「うん、待ってるらしいからね」
「寒ィから温かくしとけ」
「はいはい」
「カイロいるか?」
「親じゃないんだから」

思わず苦笑が零れた。変わらないように見える表情の奥に、少しばかりの心配が残っているのが見える。こそばゆいほどの優しい心配りを感じれば、零れた笑みからは自然と苦さが消えた。

「でも、ありがとうね、轟」

そう伝えれば、轟も同じように笑った。じんわりと広がっていく温かさが心臓の奥へ浸透していく気がした。エレベーターに乗り込んで、一度別れを告げる。廊下はシン、と静まり返っていた。廊下の窓からに見える桜の木に、雪が積もっているのが見えた。

――雪が嫌いだった。静かに、無慈悲に、すべてを飲み込んでいく白いうねりが、嫌いだった。

何もかも奪われていくような、あの虚無感は未だに私の中に暗く居座っている。
この白いうねりを何も思わない日は一生来ないだろう。それでも、この笑顔が、この心配りがあれば。少しだけ、悪くなくなるかもしれない。そんな予感がした。

そうやって、私たちは残った傷を笑える日が来るのを待つしかないのだ。冬が終わって春が来るように、この記憶がいつかやわらかな温もりで満たされる日を、待つしかないのだ。

早く。寒くて暗い、冬が終わればいい。――そう願わずにはいられなかった。




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