次の花が咲くだけのこと


火事で自分の家が燃えた。
まあ、珍しいけど無くはない。ついでに見知らぬ誰かに連れ去られた。少し殴られただけで特になにもされなかったけど。これもまあ、あり得る話だと思う。

借金のある私にとっては、正直そろそろ体験してもおかしくないかなとは思っていた。家が燃えるのも、拉致されて脅されるのも。正直殺されるとか臓器を売るとかまで考えていたから、五体満足でいることが不思議なくらい。
何かしらの悲劇は予想していた。まあでも、ここは、この展開は完全に私の予想外。

「ひえ……六本木のおうちすごい……」
「名前、震えすぎなんだけど、大丈夫か?」
「だいじょばないです……」

セキュリティにつぐセキュリティ。エレベーターは見たことない数字を表示してるし、そもそも私の知っているエレベーターはボタンを押さないと動かないはずなんだけど。なんでこのエレベーター、鍵かざすだけで動くの。
それに、なんかエントランスがホテルの受付みたいになっている。え?コンシェルジュっていうの?その名前すら初めて知りました、竜胆さん。なにが言いたいのかというと。

タワーマンションこわい。お金持ちこわい。

エレベーターのボタンすら高そうに見えて挙動不審に肩をすぼませるのを、竜胆さんが楽し気に、でもちょっと心配そうに見ていた。だって!こんなお金持ち空間に連れ去られるなんて聞いてない!




家と職場が燃えた。マジか、と呆然とする私の手を引いて竜胆さんは私の家近くまで車で連れて行ってくれた。
規制線の張られた先、朝焼けの中で未だ煙を吐き出している黒い物体を見て頭を抱えた。本当に燃えている。しかもボヤだとかそんな可愛いものではなくて、本当に全焼レベルの火事だった。
床も全部燃え落ちてるから、二階にあった私の部屋は何も残っていないだろう。通帳も、印鑑も全部燃えてしまったことくらいはわかる。

職場も燃えたなら鞄もきっと燃えてしまっただろうし、スマホもどこかに行ってしまったみたいだった。つまり財布もなければお金もない。本物の無一文で、身分証明すらできない。流石にまずい。どうしよう、と血の気が引いていく。

拉致されたときよりも、今の自分には何もないということに対する恐怖が込みあがって来て、膝から力が抜けそうになるのを竜胆さんが支えてくれた。すっぽりと包みこむ体温と共に優しい言葉が降って来る。
俺がいるから心配すんな。その言葉に心臓がこそばゆくなる。気持ちを繋げたという甘い現実がじわじわと侵食してくる気がした。

どうしよう、と狼狽える私に竜胆さんは言った。ひとまず、今日は俺んちな。
言われるがまま、竜胆さんの提案にこくりと頷いて再び手を引かれてやってきたのが、六本木で二番目だか三番目に高いタワーマンション。そこの上から数えた方が早いフロアの竜胆さんのお家だった。

これまで経験したことのないお金持ちの気配に呆然とする私を、竜胆さんは無理矢理自分の家に引き入れた。兄貴と住んでるんだけど、と言われてリビングを見渡す。二人?十人の間違いではなく?
思わず真顔になった私を竜胆さんは心配した。

「大丈夫か?なんか足りねえもんある?下のヤツに買わせてくるけど」

自分で買いにいくという選択肢が存在しない。これがナチュラルボーン金持ちというやつか。

そうじゃない、とあまりに違う世界にぞっとしながら首を振る。不思議そうにする竜胆さんに手を引かれて部屋の説明を受けた。後ろについていきながら竜胆さんの横顔を見る。
拉致されて、助けだされて、竜胆さんと気持ちを繋げて、家も職場も燃えて。急にいろんなことが起きてなんだか現実味がない。なんだったらちょっと頭がふわふわしている。

今日は竜胆さんにお世話になってばかりだなと思いながらも、お風呂に入って美味しいご飯を食べている自分の図太さに思わず頭を抱えた。ちなみにお風呂は私の家の三倍くらいあった。確実に。





「あ、あの……竜胆さん……えっと、その……もう、行っちゃうんですか」

私をベッドに押し込んだ竜胆さんにそう言えば、竜胆さんは深いため息をついた。
竜胆さんの家に来たのは朝で、つまるところ私と竜胆さんは昨日からほぼ徹夜の状態だった。私は気絶していたけど、竜胆さんが夜通し私を探してくれていただろうことは流石に察した。

いろいろあったことだし、てっきり竜胆さんも寝るのかと思っていた。寝言とか言ったらどうしようとか内心焦ってたのに。
ベッドから離れていく背に思わず追い縋るような言葉を投げれば、振り向いた竜胆さんがこれでもかと渋い顔をしていた。

「名前、それは食ってくれって言ってんのとかわんねぇよ……あー、ちょっと待ってろ」
「えっ」

そんなつもりじゃ、と狼狽える私を横目に竜胆さんがスマホでどこかへ連絡を取り始めた。

「あー、三途?ああ、ソレ、俺遅れるわ。よろしく」
『あ!?てめえふざけんな!幹部がいなくてど――』

ぶちん、と音を切った竜胆さんがスマホを放った。そのまま抱き込まれるようにして二人で布団の中に入ると、竜胆さんの匂いが肺の奥にまで広がっていく。

「今日は手ェださねーけど、次はねーからな」
「次……」

私も子供じゃないので言葉の意味くらい理解は出来る。でも面と向かって言われるとなんだか恥ずかしくて、思わず布団を引き上げた。向かい合わせの、頭の下にある腕の感触と優しく頭を撫でられる感覚にほっとする。
ここが安全なのはわかっていても、まだ生々しく痛みを訴える頭が一人でいることに忌避を抱いていた。

「今日は色々あって疲れてんだろ。寝るまで居てやるから」
「う……ごめんなさい……ちょっと、まだ怖くて……」
「ん」

ぎゅ、と竜胆さんに抱き込まれて苦い煙草と品のいい香水の匂いが鼻を擽る。倉庫で震える体を抱き止めてくれた温もりを思い出して、ほっと体の力を抜いた。大丈夫、この温もりと香りは私を蹂躙するものではない。

「ごめんなさい、しゃつ、しわになっちゃう……」
「どうせこれから仕事だし構わねえよ、名前、――おやすみ」

ぼんやりしてきた頭を竜胆さんの手が優しく撫でる。とろりとしみ出してきた眠気が足の先にまで広がっていくような気がした。優しい竜胆さんの手付きが心地良い。このままずっと、撫でてほしい。

ゆめみたいだ。何も持ってなかった私が、一緒にいたいと思える人と、思いを通わせることが出来たなんて。
すぐ傍からとくとくと聞こえる優しい心音に一層の安心感を抱いて、意識を手放した。





名前が眠りに落ちたのを確かめて、竜胆はそっと笑みを落とした。どうやら飲み物に混ぜた睡眠薬はきちんと効いたらしい。
三途にはまあ色々言われるだろうが、名前が自分のベッドで無防備に眠っている姿に、喜びを噛み締めている竜胆にとっては些末事でしかない。それよりもどうやったら名前がずっとここにいてくれるかを考えなければならなかった。

名前は自立心と警戒心が強い。竜胆がなかなか一線を越えられなかったのはそのせいだ。断じて自分が怖気づいたいたからじゃない。絶対違う。

事実、それっぽい言葉を投げかけても名前はその言葉をそのままに取らない。甘い言葉を投げても自惚れることもなく、けろりとした表情で話を続ける。
一線を越えようとしない警戒心の強さと、他人に頼るどころかその手すら払いのける冷徹なまでの自立心。

ようやくそれが顔を出されない距離まで縮められたが、油断すれば名前は手を離れていくかもしれない。もう捨てられない、とまで言われたが、竜胆は名前の言葉をまだ鵜呑みに出来ていなかった。
染みついた習慣はそう簡単になくなるものではない。ましてや思い込みが強いところすらある名前だ。きちんと伝わっていない可能性すらある。

竜胆には、何かを勘違いした挙句こっそりと物件を探す名前の姿が簡単に予想ができた。
名前がそんな愚かなことをするまでに、名前にここが自分の家であると教え込まなければならない。確かめるようにその体をもう一度抱え込んだ。
自分だけでなく、蘭もここで暮らしているが、既に名前をかなり気に入っているようだし、どうせ竜胆の生活には蘭が溶け込んでいるのだ。早いうちに蘭のいる生活にも慣れて貰った方が都合がいい。

そう思いながら名前の頭を撫でてやる。巻かれた包帯の下には傷がある。間接的に竜胆が負わせた傷で、竜胆のために名前が負った傷だ。
自分のせいで名前が負った傷が、竜胆には一層いとおしく感じられた。他の男がつけたと思うと殺意しか湧かないが、この傷があるおかけで名前は竜胆のもとに転がってきたのだ。そう思うとせめて優しく殺してやろう、という慈悲まで込み上げてくる。

包帯の上に唇を落として、竜胆はそっと名前の下から腕を抜いた。これ以上は流石にやべえか。スマホの画面を見る。サイレントにしたスマホの画面には、案の定夥しい着信履歴が表示されていた。ぜんぶあのヤク中だ。うぜーと舌打ちを零す。

もう一度、今度は瞼に唇を落とす。名前が起きるまでには戻って来れるだろう。魚の餌を作るだけの簡単な仕事だ。トリップした三途のスクラップ判定はガバくなるのでもしかしたら既に餌になっているかもしれない。そうだったら全部三途に押し付けてさっさと帰ってこよう。

部屋の外に出て名前を起こさないよう、静かに寝室の鍵を回しながら、竜胆はうっそりと笑った。




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