眠れない夜にお砂糖二杯


嵐のようだった蘭さん襲来の翌日、竜胆さんがやって来た。
蘭さんから何を聞いたのか開店早々、血相を抱えて飛び込んでくるという珍しい竜胆さんの姿に思わず目を見開いた。兄貴に何もされなかったか、とやたら心配はされたけど特に何も、と言えばようやくいつも通りの竜胆さんに戻った。

確かに、蘭さんはちょっとヤバそうな雰囲気を持っているけど最終的にはにこにこしながら帰っていったし、若干のセクハラ染みた話はあったけどそもそもこんな化粧っ気もない人間をどうこうするほど女の人にも困ってなさそうだし。
そう言えば竜胆さんは難しい顔をして黙り込んだ。何かを言いたげに口をもにょもにょさせる姿はなんだか可愛らしいけれど、まあ概ねいつも通りの竜胆さんだ。そう思っていた。

今日も何が楽しいのか、私の作業をじっと見ていた竜胆さんから予想もしない誘いを受けるまでは。

「え?仕事後ですか?空いてますけど……でも夜中三時ですよ?」
「構わねぇよ。で、空いてんの?」
「それは勿論、あの、竜胆さん?」

どうぞ、と花束を渡した瞬間、竜胆さんに勤務後の予定が空いてるかと聞かれた。突然の話に思わず聞き返す。
どうせ完全夜型の人間の生活リズムだし、この界隈に遊ぶほど仲の良い友達がいる訳でもない。そんなわけでいつでもフリー。でも、竜胆さんに予定を聞かれる理由が分からなくて確かめるように名前を呼んだけど、竜胆さんはどこ吹く風だった。

出来上がった花束を見て満足そうに目を細めて、今日も品のいいジャケットからお財布を取り出した。いや、あの、竜胆さん、こっち見てください。待って、せめて手元のお金の枚数数えてください、適当にお金出さないで……!
そんな私の願いも空しく、竜胆さんは私にお金を押し付けた。

「迎えに来るからここで待ってろよ」
「わ、わかりました。お買い上げありがとうございます……待って待って竜胆さん今日は一段と多いです……!」
「待たしちまうからその分上乗せだ。受け取っとけよ」

じゃあな、と花束を担ぐようにして竜胆さんは今日もネオン煌く六本木の街に消えて行った。に、似合いすぎる。いや、それどころじゃない。どうしよう、と振り返れば店長がまたにやにやと笑っていた。見世物じゃないんですけど。





「あ、竜胆さん、お疲れさまです」
「おー、わり、名前待たせたな」

午前三時を少し過ぎたころ。六本木の明りは変わらず消えないけれど、少しずつ朝の気配が街に忍び寄っていた。一仕事終えた気配のする竜胆さんがお店に顔を覗かせると同時に、私も店の明かりを落としてシャッターを閉める。
店の外で煙草を吸っていた竜胆さんは長さが半分以上残っているにも関わらず、それを携帯灰皿に押し込んで歩き出した。

「で、あのどこに……」
「あ?約束したろ、旨いもん食わしてやるって」

前を歩いていた竜胆さんは少しだけ振り向いて、悪戯が成功した子供みたいな笑みを浮かべた。初めて見る竜胆さんの表情に心臓がぎくりと波打った。こ、これだからホストは……。いや、そんなことよりも。この間予定抑えてたの社交辞令だと思ってた……!

しかも、あの頻度で花束を買うほどお金に余裕のある竜胆さんがそこらへんのファーストフードやファミレスで済ませるわけがない。絶対高い店に決まってる。お財布の中身にある数人の野口英世と、自分の恰好に心許なさを感じて急に不安が押し寄せてきた。

う、どうしよう、こんなスニーカーとジーンズで行っても大丈夫なのかな。というか本命に勘違いされないだろうか。でも、竜胆さん本命がいるってバレないようにしてるっぽいし。いやそもそも当て馬になれるなんて自惚れすぎというか、烏滸がましいというか……!言いたいことがありすぎてもう意味が分からない……!

とにかく断った方が無難だと思って、お腹空いてない、たぶん場違い感が凄い、と付け焼き刃の理由で抗議しても竜胆さんはどこ吹く風で私の前を歩いて行く。ついには私のお腹がきゅう、と音を立てて思わず口を閉じるはめになった。
その音もばっちり聞いていたのか、竜胆の肩が堪えるように震えているのが見えて、これ以上の抗議は余計に笑われるだけだと諦める。もうどうにでもなれ。

半ばやけくそに息を深く吸い込んだら、喧騒の隙間に煙草の匂いに紛れてふわりと品のいい香りが漂ってきた。竜胆さんの、香水のにおいだろうか。お店で会うと花の匂いでわからなかったけれど、この人こんないい匂いがするんだ。

――いや、いやいや、なんだ。いいにおいって。変態か。

我に返った途端、羞恥心と罪悪感が込み上げて慌てて下を向いた。変な顔したの、見られてないといいなと思いながらその背中を追った。





竜胆さんに連れられてきた場所は六本木から少し離れた、看板のないお店だった。
本当にここですか、と首を傾げながら竜胆さんに付いて地下の入口へ向かう。元々予約していたのか、竜胆さんが何も言わなくても店の奥に通されて思わずこちらが畏まった。

静なジャズの流れる部屋にはぽつんと二人掛けの椅子とテーブルが用意されていて、なんというか、ムーディな雰囲気を醸している。
ひょえ……。個室……お上品……すごい……。貸し切りなのか、もともとそういうお店なのかはわからないけど、多分私が変に気負わないように個室にしてくれたんだろうことは想像ができた。

気遣いの鬼だな、と思いながら席につく。竜胆さん、私店員が椅子を引いてくれるようなお店初めてです。どうしたらいいかわからないんですけど……!この三角になった布ってどのタイミングで膝に掛けたらいいの!?
漂う高級感にしどろもどろになって思わず竜胆さんを見ていたら、お客様、と優しく店員に声を掛けられて長い料理の名前が告げられた。え?ば、ばるさみこ……?
俺と同じでいいか、と言ってくれた竜胆さんにとても感謝しながら話を進める。

「お客様、アレルギーや苦手なお品物などはございますか?」
「な、なんでも食べます!」

解答ミスった、と思ったときにはもう遅かった。とうとう堪えられないように竜胆さんが吹き出して盛大に肩を震わせた。くそう。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -