夜を飼い慣らした悪魔


「ヘェ、お前が竜胆のイロ?」

開店前の慌ただしい時間。店先の荷物を台車に乗せていたところに、皮肉と愉悦をかみ殺した声と言葉が頭上から文字通り降って来た。

今日は誕生日用の胡蝶蘭の注文が7件くらい入っていて、花を落とさないよう荷受けも慎重になっていたせいか、突然の声に驚いて鉢ごと落としそうになる。あ、あぶな……。
今度こそ落とさないように抱えて顔を上げると、そこにはここ数日姿を見せていない、竜胆さんと同じカラーを髪に入れた男の人が立っていた。

竜胆さんと似た顔立ちの美人というにふさわしい男の人だ。わかる、これは間違いなくホスト。もしかしたらホストを引退してクラブの運営とかしてる敏腕オーナーかもしれない。どっちにしろ、この業界の人。

聞かれた内容に答えたいけど、質問の内容が業界用語過ぎて分からない。なんて答えたらいいのかわかんなくて変な汗が出て来た。

「えっと?色?竜胆さんの?」
「マジ?完全に堅気じゃん。竜胆もよくこんな美人でもない奴にしたなぁ。な、オマエ、名前なんてーの?」

上品な雰囲気なのに口調と投げかけられる言葉は想像以上に粗野で、にこりと笑っているのにどこか冷ややかな印象と圧がある。逆らってはいけないようなそんな気にさせる笑みだ。

ひく、と口元が引き攣った。なんとなくだけど、名乗ったらまずい気がする。この人本当にあの優しい竜胆さんの知り合いなんだろうか。

「おい、聞いてんのか〜?蘭ちゃんが聞いてんだから答えろ〜?」
「は、はあ……すいませ」
「蘭坊じゃねえか。とっととこっち来い」

名乗るべきか、と口ごもる私に助け舟を出してくれたのは店長だった。姿を見せない私を不審に思ったのか、待ち合わせなのかは分からないけどとにかく助かった。ほっと肩を撫で下ろすと興味を失ったようにその人が店内に足を踏み入れて行った。

「邪魔すんなよジジイ、殺すぞ〜?」
「うるせえクソガキ。俺はあと100年生きる」
「今死ねよ」

にやにやと楽しそうに軽口を叩きあいながらバックヤードに消えて行く2人を見送る。店にはポカンとする私だけが取り残された。

え、ええー……柄わっる……。なんというか今まで見たことのないタイプのお上品に口が悪い人だ。こういう人ほんとにいるんだ……。なんて思いながらも気を取り直して荷物を店内に運んで開封する。ショーケースのバケツに花を挿しながら思った。
というか、イロってほんとに何?





「オマエ、名前っていうんだぁ?」

さっきと同じように頭の上から名前を呼ばれて思わず顔を上げた。視線の先にはしゃがんで作業する私を覗き込むようにしながら、うっすらと笑みを浮かべている先ほどの人がいた。
店長との話は終わったんだな、と同時に店長が私の名前を教えたってことは大丈夫ってことかな、と判断する。たぶん本当にヤバい人なら、店長は私の名前を教えないと思うし。そうは思いつつも直接名乗れなかったことに申し訳なさがたって頭を下げた。

「は、はい。さっきはお答えできず申し訳ありませんでした」
「いーって、つーかマジでなーんも知らねえのな〜」

竜胆もよく手ェ出したな、と言ってその人はにこにこと笑った。
なんというか、含みのある笑顔というか。若干馬鹿にされているような気がするけど、それよりも気になるのは竜胆さんとの関係だ。仕事している間に思い出した。少し前に竜胆さんから聞いていた人物像と合致する。自由奔放なお兄ちゃんの話。

「……もしかして、竜胆さんのお兄さんですか?」
「あ?知ってたんなら言えよ」
「いえ、竜胆さんからお兄さんがいるって聞いてたんですけど、雰囲気が私の想像と違ってて」
「へぇ〜、竜胆がね〜」

そう言って竜胆さんのお兄さんは目を弓なりに歪ませた。私を頭の上から下まで見て喉を鳴らすように笑みを堪える。いや、全然堪えられてないですお兄さん。
否定はしないってことはお兄さんで合ってるんだろうな。確かに髪のカラーリングと瞳の色が同じだ。性格は竜胆さんから聞いていたよりも10倍くらい奔放だけど。

そう思っていたら、なあ、と呼びかけられて視線をお兄さんに向けられる。
節くれだった指先がゆっくりと喉元に彫られた刺青をなぞった。花札のような、丘に沈んでいく夕日を模した模様。竜胆さんと同じ位置に彫られたそれよりも、隆起した男を意識させる喉仏に視線が行く。竜胆さんもこんなだったっけ。

「これ、見てもなんも思わねえ?」

囁くように問われた言葉に思わず息が詰まった。何を求められているかは分からないけれど、なんとなく背中がぞわりと粟立った気がした。

「……すいません、流行には疎くて。でも格好いいと思います」
「か、かっこいい……!ガキの感想かよ!そーだな、かっこいいよな〜」

今までの空気を霧散させて、竜胆さんのお兄さんはゲラゲラとお腹を抱えて笑った。折角褒めたのにすごく馬鹿にされた気分。そんなに流行ってるのか、そのタトゥー。うちにテレビなんていう高級品ないから流行なんてわかんないよ……。

とうとう肩まで震わせてもう駄目、と作業台を拳で叩き始めた。間違いなくこの人は竜胆さんのお兄さんだ。ツボに入ったときの反応が竜胆さんと全く同じだし。これで兄弟じゃなかったらたぶん生き別れた双子の、ってやつだと思う。

「はー、笑った。竜胆が通ってんのもわかるわ」
「竜胆さん?まあ、ご贔屓にして頂いてるのでこっちも助かってますし……」

急に出て来た竜胆さんの名前を不思議に思いながらも話を合わせれば、お兄さんの顔が分かりやすく歪んだ。わ、私なにかまずいこと言いました……?

「は〜〜?カマトトぶんじゃねえよ。そういう意味じゃねえってわかってんだろ〜?で、もう寝た?」
「寝……っ!?寝るわけないですよ!?いくらホストとはいえ、こんな花屋の店員に手を出すわけないじゃないですか!そもそも!竜胆さんにはちゃんと別の人がいるので安心してください。私と寝る、なんて言った日には叩き返しますから!」
「待って、色々待って……!」

お兄さんは知らないかもしれないけど、竜胆さんには毎日花を贈るような想い人がいるのだ。このご時世、毎日花を贈るの純粋にすごいし、素敵だし、とても誠実で私的にはすごく応援したくなる。
そんな素敵な想いを抱えているのに、一時の気の迷いで私なんかに手を出そうものなら、竜胆さんの誠実さが喪われてしまう。そんなことは私の目の黒いうちは絶対に許さない。その場合には殴ってでも正気に戻す。

そんな私の話を聞いてお兄さんは再び肩を震わせて作業台に拳を叩きつけた。あの、それお店の設備なんであんま苛めないでくれますか。そう言ってもお兄さんは「腹捩れる……!」と言って全く聞く耳を持ってはくれなかった。私そんな爆笑されるようなこと言ったつもりないんですけど、と軽く睨んでもお兄さんの笑いは止まらない。

これはもう駄目だ。ツボに入ってから長いのも竜胆さんそっくり。竜胆さんがお兄さんに似たのか、お兄さんが竜胆さんに似たのかはわからないけど、これは気が済むまで笑わないと収まらないやつ。私は竜胆さんで何度も体験しているのでこういう時の対処方法はばっちりだ。放置に限る。

きちんと笑いすぎて咽るというオチまで付けたお兄さんが息を荒くしながら話しかけて来た。あ、もう発作は収まったんですね。息整えてから喋ってください、と言えばさらに笑われた。だめだ、沸点が低くなっている。

「面白すぎんだろコレ……!あー、なぁ、名前。俺ね、竜胆のお兄ちゃん」
「お兄ちゃん……」
「そ、蘭ちゃんな。ちゃんと覚えろ〜?」

はい、呼んで、と言われてらんさん……と返す。私の呼び方が不満だったのか、竜胆さんのお兄さんである蘭さんは何度も蘭ちゃんと呼べ、と言って強制的に私に蘭ちゃんと呼ばせた。どちらかというと私が折れた。
流石にお客様に蘭ちゃんはナシなので、蘭さんの前でだけ蘭ちゃんと呼ぶことにした。竜胆さんから聞いた話とこの数十分で理解した蘭さんの性格上、ここで折れなければさらに面倒なことになる気配しかしない。

「わかりました、わかりましたから……!」
「破ったら竜胆に言っちまうからな。じゃ、またなぁ〜名前」

そう言って蘭さんはひらひらと手を振ってお店を去って行った。来るときもあっさり、帰るときはもっとあっさり。木枯らしのようにかき乱すだけかき乱して、蘭さんは真昼間の六本木に消えて行った。
人間はどうやらその気になれば嵐を呼べるらしい。新事実を噛みしめると同時に蘭さんが残していった言葉に違和感を覚える。

「ん?なんで竜胆さんが出てきたの?」

結局どれだけ考えても答えは出なかった。




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