宵闇に揺蕩う懺悔


竜胆さんと名乗ったホストさんはあれからなんとほぼ毎日お店に現れるようになった。

その度に花束をオーダーして、相変わらず労働対価に見合わない金額のチップを置いて帰っていく。お金を貰えるのはありがたいんだけど、額が大きすぎて正直意味がわからない。

やっぱホストって金銭感覚狂うんだな、と改めて界隈の恐ろしさを認識した。あまりお近づきにはなりたくないなあ、とは思うものの、ほぼ毎日現れる竜胆さんに慣れているのも事実。今では作業しながらちょっとした雑談を交えるような仲になってしまった。

最近は、仕事の片手間だった竜胆さんとのお喋りがきちんとした時間を設けられるまでに発展した。しかも店長直々に竜坊が来たから相手してやんな、と言われて作業場に押し込められてしまえば、私はもう竜胆さんの相手をするしかなかった。

そんなわけで、私の業務内容には竜胆さんとのコーヒーブレイクが追加された。もはや来店頻度が高すぎて竜胆さんが来ない日は少しだけソワソワする自分がいる。こればかりは竜胆さんの顔が良いからしょうがない。決してホストに嵌りそうとかいう訳ではなく。

「名前ー、これ差し入れ」
「あれ、竜胆さん、今日は遅いんですね」
「ん、ちょっと立て込んだ」

夜専門の花屋なだけあって営業時間は夕方から深夜になる。終電を少し過ぎたくらいから最後のお客さんが来て、気前良く花束を買っていく後姿を見送ればこのお店の仕事は終わる。竜胆さんが来る時間はまちまちだったけど、それでも出張でない限りはどんなに遅くなっても顔を見せに来て花を買って行った。もはや執念なんじゃないかと思う。

竜胆さんの花束の送り先はもしかしたら夜の蝶なのかもしれない。竜胆さんの花を買う頻度が高すぎて心配になって他のお店の常連さんそれとなく聞けば、間違いなく入れ込んでいる女がいる、と断言された。つまり竜胆さんが貢いでいる可能性が出て来た。

貢がれたホストが他の女の人に貢ぐとは、なんという経済循環だろうか。そういえば不景気という言葉はこの街で聞かないし、そんな片鱗も見当たらない。やっぱホストこわいな、と思っていた私は差し出されたケーキの箱を見てその考えを捨て去った。

「あ、これ!アランドのケーキ!」
「やっぱ女ってこういうの好きなんだな」

超が付くほどの高級で美味しいケーキ屋さんのロゴに思わず目をキラキラするのが自分でもわかる。うちみたいな古いお店はそれなりに昔から贔屓にしてくれる常連さんがいて、時期になるとお菓子をプレゼントしてくださる。店長はああ見えて甘いものが好きなので焼き菓子を頂くことは多いんだけど、ケーキを貰うのは初めてだった。しかもこんな高級店、一般庶民の私にとってテンションが下がるわけない。

「店長も甘いもの好きですよ。竜胆さんの周りに甘いもの好きな方とか沢山食べる方いません?」
「ああ……まあ、確かに」

思い当たる節があったのか、竜胆さんは若干口元を歪めた。そんな竜胆さんに苦笑してお茶請けのコーヒーを入れにバックヤードに行って準備をして帰って来ると、竜胆さんはいつもの丸椅子に座っていた。
いつも通り煙草をふかしている姿は絵になるなあ、と思いながら向かいに腰掛けてさっそくケーキの箱を開ける。真っ白なショートケーキをお皿に取り分けていただきます、とフォークを刺して口に運ぶ。ふわ、と生クリームが舌の上で溶けて行った。

「ん〜〜、おいしい……!」
「美味そうに食うな……」
「美味しいです。ケーキなんて何年ぶりか……!」

なかなか苦しい暮らしをしている私にとってケーキは贅沢の極みだ。もう何年も食べていない。
クッキーとかの日持ちするような焼き菓子は差し入れで頂くことが増えたけど、それまでお菓子自体も食べることはあまりなかったからなおさら嬉しさが募る。唇に付いたクリームを舌で舐めとれば竜胆さんがぐっと眉間に皺を寄せた。ごめんなさい、お行儀悪かったです。

倒れそうになるショートケーキを少しずつ切って口に運ぶ。大きく切るのもいいけどそうするとすぐになくなっちゃいそうだからチマチマ食べている自分に、つくづく貧乏性が身に染みているなあ、と思いつつも手は止まらない。

「竜胆さんは食べないんですか?」
「あ?あー……、まあ、俺が食う用に買ってきたわけじゃねえから」

その言葉を聞いてピタリと手が止まった。
まさか、このケーキって熱をあげている想い人に渡す予定のケーキだったんじゃないだろうか?だとしたらいつもより遅い時間に来たのも納得がいく。渡せなかったけどその人に喜んで貰いたい一心で、この行列のできるケーキ屋さんのケーキを買いにいったの?う、うそ……竜胆さん、健気すぎませんか……!

ホストってもっとチャラチャラしたイメージだったけど、こんな真っ直ぐに想ってくれてるなんて……純愛すぎてケーキ美味しいって思っていた自分がなんか欲望の塊みたいな気がしてきた……。でも美味しいケーキに罪はないのでいただきます。

「そうなんですか……。じゃあ、すいません、遠慮なく。ちょっと美味しくて止まらないです」
「そんなに腹減ってんなら、今度飯でも連れてってやるよ」

そう言って少しだけ笑った竜胆さんに思わず固まった。この人の笑った顔、初めて見た。
いつも難しそうな顔をしているからあまり顔に出ないタイプの人なんだと思っていたけど、笑うと少しだけヤンチャな雰囲気がする。やっぱホストなだけあってそういう笑顔も似合うなあ、としみじみ思った。
竜胆さんがいつも花束を渡している相手も、竜胆さんのそういうところをもっと知ってくれればいいのに。

「あー、いや、今の……!」

反応を返さない私に何を思ったのか竜胆さんが慌て始めた。いやでもホストがそんな他の女とご飯に行ってもいいんだろうか。こんな界隈で仕事をしているせいか、ホステスやキャバ嬢たちが客を取り合って揉めるなんて言う話はいくらでも聞く。竜胆さんはそういうの面倒だと思うタイプだと思ったんだけど。

そこまで考えたけど、そもそも竜胆さんほどの人が私をそういう対象に見るわけがない。いくらホストとはいえ、人類皆恋愛対象ってわけでもないだろうし。
まあ、プライベートかつ、金にもならなそうな女なら大丈夫っていう判定かな。なんにせよ、竜胆さんがこんな毎日花を渡すくらい入れ込んでいる人から誤解されなければそれでいい。なので本気がチラつくような高いお店はナシ。そもそも社交辞令だろうけど。

「貧乏なんで、あんまり高いところは行けないですけど、それでもいいなら是非」
「おう……」

どちらかというと私の懐事情が優先されたような気がしなくもない。許してね、という思いも込めてそう言えば竜胆さんはすごい勢いでスマホを弄り始めた。結局そのまま空いてる時間を抑えられて、ご飯に行くことが決まった。
あ、あれ?社交辞令じゃなかったんですかね……。





「ンだよあの顔……めちゃくちゃ笑ってんじゃん……つーか一口ちっちゃ……」

いつだったかと同じように竜胆は店を出て再び夜の六本木をぶらついた。迎えの車は少し離れた場所に止めている。そういう風に指示を出した。名前にそういう世界の片鱗を見せたくないという竜胆の意地だ。

竜胆を梵天の一員、ましてや最高幹部だとは露ほども思ってないあの笑顔を思い浮かべながら、竜胆は熱くなった体を冷ますために、六本木の空気を肺に吸い込んだ。あのやわらかな匂いはもうしなかったが、どういうわけか心臓の縁が燃えるように熱い。名前の緩んでいく顔ときらきら輝く瞳を思い返せばより一層体が熱くなって、心はゆらゆらと陽炎のように揺らめくようだった。

部下に買いに行かせたケーキを小さく切って口に運ぶ姿を見た瞬間、竜胆の腹の底に渦を巻いていた庇護欲と劣情が勢いを増した。まるで宝石を飲み込むかのように大事そうに食べる姿に、もっとうまいものを食わせてやりたくなった。名前はこれまであまりいい暮らしをしていなかったことを竜胆は早々に知っていたから尚更その想いを強く抱いた。

だからあんなあからさまな、唾棄すべき軽い男染みたことをしてしまったのだ。

しまった、と思ったときにはもう遅く、竜胆は内心で全身の血が凍ったような錯覚さえ覚えた。結局、名前が意外と乗り気だったことで冷凍庫と化すことはなかった。結果オーライではあるが、浮かれるのもほどほどにしなくては、名前にこの邪な想いがバレそうだ。
そう思った瞬間、埋まった予定に心を踊らせていた竜胆の心は急速に冷え込んでいった。スマホの画面に表示された文字はいつぞやと同じ相手だった。

「……なに、兄ちゃん」
『お〜竜胆、出んのおせーって。な、迎えに来て?』
「は!?またかよ!三途がいんじゃねえのかよ!?」
『ヤク中発揮してどっか行った〜、今鶴蝶が追っかけてる』

やっぱヤベェわアイツ、とケラケラ笑う蘭の声を聞きながら竜胆は足早に車に向かった。ひとまず面倒な三途は鶴蝶が見てくれてんなら、さっさと兄だけ回収すべきだ。ただでさえ中国マフィアから情報を引き出すのに手間取ってここに来るのが遅くなったのだ。明日もここに来るならさっさと帰って押した分の仕事を進めなければならない。

車に乗り込んで行先を伝えれば車は静かに滑り出した。今日の余韻に浸るように、竜胆は目を閉じた。ネオンが消えて春のような淡い光が、瞼の裏に広がっているような気がした。




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