夜露を欲す


深紅、薄桃、浅葱、翡翠。視線を右へ、左へ。
派手過ぎず、かといって地味過ぎない色合いの絶妙な線引きが難しい。うーんと口元が歪んで眉間に皺が寄るのが自分でも分かる。色味、印象、贈る相手の立場と伝えたい想い。頭の片隅にそれらを留めながら花を選んで、パチンと鋏で茎を切った。

日本有数の歓楽街、六本木。三丁目。
キャバクラや高級クラブの中に紛れるようにして佇む古ぼけた外観の花屋。街に溶け込みながら細く長く息をしているこの店こそ、私が勤める夜専門の花屋だった。

ここには花に特別な想いを込めて贈ろうとするお客様が多く訪れる。門出や誕生を祝う気持ちから特別な愛まで。そんな言葉だけでは足りない伝えたい想いを形にするのが私の仕事だ。

少しだけ他の花屋と違うのは、この六本木では贈る側の見栄や競争心も考えなければならないということ。美しいは当然で、目立つかどうか、見劣りしないかどうか、好みに合うかどうかが最も大切だった。
花束の絢爛さやセンスがそのままステータスになる世界で、贈るお客様と貰うお客様の両方を満足させないといけない。これがなかなかに難しい。

このお店にお世話になり始めてから三ヶ月、大きな失敗はしていないけれどまだまだ満足はいかない。

今取り掛かっている花束は、今日誕生日の夜の蝶に渡すスタンド花だ。全体的にピンクで纏めて、と言われたけど何かアクセントがないと花束自体がぼやけてしまう。何となく目に付いたバケツの中から黄色のガーベラ引き抜いて差し込む。
うーん、この色じゃないし、なんか少しだけ子供っぽいし。今回の蝶さんはシックなバッグや小物が好きみたいなのであまりよくないかもしれない。

やめよう、と花をバケツに戻してもう一度全体を見る。花束の構成を考えて今度は別の色を追加した。うん、意外と合うかもしれない。
よし、と頷いて花を挿していく。迷いながら花を選んでいた手先は先ほどとは打って変わって、花に引き寄せられるように動いていた。

ふ、と口元が自然に緩んで慌てて引き締める。お仕事中だ。あまりにやにやしていると店長に怒られちゃう。集中、と花に視線を向ければ六本木の喧騒は遠のいていった。




「おー、邪魔するぞ」
「いらっしゃいませ!数日ぶりですね、竜胆さん」
「出張で関西にな。今日はジジイいねえんだな」

名前がスタンド花作りをひと段落させて配達の準備をしていた頃、店の常連が顔を覗かせた。気付けば夕方に差し掛かる頃合い。息を潜めていた町の気配が少しずつ濃い色を増していく時間になっている。

店先に現れた数日ぶりの姿に名前は作業の手を止めて、滑りそうになる靴底に注意を払いながら出迎えた。少しばかりの挨拶ののち、竜胆は店内を見回して店長の不在を漏らした。
「すいません、私しかいなくて」と謝った名前に、「ジジイに会いに来るわけねえだろ」と竜胆が返す。蛍光灯に照らされた横顔がその名前の通り美しくて名前は内心で感嘆の息を漏らした。

流石、ホストは顔面偏差値のレベルが違う。

そう思いながら名前はこっそりと竜胆の全身を見る。いつもよりも少しだけ疲れたような様子に出張から直で来たのかな、とぼんやりしていると名前の手に紙袋が乗せられた。

「これ、土産もん。名前あんこが好きって言ってただろ」
「わあ、ありがとうございます!もみじ饅頭!あとでお出ししますね」
「ん。今日も頼んでいいか」
「いつもありがとうございます。今日はどんなイメージでお作りしますか?」

そう名前が尋ねると竜胆は名前を見て少し悩んだあと、いつもと同じ言葉を口にした。

「……今回も任せていいか、あんたの花束気に入ってんだ」
「わかりました。お眼鏡にかなうよう頑張りますね!」

名前が声を掛けるまでもなく竜胆は店内に置かれた丸椅子に腰かけた。ぼうっとタバコを吸いながらスマホを操作して、しばらくすると暇そうに店内を見渡して、名前の作業を眺め始めた。
名前は少しお疲れのようだから、いつも店長がしているように温かめのコーヒーともみじ饅頭を出そうと決めて作業に取り掛かった。

店にはきちんとした椅子も待合室もあるのに、竜胆はこの作業場の、この椅子で待つことを頑なに譲らない。
名前にとって作業を見られることは少し気まずくはあるが、竜胆は邪魔をしてくるわけでも途中から指示を出してくるわけでもないので、気を楽にして作業が出来た。慣れたとも言う。

「竜胆さん、お兄さんは相変わらずです?」
「もう兄貴の話かよ……」
「ふふ、失礼しました。竜胆さん、出張で美味しいもの食べれましたか?広島焼き?」
「牡蠣。やっぱ美味ぇな」
「羨ましい。牡蠣なんてもう何年も食べてないですよ、私」

竜胆との会話は名前にとってせわしない日々の少しの安寧となっていた。少しだけ掠れた低い声も落ち着いた話し方も、名前の心臓を優しく擽って撫でられるようだった。
いつだったか、知らなかった街のルールをしょうがねえな、と呆れながらも教えてくれた柔らかな表情は、特に名前が竜胆に心地よさを感じるようになったひとつの理由だ。
それ以来、竜胆との会話は名前にとって、密やかな楽しみとなっていた。

花束が出来るまでの、丸椅子に座って少しだけ話をする穏やかな時間。時々横たわる沈黙も気まずいと感じることはない。こんな僅かな期間にずいぶん慣れたものだ、と名前は茎を切り落としながら内心で笑った。

名前が竜胆と出会ったのは、夏の終わり、およそ二ヶ月ほどまえのことだった。





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