運命の人


割れんばかりの歓声。喝采。熱気。鳥肌がたつ。

およそ人が出すとは思えない音と共に黄色と青のボールが床に叩きつけられた。私が知る学生時代のそれより随分と迫力も威力も大きくて、なんだか少しだけ怖くなった。

会場に響く実況は大分興奮しているらしく、かなりの早口で何かを捲し立てている。聞き取れない中で、同じ言語のその名前だけは聞き取ることができた。
その名前が聞こえる度に、どき、と波打つ自分の心臓に見てみぬふりを繰り返しては馬鹿みたい、とため息を溢す。

はあ、と再びため息をついてきらきらと輝く天井を見上げた。まさか、こんなところに来るなんて思わなかった。

屋内のアリーナ。オレンジのコート。視線を下げれば、俊敏に動く選手たち。そう、バレーの試合会場だ。普段成せないことをさせる。やっぱり外国マジックと思いながら腹いせに買ったビールを含んだ。

「気付かなかったらどうするつもりだったんだろ……」

バッグの中に入っていた1枚の見慣れない紙。文明の利器を駆使して内容を読み解けば、どうやら試合のチケットのようだった。
思い当たる人物は1人しかいない。どういうことなんだろう、としばらく考えてようやく気付いた。そうか、見に来てってことか。

朝、オフィスで会ったルーカスに話を聞けば、ここの地元チームと及川のいるチームが18時から優勝を掛けた最後の直接対決をするのだという。今季優勝争いを繰り広げている2チームの最終戦は相当な人気らしく、チケットも即完売だったらしい。

まさかそんなチケットを貰ったとは言えなかった。しかも私の見間違いでなければS席。コートに最も近い席だ。及川め、なんてものを、と思ってコーヒーを飲んでPCを叩く。ふ、と最近見た夢を思い出した。ぎり、と握った手に力が入った。

なんで。どうして今更。それに言ってくれればよかったのに。あの時みたいに、来てよって。どうして、そんな、試すような。やっぱり及川はずるい。

そう思って、チケットを丸めて捨てた。くしゃくしゃになったそれが、なお訴えかけてくる。いいのか、と。いいに、決まっている。少し温くなったコーヒーを喉に流す。苦い。そういえばあの時も苦い思いをした、と唐突に思い出した。



△▼△



「それにしても大学じゃなくバレーの武者修行でアルゼンチンとは!楽しみにしてるぞ、及川!ゆくゆくは日本代表も夢じゃないな!わはは!」

職員室の扉に手を掛けた瞬間、そんな声が聞こえてきて思わず止まった。聞いてはいけないものを聞いた気がした。及川、って、別人だろうか。私の知る及川と。そんなわけない。及川はこの学校にひとりしかいない。

大学。アルゼンチン。日本代表。バレー。

そんな言葉の切れ端だけが頭をぐるぐる回っていて、目の前で開かれた扉に気付かなかった。扉の前で突っ立っていた私に及川は驚いた顔をした後、失礼しました、と職員室の扉を閉めた。

やんわりと肩を押されて、少し扉から離される。放課後と言うには遅いが、部活生が帰るには早い時間。そんな中途半端な時間だけあって、廊下には私と及川しかいなかった。
シン、と静まりかえった廊下の空気が刺すようで、及川の顔を見ることができなかった。

「おい、かわ、その」
「あはは、聞こえた?」
「……ごめん、聞くつもりなかったんだけど、」
「ヨネ先声でかいよね、内緒話とかできないタイプ」

そう言ってくすくす笑う及川は何も言わない。返ってこない肯定こそがすべてを物語っていた。そして雲一つなく晴れ渡った晴天のような表情も。

「及川、あのさ、」
「本当だよ。大学はいかない。俺はバレーしに海外に行く」
「っ、ど、れくらい、なの……?」
「さあ?1年でダメになるかもしれないし、奇跡的に10年向こうに居れるかもしれない――でもやるからには半端にはしないつもりだよ」

真っ直ぐに私を見つめる及川の表情には怖いほどの真剣さがあって、その凪いだ瞳の奥にどうしようもない情熱と覚悟を見つけてしまった。ぞく、と背中が震えた。どうして、こんなにも。

「みょうじは?」
「え?」
「進路。それで来たんじゃない?」

持っている大学のパンフを指さされて、ようやく自分の用事を思い出した。高校3年の秋。大学のパンフを持っていれば嫌でも相談内容は分かる。相変わらず人のことをよく見ているな、と思った。

「ああ、うん。えっと、私は普通に、大学行こうと思う」
「へえ、どこの?」
「関西の大学に、しようと思ってて」
「そっか。遠いね」

――それを、及川が言うのか。
及川に比べたら、大したことなんてないと、叫びたくなった。地元を離れた大学を選ぶ。大きな決断だと思ってた自分が急に小さく見えた。

ばかみたいだ。
及川はいつまでも、岩泉くんと一緒にいると、すぐ会える距離にいると思っていた自分が、ばかみたい。
迷いない心が羨ましい。その覚悟が恐ろしい。前しか見ない瞳が誇らしい。でも、少しだけ、―――寂しい。そんなことを考える自分が、本当に最低で大馬鹿だ。

「みょうじ、どうしたの」
「な、なんでもないよ。それより練習いいの?」
「うわ、もうこんな時間じゃん!やっば、岩ちゃんに怒られる!じゃあ、みょうじまたね」

そう言って走っていく背中を見えなくなるまで追ってしまった。どうしようもなくやるせなくなって、くしゃりとパンフレットが歪むまで強く握りしめた。

「うん、また、ね……」

かろうじて出した声が及川に届いたかはわからない。あんな後悔も迷いもない人に、苦労せず行けるという理由だけで選んだ大学のパンフを及川に見られたことが、恥ずかしくってたまらなかった。

「ばかみたいだ、なあ」

家に帰っても自分の進路よりも及川ばかりで頭がいっぱいになった。
ちっぽけな自尊心が粉々に砕かれて、どうにも集中できない。明日のテストのためにひとつでも多くの単語を覚えないといけないのに。
スマホを見ては消して、それを繰り返す。アルゼンチン。どんな、とこなんだろう。及川が行く場所。及川が夢を追う場所。

検索欄に入れた文字が途中で止まった。言葉を形成する最後の文字の手前で、ちかちかと点滅する棒。すぐ下には完成された文字と、いくつもの予測された文字の羅列。気候、人口、産業、旅行。はやくしろ、と急かす点滅に、心臓が痛いくらい軋む。

及川が、生きていく、場所。

タップした先は、ひらがなの終わりの文字じゃなくてホームボタンだった。そのままベッドに倒れ込む。
押したら、調べたら、だめだと思った。知ってしまったら、きっと。

遠いと思ってしまったら。もしそれ以上を思ってしまったら。
私はこの感情に名前をつけなくてはならなくなる。



△▼△



引き摺られてるな、と思った。
昔の、あの学生の頃の気持ちに大分引き摺られている。もう私たちは大人になって、こんなにも立場も住む場所も世界も、こんなに違うというのに。

心の中に仕舞いこんだ感情が、苦味を携えて迎えにきた。あの時、及川になにか言えていたら。そんなありもしないたらればが頭を埋め尽くす。

アルコールと熱気と、行き場のない言葉にもならない感情。
全部が混じりあって酔いを加速させていた。ぼんやりする頭でホテルのベッドに倒れ込む。

ふと、スマホが目に入った。そういえば、私は未だに及川と連絡する術が電話しかないことに気付いた。あのメッセージアプリは日本だけでしか使われていないんだろう。相も変わらずガラパゴス化。ガラパゴス諸島って南米だっけ。

纏まらない思考のまま、どうせ届かないなら何を送ったって構わないだろう、とスマホに手を伸ばして、アプリを起動させた。ちょっと長いけど、と気持ちの整理がてらメッセージを書いて送信をする。

『3年間クラス一緒だったの、私も運命だと思った』
『あの時、あんなキスするなんて聞いてない』
『ずっと覚えてる』
『責任とればーか』

ぽこぽこと間抜けな音と一緒にメッセージが送られる。まだたりない。今ぐらい、ずっと言えなかったこと言わせてよ。

貴方の笑った顔も、驚いた顔も、子供みたいにころころ変わる表情も。コートでは堂々とした、王様のような凛とした姿も。バレーが一番なところも。ぜんぶ。

『すきだよ。むかしからずっと』

過去形にしなかった。出来なかった。
今もまだ、この想いは心のどこかに燻っている。口にだせないなら、せめて。

分かってる。私と及川の住む世界なんて全然違うことなんて。いつまでも過去の想いにすがって、運命的な再会にあの頃みたいに心が浮わついて。なんて、都合のいい人間だろうか。

大人なら。もう過去のことなんて忘れるべきだ。大人なら。でも、私は忘れられなかった。情けなくて、惨めで、心が引き裂かれそうだった。

そのメッセージが送られると同時に、私の意識は闇の中へ静かに沈んでいった。





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -