射落とされた星座



「今、何て言った?」
「出すで、東京に店」

零れるように投げ掛けた問いに、間髪入れず返答が帰って来た。治のその言葉を理解して、思わず息をのんだ。ぶわり、と全身の毛穴が開いた気がした。

いつかはあり得る話だと思っていた。もともと安定してお客さんはついていたし、最近では土日に列ができることにも大して驚かなくなってきた。新規客の取り込みも上々で、百貨店で知ってここに来た、という人も何人かいた。

手狭感もある。お客さんの回転率や、売上を考えたら2店舗目を出してもいいんじゃないか、と思ったことはある。細かい収支は見てないからなんとも言えないけど。多分、治なら、考えてるんじゃないかって思っていた。

でも、それは同じ関西圏や近所の話だ。エリアが変われば客層も好みの味や食感も変わる。京都と大阪、神戸の距離ですら味の好みが変わるのに、ましてや。

東京。世界に誇る、美食の街。

ここ数年、東京は世界で一番星の集まる街と言われている。それこそ、元祖パリの街を抜くほどに。14万もの店が軒を連ね、誰かが消えその穴に新しい誰かが入ってくる。不味い店は消え、美味い店はさらに上へ。新陳代謝を繰り返す、怪物のような美食の街。

本当に出来るのか。フレンチでも、イタリアンでも、日本食でもなく、私たちにあるのはこの数種類のおにぎりだけだ。最新の設備もなければ、名だたるシェフがいるわけでもない。

「攻めるタイミングは逃したらあかんしな」
「待って、ちょっと……、ねえ本気で?」

フッフ、と笑う治に少しだけカチンと来た。本当に分かっているんだろうか。東京で店を出すということがどれだけ難しく、恐ろしいか。事業失敗も、借金も怖いけど、何より怖いのは。

おにぎり宮の味が大したことないと思われることだ。

一度ついた傷はなかなか消えない。店としても、料理人としても。だから失敗をしてはならない。私にはもう傷が付いてしまっているけど、治には付いて欲しくなかった。こんな思い、しない方がいいに決まっている。

「いや、急に攻めすぎじゃない?ついこないだイベント終わったばっかりじゃん……!もう少し落ち着いて考えても……!」
「なんや、いつものなまえらしくないやん。大体こういう時、お前真っ先に突っ込んでいくやんか」

きょとん、と首を傾げるような素振りの治に、私だって慎重になることぐらい覚えたわ!と返せばふぅん、と興味なさそうに書類を漁る。いや聞けよ。というか美味しい話すぎないだろうか。勘ぐりたくなる。

「ていうか詐欺じゃないの?ねえ、大丈夫?」
「そこら辺もきちんと確認取ってきたわ」

どうやらこの間シフトを変わってと言ったのはこれだったらしい。治はその時に数日かけて東京の店候補地を視察に行っていたみたいだ。ついでに業界の人の話も聞いてきたという。いつの間に。ほんと抜け目ないなこいつ。

正直、凄くいい話だ。紹介された場所の家賃は破格だったし、その理由にも納得がいった。商圏も立地も悪くない。むしろおにぎり宮の客層に合う場所だった。

なんでもこの間百貨店出店の際、バイヤーから紹介された有名なライター経由の話らしい。
色々手広くやっている割には筋の通っている人で有名らしく、気に入った小さな店をプロデュースして大きくするのが生きがいらしい。稀有な人もいたものだ。

話の出所、業界の信頼。なにもかもキチンと裏の取れている話だった。少なくとも詐欺ではなさそうだと私も思う。

「な?ええやろ」
「悪くはないけど……でも、ねえ、待ってよ。そんな東京でなんて採算とれんの?ここみたいにオーナーが家賃おまけしてくれるわけじゃないんだよ?」

破格の家賃とは言え東京の家賃だ。今の家賃に比べたらやっぱり高い。しかも、おにぎり宮の入っているビルのオーナーは、こういう若者が頑張る姿が好きな人なので家賃も他のテナントに比べて安くしてくれている。

治が築いてきた努力と幸運で、今のおにぎり宮はできあがっている。だからこそ、東京という未知の場所で本店を抱えながら、また一から治がやっていけるか心配だった。

「売上も上げなきゃいけないし、採用とか融資とか。全部、こっちの営業しながらやんなきゃいけないんだよ?できんの?」
「お前おるやろ」
「は?」

それこそお前何言ってるんだ、と言わんばかりに治が訝しげに見てきた。は?え、私?と返ってきた変化球に思わず黙れば、もうええか?と治が書類に視線を戻した。

やばい、治の自己完結モードが始まった。治の悪いところ、時々言葉が足りないときがある。ちょっと待って、もう少しお話ししよう?お願いだから!

「そんために雇ったようなもんやし」
「そ、それって私のこと?」
「他に誰がおんねん。東京は好きやないしな」

あまり言い草に今度はこっちがぽかん、としてしまった。なに、なんて?話がまとまらない、なんでこんなに私ばっかり混乱してるの?ていうか、何考えてんの、治!

「はあ?いや、東京好きじゃないって……」
「デカイし、人多いし、地下はようわからんし。私鉄多すぎや」
「いや、地下鉄とメトロは違うでしょ。つーかなんで分かんないの?全部上に書いてあるじゃん」
「わからんわ、そんなん。ただ東京にはいつか店だそ思ってたことは確かや」

そう言って治が書類から顔を上げた。楽しそうに笑う治は料理に向き合ってるのと同じくらいきらきらとしていて、思わず開きかけた口を閉じた。

「世界中でいっちゃん美味いモンの集まるデカイ舞台や。一回はやってみたいやん」

なんてことなく、ただ楽しげにそう言う治にもう何も返せなかった。この治には何を言っても無駄だと私は知っている。もう止まらない。この治はやめられない、止まらない、あの味と一緒だ。

それに、元々おにぎり宮は治の店だ。治がやりたいと言ったことを、私が止めることはできない。

それに、私も。おにぎり宮が東京で一番と言われるところを見てみたい。

そうは思ったけど、それまで反対していた手前、急に意見を翻すのもなんか悔しいのでしょうがないな、という雰囲気をそのままにため息をつく。ただ、ひとつわからないのは。

「はあ……じゃあ出せば?」
「でもな、東京に魂は売りたくないねん」
「はあ?もう意味わかんないんだけど」

さっきから釈然としないのは、そこだ。東京に店を出したいというわりに、東京は嫌だと言う治。なんなの?治はリモートで出店でもする気なの?

東京出店はもう反対しないからここら辺をハッキリさせて欲しかった。一体どういうつもりなんだろうか、と思っていたらいつの間にか書類を置いた治が、じっと私を見ていた。思わずその視線に後退りした。

「な、なに……そんなに見られても困るんだけど」
「居るやろ。ジブンの生まれた街のことも、おにぎり宮の味もよお知っとるやつが」
「え」

治の言葉に、思わず固まった。おにぎり宮の味を知っている人間で。東京出身の人間。

え、まって。それって―――。

にやり、と治が笑った。子供の悪戯が成功したときのような笑みを浮かべた笑顔に、なにか冷たいものが背中を走った。これは、あれだ。治が突拍子もないことを言う直前のーー。

「せやからなまえ、お前に2号店と東京進出任すわ」

言われた言葉に頭が追い付かない。いま、おさむ、なんて。まか、任す?任すって、ことは。


―――東京に行くの、私だ。


「はああああ!?!?!?」

深夜のおにぎり宮に、絶叫が響いた。





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