乱気流に身を躍らせて



気づけば12月。
師走というだけに、人々の心にもお店にも忙しない気配が街から漂っている。いつの間にか街にはイルミネーションが点灯していて、寒さにお互いの身を寄せる恋人たちが増えた。さらにテレビからは毎年恒例のおじいさんのチキンの歌が流れる。

世間は冬の一大イベントにおおはしゃぎである。
反対に一部料理関係者にとっては「お前の地獄が来たぞ」と死刑宣告される時期でもある。パティシエはマジで泊まり込みになるし、ソムリエはワインの仕入れと客の無茶振りに応えないといけないし、新人はイライラするシェフたちに気を遣って息を潜めないといけない。こっちの心が折れる。
そんな地獄の名前は、クリスマスと言う。

前の店は一流のフランス料理店だ。もちろん地獄だった。
まだ予約制の店だったから良かったけれど、これがホテルのレストランだったら多分死んでいた。それでもしんどいものはしんどいし、正直何度滅びろ、と思ったかわからない。

しかしながら、そんな季節のイベントなんて関係ないと豪語できるのが現在の私の勤め先である。だっておにぎりだ。ほぼテイクアウトだし、わざわざクリスマスにおにぎりを食べるだろうか。否。大体みんなケーキを食べると相場が決まっているのだ。ケーキがあるならちょっと奮発した洋食になるはずだ。

だというのに、私は今、去年までと同じことを考えている。クリスマス滅んでくれないかな。そう思うのも無理はない。
なぜなら、おにぎり宮は今死にそうに忙しいからである。

「ちょっと、宮!こっち先仕上げないと……!」
「あかん……頭回ってへん……」
「あーもう!これ、私の夕飯!食べてきて!!朝からずっとでしょ!?今ならそんなに来客もないから行ってきて!」
「すまん……助かるわ、なまえ……」
「うん、いってら!(あの足取り……ゾンビッシュみたい……)」

おにぎり宮は、私が勤める前から足繁く通っていたバイヤーにとうとう口説き落とされて、百貨店の催事に出店することになった。あのデパートでやっているあれだ。ずっと人員不足を理由に断り続けていたけど、私が入ったことで宮にも踏ん切りがついたらしい。挑戦するのはいいことだ、と私も賛成した。そういうわけで、おにぎり宮は百貨店への出店という新しいステータスを手にしたのだ。

まあ、後から嫌というほど後悔することになるんだけど。

デパートの催事は特殊だ。
出店形式、衛生管理、人員配置、持ち帰り用のパッケージ、食材の搬入時間、仕込み。なにからなにまで決めなきゃいけないことは山積みだった。
私も宮も初めてのことだったから、かなり意見がぶつかった。宮はまあ相当頑固だし、私もまあ頑固なところがあるのでどちらかが折れるまで正論での殴り合いが続いた。

途中忙しすぎておかしくなった宮から、こっちは正論パンチ慣れとんのや!と謎の叫びが聞こえて、正論パンチとは何ぞや、と思ったけど黙っておいた。これ以上は宮が死んでしまう。

さっきも準備手順を間違えた宮を、無理矢理バックヤードに下げた。イベントは休めるときに瞬発的に休みを取らないと死ぬ。そしてこれが2週間続くのである。体が資本の料理人でもきついものがある。そしてお分かりだろうが、宮が死ねば私も死ぬ。業務的に。私たちは一蓮托生なのである。

「すいません、いいですか〜?」
「はい!ありがとうございます!」

そんなわけで、私と宮は師走に入って、いや、師走に入る前から既に死にそうなのだった。
誰だ出店さんせーい!とか言ったやつ!私だわ!





「ああ〜〜、やっと終わった……!」
「なんやえらい長かったな……」
「しばらく土日の百貨店には行かない……」

そう心に決めながら宮に、今しがたコンビニで買ったコーヒーを渡す。しみる……!と宮がそう言ってハンドルに顔を埋めた。大分キているらしい。店に着いて、ある程度片付けが終わったら打ち上げしよう。ビールも買ったし。

お客さんがひっきりなしだったっていうのもあるけど、それ以上に宮は気疲れが勝ったんだろうな、と思った。出店をゴリ押ししてきたバイヤーさんは、なんとしても宮にいい話を持って帰ってもらおうと必死だったし、宮も良い機会だと断らなかったから。

グルメ雑誌のライター、同じ系列の地方百貨店のバイヤー、コンサルタント、人気ブロガーなどなど。名刺を見ただけでも随分と色とりどりの職業が並んでいた。なるほど、これは確かに気疲れする。宮自身そんなにめちゃくちゃ喋るってタイプでもないし。ただ、表情を見るにそこそこの収穫ではあったんだろう、と悟った。

かくいう私も大きな収穫はあった。隣に出店していたお寿司屋さんと仲良くなって、有名な魚介のバイヤーを紹介してもらったのである。関西では腕利きの業者だけど、紹介でしか仕事を受けてくれないと有名な人だった。

「俺、みょうじさんがいた店に通いつめてた時期がありますよ」
「え、本当ですか?」

そんなことをきっかけに、色々な話をした。数回ではあったものの、メニュー案を出して採用されたこともある。アイデアだけは良い、と誉められて、結局そのメニュー案はスーシェフが出したことにされていた。
今考えてもただ胸糞が悪い。自分でその味を表現したかったのに、その場すら奪われてしまったのがただ悔しかった。

救いがあったとすれば、そんな陰湿ないざこざもシェフにはお見通しみたいだったようで、数日だけ私に仕上げをさせてくれたことがあった。お寿司屋さんのその人は、その間に食べたみたいだった。その日だけ明らかに味が違ったのが印象に残ったらしい。

そのバイヤーを紹介をしてくれた、ということはそう悪い評価ではなかったらしい。今度、河岸に行くのに同行しないかと誘われた。めちゃくちゃ大盤振る舞いである。

それまで、私の料理の世界は厨房だけだったのに、イベントひとつで知らない世界が広がっていく。

上がってきた食材を活かすだけじゃなく、自分に合った料理の素材選ぶ。そんな世界を知っていけることに、新鮮さと嬉しさが募った。
まだまだ料理が上手くなれる。もっとレベルの高い料理が出来る。一刻も早く厨房に、私の戦場に立ちたかった。

ふる、と震えた体を抑え込むように、ぎゅ、と両手を握りしめる。包丁の感覚が手のひらから消えなくて、なんだか

「なあ、なまえ。この日から2、3日店任せてもええか?」
「え、急だね?ちょっと待って確認する…………うん、大丈夫。出れるよ」
「ほんまか。助かるわ」

なんか試合でもあったっけ?と聞くと首を振るのでどうやらそうでもないらしい。なんでもいいけど、この忙しかった2週間の分、少しでも羽を伸ばしてもらいたい。
ついでに私は今厨房に立ちたい欲がめちゃくちゃ高いので渡りに船だった。河岸に行くのもまだ先だし、新しい味の組み合わせも色々浮かんできている。アイデアが涌き出るうちに形にしたい。

「ちっとなあ」
「ふうん?まあ、なんでもいいけど。あ、運転変わる?」
「いや、大丈夫や。ありがとな」
「私こそありがとう。宮のおかげで、私もっと料理上手くなれるよ」

宮のお店でなければ、きっとここまで世界は広がらなかった気がする。

お礼と共にくしゃり、と頭を撫でられた。宮の大きな手だ。あのおにぎりを握る、美しい手。
宮こそ、私に新しい世界を見せてくれてありがとう、とお疲れの意味を込めて肩を叩いた。ぽかん、とした表情で私を見る宮は、なんや熱いから窓開けるわ、と窓を全開にした。ねえちょっと寒いってば。





「なんや、なまえ。まだおったんかい」
「ああ、宮。お疲れ」

店の営業が終わった厨房でメニューを試行錯誤していると、バタバタと宮が帰って来た。こんな遅くまでと宮にはぼやかれたけど、こんな時間に店に来る方も来る方だ。
なんだかご機嫌らしい宮は、土産、と言って紙袋を渡してきた。

「店助かったわ」
「え、そんな。ありが…………東京ななば?」
「黒いやつと迷ったんやけど、そっちにしたわ」

ドン、とカウンターに重そうな荷物を置いた宮はやっぱりにやにやとしている。なんだろうか。ていうか、東京に行ってきたの?何しに?と口を開けようとしたら、宮がこっち、と手招きしてきたので、厨房から出てカウンターへ行く。

ほい、と渡された書類を見て、首を傾げた。ぺら、と捲って読み進めていくほど眉間にしわが寄るのがわかった。
だって、これ、約款だ。しかも賃貸契約の。

どういうこと、と思って顔を上げれば、にやり、と笑う宮がフッフ、と特徴的な笑い声をこぼした。

「東京、行くで」



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