お砂糖がちくちくする



「みょうじさん、これなんやけど職員室に持ってってくれへん?宮のこと待っとる間暇やろ?」
「う、うん、いいけど……」
「ほんま?助かるわあ!今度なんか奢らしてな。ほな、よろしく〜」
「あ、うん……」

満面の笑みが颯爽と目の前から消えた。またせたなあ、ほんまやで、めっちゃロスしてもうたやん〜。そんな和気藹々とした声が遠ざかっていく。

ぽつん、とひとり教室に取り残された私は渡されたプリントをしげしげと見つめた。確か担任から回収を頼まれたアンケートのプリントだったはず。集めるところまでは日直がやってくれたらしいけど、なんで職員室まで持っていってくれなかったんだろうか。

そう思ってハタと気づいた。そうだ、5時まで学年会議って言ってたっけ。しまった、やらかした。思わず額に手を当てる。
ということはだ。引き受けてしまった以上、5時の会議が終わるまで私はここにいないといけないのか、と時計を見ると時間にはまだまだ時計の針は余裕があった。

別に待つことは問題じゃない。付き合っている治くんと今日は一緒に帰ろう、と約束をしていたし、バレー部もミーティングだけとは言え5時くらいまで掛かるとのことなので、ついでみたいなものだ。スマホを取り出してメッセージを打ち込んで送信。

はやく会いたいなあ、なんて呑気なことを思っていた。この時は。





私が稲荷崎に転校してきたのは半年前。急遽親の再婚が決まって、慣れない苗字と共に兵庫に来た。関西特有の言い回しとか言葉の強さに右往左往していた私を助けてくれたのが、隣の席の治くんだった。

慣れない関西の気質にビビッていた私にいつも、怒ってへんで、怖がらせてすまんな、と優しくしてくれた治くんを好きになるのは、そう時間は掛からなかった。なんやかんやあって、同じ気持ちを抱いてくれていた治くんとはまあ、順調にお付き合いをしている。

基本的に治くんはとても優しい。双子の侑くんが絡むと、こう、関西人、という感じがするけども。
でも、私に対しては怒ったりとか荒い口調だとか、そういうのは全然なくて、安心させるようにいつも大きくて少しだけ固くなった手が優しく包んでくれるのがたまらなく好きだった。

いつの間にか、私は多分甘えていたんだと思う。治くんが優しいから。怒ることはないのだと。勝手に。そう思い込んでいたのだ。

「どういうことやねん」
「お、おさむく……」

怒り心頭だった。私の前の席に座っている治くんは分かりやすく怒っている。つまんなそうな顔、尖った唇、皺の寄った眉間。アウトもアウトである。

ごめんなさい、と謝っても治くんの機嫌は直らない。確かに、せっかく部活がミーティングだけになって、バレー部にしては早く終わったのに、会議が延長しているせいで帰れないのは非常に申し訳ない。本当にごめんなさい。

処理落ちしたパソコンのように、ガクガク震えながら謝るだけになった私を、治くんはもはや呆れた顔で見ていた。怒りは通り越してしまったらしい。もう何も言えないし、ただ頭を下げるしかできない。

「あの、本当にごめんなさい」
「なまえ、あんな、それ何に謝っとんの?」

治くんからの言葉に、本格的に私の思考回路はショートした。え?え?私間違ってる??待たせたこと怒ってるんじゃないの?
やばい、本当にわからない。いつのまに私は治くんの地雷踏んだんだろうか。でも送ったメッセージも普通だった。それなのにこの機嫌の悪さ。だめだ、さっぱりすぎる。

「あの、お待たせしてしまっていること、じゃ、ない?」
「ちゃうで」

やばい。わからない。治くん、普段からあんま表情動かないし表情が読めない。そもそもなんでごくごく普通の私が、こんな学校の人気者と付き合えてるのかもわからなくなってきた。どうしよう、わからないがわからなくなってきた。終わりだ。破滅だ。

どうしよう、もうお前なんか知らんって言われたら。丁度付き合って3か月だし、別れるタイミングらしいし。どうしよう、治くんにもういらん、って言われちゃったら。
無理。無理だ。泣く。恥も外聞もなく。というかそんなこと言われたら明日から戸美に帰る。

「…………」
「あんなあ……」

とうとう黙り込んだ私に、はあ、と目の前の治くんが深いため息をついた。うわ、すごいショックだ。やっぱ東京帰る。帰るったら帰るもん……!どうせ恋人の機微もわからないだめな彼女です……!

「俺、今日なんて言うたか覚えとる?」
「待ってて、って言われました」
「せやな」

まだわからんのか、みたいな目を向けられた。ぐぬ、と何も言えない私の額をビシ、と人差し指で小突いた。予想外の動きにあう、と変な声が出て目の前の治くんをしげしげと見てしまった。え、どういう。

「でもな、その待ってての中に、他の男からのお願い聞きながら、なんて入ってへんのやけど」

些細な違いだ。だけど、そんなこと、で一蹴できるほどの気持ちでもなかった。だってそれって。思い出したのだろうか、治くんの目がカッと開いた。まって、こわい。でも、これって。

「俺のお願いより、他の男のお願い優先したんがむかついとんのやこっちは」

所謂やきもちというやつでは。

治くんの怒りの源が分かってしまえば、確かに低い声と血管の浮いた米神にはビビっていたけどそれ以上に別の気持ちが湧いてくる。
やきもち、するんだ。治くんでも。私に、やきもちやいてくれるの。へー、そっか。

思わずぽかんと治くんを見つめれば、そのほっぺたがどんどん赤くなっていった。あ、コレ自分でも無自覚なやつだったんだ。なんだか急に冷静になってさらにじっと見つめると、治くんはぶすう、と顔をしかめた。今日イチの不機嫌顔だ。

「っなまえは!俺のことだけ考えといたらええねん!……ただでさえ皆に構われとるやん」
「そ、それは東京からの転校生が珍しいからじゃ……」
「アホか。稲荷崎やぞ、角名やって愛知出身やし今更県外から来たって驚かんわ」

そう言い捨てた治くんの言葉に納得してしまう。スポーツ強豪校ということもあって他県からの進学者は多い。転校生、という人間は少ないものの私以外にも関東出身は何人かいた。
確かに、と納得した私にいくらか溜飲を下げたのか、治くんの表情が少しだけ和らいだ。

「なまえが優しいから、みんな調子こくんやぞ」
「そんな、こと」

むしろみんなが優しいからこうやって色々声を掛けてくれるんじゃないだろうか。
たまたまその中にいくつかお願いが紛れ込んでるだけであって。そうじゃなかったら、こう、もっと悪意が見え隠れするし、私だってそういうのには気付く、はず。

本当にみんな優しいのだ。角名くんだって、今日お願いを頼んできた男子だって、普段困っていると助けてくれる人だ。私は彼らの善意に同じだけ返したいと思っただけなんだけど。治くんはどうやらそれがお気に召さないらしい。

「ほんなら、今までに何回お願い聞いたか数えてみ」
「……覚えてないよ……」
「それくらい聞いとんのやろ」

むに、とほっぺを引っ張られる。弱い力だ。だけど、どこか優しく触れられるそれが心地よくて、思わず目を閉じた。はあ、と毒気を抜かれたようなため息が聞こえる。

さっきまでは東京に帰る、とか言っていたのにその裏にある治くんの想いを知ったら、そのため息も怖くなくなってしまった。ほんと、自分でも呆れるくらい調子がいい。調子こいてるのは私だろうな、治くん限定で。

「……無防備が過ぎるわ」
「治くんだけだよ、こんなの」
「当たり前や。そんなん。ほんまは他のやつに優しくしてほしくないねんけど」

再び視界に入った治くんは、しょうがないな、と言って破顔した。
やっぱり、この人は優しいひとだ。他のみんなよりも圧倒的に私に甘い。本当は、私は治くんにも優しさで返すべきなのかもしれない。でも私は、治くんだけには優しさじゃなくて好きっていう気持ちを返したかった。私の勝手だ。

優しくなんかないよ。だって、同じ優しさじゃない、欲を孕んだ別の気持ちを渡そうとしてるんだから。全然優しくなんかない。

そう内緒話のように話せば、治くんは今度こそ特大のため息をついた。あーー、もーー、と文句を言う声が聞こえる。ふふ、と笑い声を零せばむぎゅ、と鼻を摘ままれた。もう照れ隠しするときの治くんの癖だって知っているから、怖くもなんともなかった。

「なまえのそういうとこも好きやから、勘弁したる」

零された特別に返すように、大きな手に指を絡めた。




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