書類には細部まで目を通しましょう



―――その唇に噛みつきたくなった。

いつもオフィスで見慣れている姿なのに何かが違った。唇ばかりに視線が行って、心臓がうるさくなる。目が合うたびに緩められる唇が欲しくてたまらなかった。

ふたりきりになった会議室。気付けばプレゼンの労いを零すその唇に思わず噛みついていた。水音を奏でていた唇が離れて、腰の抜けた男を見ながら不敵に女が笑う。

「残念ね。ルージュ、移らなくて」

愉悦を含む声にぞくぞくと背中が震える。そのまま一度も振り返らずにスーツの裾を翻して会議室を出ていく女の背中を、半ば呆然と見送った。
その唇に「俺」を刻みつけて、残してやりたくなる。まさしく人を狂わす悪魔のルージュ。

塗った瞬間につやめく唇を。どんなときでも美しく、凛としたいあなたに。

光星堂、オリオンシリーズ、新登場。





『オリオンのCMの推しの雄みがやばい。一緒の女優もかっこよすぎる』
『推しがキスされて腰砕けになってるの可愛すぎん??あの女優だれ!?絶対個性魅了でしょ』
『アルキミスタ?の戦う女感ヤバい。サラリーマン戦士の極み。ああなりたい』
『流石アルキミスタ。うちの使えない上司と交換してほしい。毎日拝む』
『かっこよすぎる。毎日出社前に見てる』

資料をめくってもめくっても出てくるSNSのコメントを見て思わず顔をしかめた。ふふふ、と笑う目の前の人物に若干怖気づいてしまったのは秘密である。

「鳴り止まない電話、CM動画再生回数異例の100万超え、SNSのトレンド入り……やっぱりアルキミスタさんをイメージモデルにして正解でしたよ!!流石3年連続『上司にしたいヒーローランク』No1!」
「はあ……ど、どうも」

思わず口元がひきつった。
あまり乗り気ではなかった化粧品のCM撮影。どうしても、という先方のお願いということもあって渋々受けたものの、ここまで反響が出たのは私も予想外である。

「当社としても反響の大きさをこのままにしておくわけにもいかないので、アルキミスタさんには追加でのポスター撮影と第2弾のCM撮影を依頼させていただきたいのですが!いかがでしょうか!」

モデルの真似事をしているのはここだけなのでスケジュールは付けやすい。だが私自身そっちの方向で売り出す気はないので、これきりにしようと思っていたのだが。

入社3年目という彼女はイキイキと仕事に情熱を傾けていて、なんだか昔を思い出した。私もこうして仕事をさせて貰っていたので、少しでも還元しようと老婆心で話を受けることにした。大きな仕事は勉強になることが多いので是非とも頑張って欲しい。

ありがとうございます!と深くお辞儀をした彼女と早速スケジュールを詰めていく。大量の資料と共にいくつかのラフ案を出してきた彼女は相当有能なのだろう。2時間の会議の後にはほぼすべてが決まっていた。なんだか発目のような魂の注ぎ方だ。早死にしないか心配になる。

そう思っていたらとんでもない爆弾が落とされた。

「あっ!言い忘れてましたけど、今度宣伝で渋谷ジャックしますよ!」
「は!?」




彼女の言葉通り数週間後。
渋谷の街に来た私は絶句してスクランブル交差点前で立ち尽くしていた。

「は……なに……これ……!」

文字通り渋谷の街の至るところに私がいた。いや、冗談ではなく私がいた。流れるCM、アップされた口元。そこまではいい。問題はPCを見つめる横顔やプレゼンの資料を眺める表情。ほぼ撮影以外での打ち合わせの、素の私の写真である。

死ねると思った。

追加です、と送られてきた資料確認を部下に任せたのが失敗だったか……と頭を抱えた。
アルキミスタのイメージ戦略には私よりうるさい部下である。一任させたが、ここまで自由にやってくれるとは……!

いやしかし資料の確認をなおざりにした私に責任がある。これは部下を責めるわけにはいかない。むしろ短期間でよくやってくれた、と褒めるべきである。

そう、私がこの恥ずかしさに耐えればいいだ、け……!くそ、死ぬほど恥ずかしい……!思わず顔を覆った。

仕事中にも関わらず呆然としていたら、急に電話が鳴った。画面を見て思わず顔をしかめたが、出ないと更に面倒になることを知っている。電話マークをスワイプさせて、耳から離した。

『オイみょうじテメエ!!なんだあのCMやんならやるって言えやクソが!!』

電話から聞こえてきたとてつもない声量に耳がキンキンした。少し離しているにも関わらずこれだ。電話の奥からは特大の声が聞こえてくる。

「ええ〜……なんで君に言わないといけないの、爆豪……」
『うるっせえ!報連相もできねーのか!テメーはよ!』

学生時代の独断専行が嘘のようなコメントである。君も成長したんだな、爆豪。思わずしみじみとしてしまった。

卒業後も連絡を取り合っている爆豪は相変わらず粗野なところがあるものの、その実力と学生時代からの功績で一躍トップヒーローの仲間入りを果たしている。いまやニュースや新聞で見ない日はない。知名度もうなぎ登り。まさしく期待のルーキーだ。

ヒーローはある程度人気商売である以上、露出の多さが人気に比例すると言っても過言ではない。そして露出の多さは検挙数にも比例している。残念なことに。
たが私は最前線でヴィランをボコるような攻撃特化のヒーローでいたい訳ではない。そこそこに露出があって後方支援に向いているヒーローという認知を世間にできれば充分なのだ。全然足りないけど。

今回のCMででアルキミスタの名前が広まってくれるなら、今回私が感じた恥ずかしさは無駄ではない。要は心を殺せばいいのだ。

いい結果だけ考えるべきだ。これを機にテレビ露出が増えて、コメンテーターの仕事なんかが入ってきてくれればいい。出来たコネクションを有効活用して、安全な後方支援やオブザーバーとしての地位を確立したい。私は引退して安泰な生活をしたいったらしたい。

それには私を最前線で活躍させたい派閥の元A組や発目やらエンデヴァーやらホークスをどうにかせねばならないが……!なんだってみんな私を最前線に送りたがる……!?

組みやすい?そんなこと知るか……!優秀なサイドキックの育成もヒーローの役目だろうが!
そういえばファットガム事務所とナイトアイ事務所からチームアップの要請が来ていたんだった。どうやって断ろうか……。先輩たち容赦ないからな……。いずれにせよ面倒だ。

「あ〜〜、厄介だな……」
『アァ!?』
「ああいやこっちの話……というか、なんか用あったんじゃないの?爆豪がわざわざ連絡してくるなんて」

うっかり落としたぼやきに爆豪が反応した。いけないいけない。余計なことを言いそうなくらいにはこの街の有様に動揺をしているらしい。

『誰だ……』
「は?」
『あの男はだれだっつってんだよ!!』
「あの男……?ああ、CMのこと?」

爆豪の言いたいことがなんとなく分かって、声が上擦ったのが聞こえた。爆豪、ちゃんとどの話か言ってくれないと……話の前提条件の誤認は大きなトラブルに繋がり兼ねないんですけど。ちゃんと確認してください。

『おま、は!?な、に、忘れとんだテメェ!!』
「なんで爆豪がキレるの……」

情緒不安定か、と呆れればさらに声量が大きくなった。どこに爆豪の地雷があったのか甚だ不明であるが、爆豪だけに言わないわけにもいかない。先日同じ内容で電話してきた轟と物間と同じように答えた。

「なんか売り出し中の俳優さんらしいよ?よく知らないけど。ていうかこの歳になってそんなカリカリしなくても……今更キスひとつやふたつ……」
『モブ殺す』
「累計3回目」
『アァ!?!?』






「ねえ……あれアルキミスタだよね??」
「さっき広告見てめっちゃ照れてたね、可愛いかよ」
「でもあのスーツかっこよくない……?ヒーローコスチュームもかっこいいけど、スーツはもっとイイ!」
「ねえ、電話の相手ってさ……」
「やーん、嫉妬じゃん!やっぱあの報道マジなんかな??」




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