百年の孤独ののちに
バレーボール一家で、中学は迷わず名門校を選んだ。センスにも体格にも恵まれた。
兄姉と同じように、その道に進むんだと漠然と思っていた。自分で選んだはずなのに、それが息苦しくて、バレーボールが窮屈に感じた。
なっさけなくメンタルがゴミになってるところを光来くんに見つかった。あっさりやめれば? と言われて少し肩の荷物は降りた気がしたけど、それまでやっていたバレーを捨てるまで思いきれなくて、中途半端なままバレーを続けていた。
「昼神、お前に15歳以下のユース選考召集が掛かった。行くよな?」
「―――……、はい」
そんなときに、ユースの選考に呼ばれた。
少し前なら飛び付いたそれにもなんだか飛び付けなくて。どうしようかと悩んでいたら、案の定光来くんに「ごちゃごちゃ考えてねーで行ってくれば?」と言われてしまった。いや、うん、まあそうなんだけど。
「腹一杯なんだし、動かなきゃ腹はすかねえだろ」
「うん、そうだね? (なんだって?)」
シンプルで破天荒。そのくせ、こと身長には拗らせ気味。
自分にないものを嘆くことなく進む姿が、羨ましくもあった。俺にはないものを持っている。それだけでなんだか輝いて見えた。言ってることはときどきわかんないけど。
なんとなく踏ん切りがつかなくて、兄ちゃんに電話したら穏やかな声で、また違う世界が見えるかもよ、と言われてしぶしぶ向かった合宿。
良かった半分、来なきゃ良かった半分。今のところ。
「やっぱ、昼神って昼神福郎の弟なんだな!?すげえ!」
「マジか!サインほしー!」
「いやいやお前そこは直で貰いにいけよ」
けらけら笑う知らないの学校やつ。当たり前のようにその世界に手が届くと思ってんだなあ、と思った。
自分は絶対に大丈夫。もっと上に行ける。じゃなきゃ、ここに呼ばれていない。
そんな自信家ばかりで嫌になる。バレーが好きでも嫌いでもない、中途半端なまま立っている俺がここにいいんだろうか、と心が冷めていくのがわかる。コートから聞こえる音。いつもと同じなのに、いつもと違う音に、心がざわついた。
「オープン!」
「これならどうや、なまえ!……しもた!!」
「く、っ!」
「左手! やるな〜なまえ!ヘイヘイヘーイ!」
「ションベントス〜」
「なまえに感謝やな」
「サムうっさいわ!」
当たり前のことを当たり前に。いつも行われる『すこし難しい』が『普通』になる。そういうレベル。それは恐ろしくて、しんどくて、少しだけ気持ちいい。はずなのに。
こんなにレベルが高いバレーを見ても腹が空かないなんて。俺はいよいよ終わりじゃないだろうか。
キュ、と高い音が鳴って飛び上がる。俺とは違って楽しそうだな、と少しだけ心が軋んだ気がした。
「腹減ったー」
「メシ行こーぜ」
「みょうじ、俺と自主練しないか」
「しません!」
皆が食堂へ向かう中、一部の人間だけが残って自主練をしていた。俺が言うのもなんだけど、ほんと元気だなって思った。あんなハードな練習してさらにまだやるとか。
少し前の俺なら一緒に練習していたと思うけど、今の俺には少しも惹かれなくて、むしろ早くシャワーを浴びて寝てしまいたかった。ここはきらきらしすぎて少し息苦しい。
「そうか。いい機会だと思ったんだが。インナースパイク練習中なんだろう」
「うっ……い、痛いところを……!」
練習の最後は男女シャッフルでチームが組まれて、簡単なゲームを行うのが決まりになっていた。今日のラストは宮侑とさっきウシワカに声を掛けられていた女の子のセットが多かったな、と思い出す。なんだっけ、そう、みょうじなまえ。
「わ、悪いけど私この人と自主練する予定だから!」
「エッ」
突然ぐい、と腕を引かれてその手の主を見る。さっきまでウシワカと言い合いしていた、そう、みょうじなまえ。いや、ていうか、約束なんてしてないよね。そう言いたくてもバチバチと火花を散らす2人に思わず閉口した。
俺、自分が結構自由にやってるって思ったけどそんなことなかったよ、光来くん。ユースはマジで自由人ばっかでキャラも滅茶苦茶濃い。宮双子とか、佐久早とか。妖怪の中に取り残された人間の気分。
「―――そうか、なら明日だ」
「なっ、なんで!」
「予約制なのだろう?だったら明日のみょうじの予定を抑えるのはおかしくないはずだ」
「〜〜〜っ!〜〜〜!!」
これは反論できない。とっさに誰かの名前出しちゃえばいいのに、と思いながら目を言葉にならない声をあげるみょうじさんとやらを憐れに思った。
せっかくだし、とみょうじさんと少しだけ自主練をすることになった。振り下ろされるスパイクに食らいつくようにブロックを跳ぶ。乱れた二段トスとかダイレクトもちゃんと決めたいって。もっと普通のスパイク練すればいいのに。
男子より低いネットは余裕で手が出る。少しだけ高く跳べたような気がする。ただの錯覚なんだけど。みょうじさんのインナースパイクはそんな俺のブロックを切り裂くように入ってくるから俺もフェイントで対抗するけど、読みきれないことが多い。
スパイクを決めてくるみょうじさんは楽しいと全身で訴えてくるようで、その熱量に引き摺られるように気づけば結構白熱していた。
「昼神くんって、あれだよね。バレーそんな好きじゃない?」
「え」
だから、的確に心の底を見抜かれて思わず変な声が出た。まずいこと言ったかな、と焦ったようなみょうじさんは少し悩んだ後、おそるおそる口を開いた。
「や、その。なんかいつも小難しい顔してるから。練習きつい?」
「いや、べつに、そんな」
「そっか、じゃあなんだろ。ごめん、変なこと言ったね、忘れて」
休憩の間の軽いコミュニケーション。明日雨降るらしいよ、くらいの軽さで何事もなかったかのように元通りになるみょうじさんに思わず狼狽えた。そういえば、俺はこの子のことあんまりよく知らないな。この合宿を思い出して、印象に残った表情にピンときた。
バレーが好きなのは当然で必然。そんな中で、少しだけ違う熱量。みょうじさんはそんなここにいる誰とも違うような気がしたのを覚えている。
「まあ、好きじゃ、ないかも」
もしかしたら、と思ったのは泣いたあの時だけだったのに。今になってぽろ、と零れた言葉は止めるすべもなくそこに転がった。しまった、と思ったけどもう遅い。
「そっか。いいと思うよ」
笑うでも怒るでもなく、ただそう告げてきたみょうじさんに俺が動揺する。そっかって。そっかって。そんな簡単に。
「私は皆みたいに代表になりたいとか、ユニフォーム着たいとか。あんまり興味なくてさ」
それが原因で相棒に怒られたんだけど、と苦笑するみょうじさんはボトルを握る力を少しだけ強くしたように見えた。
「バレーが出来れば、どこでも、誰とでもいい。たぶん。そう思わないようにしてるだけで、本当はそう思ってる、と思う。わかんないけど」
絶対秘密だよ、と笑うその笑顔にすっと、心が凪いだ気がした。
ああ、こいつ。コートに『ひとり』だ。
俺とは違うベクトルで孤独だと思った。
俺はそんなにバレーが好きじゃないのかもしれない。だから、今、こうしてひとりだと思っている。きっと。でもみょうじさんは違う。
バレーが好きで、それ以外は見えていない。ただ自分とバレーしか見えていない。自分を肯定するためにバレーをして、その脆い肯定で塗り固めた鎧を頑丈にするために練習をする。脆くて、でも頑丈で。そんなアンバランス。
独善的で、孤独で。少しだけ歪で。チームスポーツとしてはあまりに欠けている。積み重ねた技術と相反する自分への不信感。そのバランスが絶妙に均衡を保っている。
少し触れば崩れてしまうような危うさが、少しだけ怖くて、少しだけ触れてみたいとも思う。そんなみょうじさんのアンバランスさから、目が離せなかった。
だからか、みょうじの周りには人が集まる。ウシワカも佐久早も、きっとなんて言っていいかわからないアンバランスさに惹かれるんだろう。
きっとここにいる中で、俺だけが分かるみょうじの孤独と、本質。
そして。
一方的なシンパシー。ひとりなのは俺だけじゃない。その事実にただ安心した。
「みょうじさんは、さ、バレー好き?」
「好きだよ、でも時々息苦しいときはあるかも」
「……そっか」
「ちょっとお揃い?」
「そうかもね」
2人で小さく笑った。他の奴には言えない内緒話だ。よし、とみょうじさんが立ち上がった。
「ひとまずこの合宿はなにも考えずにバレーしよ」
「何も考えずに?」
「選考とか、代表とか、送ってくれた皆の気持ちとか。そーいうの全部抜きにして頭のからっぽにするの」
いたずらっ子みたいな笑み。みょうじさんの表情はころころ変わる。
「違う景色みえちゃうかも」
ああ、仲間のような、そうじゃないような。難しい子だ。
「みょうじさんってさあ…………ほんっと、バレー馬鹿だよね〜」
みょうじさんと話してると小難しいことを考えるのが馬鹿らしくなってくる。だって、この子の根底にあるのはどう足掻いてもバレーが好きっていうことだけなんだから。
「なっ!? あー、ん〜、確かにそうかも……。昼神くんは」
「幸郎でいいよ、昼神いっぱいいるし」
「え、あ、さ、さちろーはさ、」
そう言ってみょうじさんはふわ、と眩しいものを見るかのように笑った。また違う表情。
「きっと自分に厳しい人だから、少しだけ諦めていいと思うよ」
少しだけ。諦める。
そう、と。いたずらっ子みたいに笑ったみょうじさんの表情を見て、その言葉が少しもマイナスじゃないことが分かったら、ストン、と腹になにか落ちた気がした。
ああ、俺、腹へったかも。
結局、俺はUー15には選ばれなかったけれど、みょうじさんの活躍は追っていた。女子の国際試合。中国戦の次、カナダ戦。ノッているみょうじさんは止まらなくて思わず動画に釘付けになる。ああ、やっぱり自由って、いいな。そう思ったら少しだけ楽になった。
「昼神、何見てんだ?」
「光来くん。見てみる?タメの女子の試合なんだけどさ、こいつが意外と面白くて」
キロリ、と動いた目に見つかった、と思うと同時に、少しだけ惜しく思った。
もう少し、俺だけのものにしておきたかったな。