天をも食らう魚


初めてそいつを見たのは、春の新人戦だった。

中1の全中、控えのセッターとして出てきたそいつは、本当にセッターと言っていいのかわからないくらい、コートのどこにでもいた。それこそセッターよりスパイカーとかオポジットの方が向いてるんじゃないかと思うくらいには。

みょうじー、と名前を呼ばれてそいつが返事をした。なまえ、ナイッサー、という声と放たれるサーブ。女子にしては珍しいスパイクサーブ。みょうじなまえ。へえ。いいサーブ。

名前を知ったきっかけは、確かそんなだったと思う。正直よく覚えていない。ただ、きらきらと輝くビー玉みたいな目と、苦しいくせに笑いながらボールを追うその姿だけは、目に焼き付いた。





中学2年。男女合同で開かれたJOCの選抜合宿。
俺とみょうじが初めて話したのはそんな時だった。大会でちらほらと見ていたみょうじと、試合以外の理由で同じ体育館にいるのは少し新鮮だった。

合同とはいえ、チームが違う以上基礎練以外は男女別で行われる。少し離れたコートでサーブを打つみょうじはさらに威力とコントロールを上げたらしい。コートのギリギリを狙っていく攻めサーブに勝手に好感を得た。

全体練習を終えて、自主練の時間になると疲れの見える女子たちが引き上げていく。ハードな合宿だ。体力がねえ奴は早々に部屋に戻っていく中で、みょうじだけが男子に混じってひたすらにボールを追っていた。なんでそんな男に混ざってまでバレーすんだよ。

よくやるな、と思っていたら木兎に自主練に誘われた。こいつは本当に見境がねえ。そして肝心の木兎はさっさとどこかへ行った。みょうじも木兎に付いていくかと思ったら、残ってそのまま俺を見上げてきた。

「あ、えっと、佐久早君、もし良かったら一緒に練習どう?」
「やだ」
「だよね……」

やだ、とは言ったが、木兎との練習が面倒なだけだ。終わらねえし。けど、俺はみょうじのバレーへの姿勢は、正直嫌いではない。ひとつひとつの動きを確認して、丁寧に反芻するそのひたむきさが、なんとなく目に留まる。

背中がしんどいと叫ぶのに、顔は全然そう見えなかった。バレーを自由に、楽しそうにやる奴だなと思った。

「お前、名前なんての?」
「? みょうじなまえだけど…」

本当はお前の名前も、プレースタイルも知ってる。けど、まさかそんなこと言えねえから黙っておいた。

「女子なのになんでここにいんだよ。ネットの高さ違うしやりづらくねえの」
「あー、まあ、そりゃちょっとはやりづらいけど……」

疑問に思ってたことだ。どうしてそんなにひたむきでいられる。どうしてそんなに真っ直ぐいれる。 そう聞くとみょうじは困ったように笑った。いやお前笑う要素どこにあんだよ。

「でも、こんな上手い人たちと練習しないなんて、勿体ないなって。それだけだよ」
「勿体ないって……それだけかよ」

冗談だろ。勿体ないってだけで、このキツい合宿でさらにバレーすんのかよこいつ。すこしだけ呆れた。さっきからこいつには呆れてばっかだ。内心でため息をつくと同時に、ピリ、とすこし肌を刺すような感覚。

みょうじの雰囲気が、少しだけ変わった。なんだ、と思って見れば、変わらない透き通ったビー玉のような目が俺を捉える。ぞっと何かが背中を駆けた。

「うん。練習で出来ないことは本番でもできない。そう思ってるから練習は手を抜かないって決めてる」
「……へえ」
「誰かから盗める技術は全部盗むの。それが一番だから。それに、私は、なにかひとつじゃなくて、全部出来るようになりたい。だから、あるモノは全部徹底的に磨きたい。それには、練習しかないから」


ストイックだと思った。


俺と同じか、それ以上に。そして強欲だとも。なんでも出来るようになんて、なれるわけないだろ。無駄な努力なんてそれこそ無意味だ。そう思うのに、自分の言葉に嘘がないと、みょうじの目が伝えてくる。そうか、こいつ。

勝つための努力を、きちんと積み重ねている、正しいバレー馬鹿だ。

みょうじの言葉も、行動も。全部がそれで繋がる。バレーしか見えてなくて、それが危うくて。そしてその危うさに、意識が持っていかれる。いつでも100%を出せるように、常に備えられる。そのためのキツイ練習も体力作りも耐えられる奴だ。

少なくとも、嫌いではない。

「ふぅん…俺にはその価値あんのかよ」
「え、あ、さ、佐久早?う、上手いよもちろん!私、勝手にお手本にしてて……その、ずっと見てたいって思ってる」

なんでそんな恥ずかしいことストレートに伝えてくんだよ、とか言いたいことは色々あったが――ただ、俺もこいつのプレーはもっと見たいと思ったの事実。

「…明日なら」

一度しか言わねえから、よく聞けよ。

「明日暇なら、自主練」

そう言うと、ぱああ、と晴れた顔になった。本当にバレーにまっすぐなやつ。





そんなみょうじが、大会から姿を消した。

大会にも、合宿にも、部活にも。みょうじの姿は見えない。どこに行ったんだ、とあいつの相棒に聞いても知らないと言われて、思わずため息こぼした。

どこを探しても見当たらないその名前に、初めて合宿で見たときのみょうじを思いだした。たった1人でもコートに立ち続けるんだと思っていたが、どうやら買い被りすぎだったらしい。
なんで、バレーから逃げてんだよ。内心で舌打ちをしても、みょうじの姿は一向に見付からなかった。

ふとしたときに、あのビー玉みたいな目を思い出す。色んな試合をやっても、あの綺麗で透き通った目を持ってるやつなんかいなかった。あれは、みょうじだけが持つ特別ななにかだ。もう一度、あの目が見たい、と思っていた。真っ直ぐで、透き通って、少しだけ独善的な。

だから、その姿を見つけたときに思わず声を掛けたのはしょうがねえ。

「お前は、どこでなにしてんの」
「〜〜っ、」

たまたま本屋で見掛けたときに、時間が止まったように感じた。なんで、ここに。そう言ってしまえば、俺がずっと探してたみたいになりそうで、偶然を装おって声を掛けた。いつもより口数が多くなる。焦ってるなんて、思いたくねえ。

驚いて固まるみょうじに思っていたことを聞けば、気まずそうに視線を外した。そして理解した。逃げたなこいつ。バレーから。

理解したと同時に、なんで、と思った。なんで逃げんだお前。そんなにバレーが好きなくせして。孤独も独り善がりも、全部飲み干してここまで来いよ。俺が一緒に練習したくせに、そんな中途半端な理由で逃げるなんて、許さねえよ。

俺と練習して、技盗んで。若利君からあそこまで言われてるくせに、なんで諦めたフリなんかしてんだ。本当は誰よりも諦めたくなんかねえくせに。

「物足りないんだよ。お前がいないと」

どうせお前は、バレーを嫌いになんかなれねえんだ。いいから上がってこいよ、ここまで。それを言うのはなんだか癪に触るから言うのはやめた。
どうせ俺と同類だ。いつかは帰ってくんだろ。戻ってこないなんて、絶対に言わせねえ。あえて言ってやる。1度しか言わねえ。

「だから、早く戻ってこいよ」

これ以上、待ってる、なんて女々しいこと俺に言わせんな。








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