爆弾を抱えて夏に立て籠った

昨日1日中降り続いていた雨は夜のうちに止んだらしい。
まさしくセイウンスカイのような透き通るような空が広がっている。夏らしいギラギラとした太陽が朝から地面を照らしていた。爽やかな日だ。文句なしの夏の1日。

「差せ、させぇえええあああ!!!!」
「いけ、まくれ、まくれーーー!!」
「あーーー!くそ、ふざ、10万賭けたんだぞ!」

まあ。太陽以上にギラギラしてるおっさんたちが大量にいるけど。

1600mのコースを内から強引に突っ込んでいった馬の鼻先が、ゴールラインを割った。悲嘆と歓声と怒号が音の波となって競馬場を包み込む。そんな声と散らばる馬券をよそに、掲示板に表示された結果を見て思わずガッツポーズをした。

よし、今日は単勝で賭けて正解だった。気まぐれで大穴にも投資してみたけど、思った以上の成果になってびっくりである。しかし、100万円を超えたのは誤算だった。お金貰うとき面倒くさいやつじゃん。あんま年齢がバレるようなリスクは背負いたくないんだけど。

とはいえ大損するよりはいいか。3連単で買ったら大損してたな、と自分の勝負運の強さに内心で拍手すると同時に、隣で眉間に皺を寄せる男を覗き込む。

「あーあー、だから言ったのにさあ。甚爾くんってば私の話聞かねーで三連単なんか買うから。ご愁傷様」
「うっせ……っち、あそこから突っ込んでくるなんざ想定外だっつーの……」
「おいおい、読み切れなかったのを馬のせいにするなよ三流〜」
「ア?殺すぞガキ」
「はあ〜?これ要らないの〜?120万の当たりば・け・ん」

にやにやしながら甚爾くんの敗北を笑えば、案の定物凄い眼光で睨まれた。人間を数人殺しているような視線だ。この男本当に堅気なんだろうか。まあ、ヤクザにはもっと効率いいお仕事があるだろうからこんなところにいる訳がないけど。

あー怖い怖い、と思って当たり馬券を振れば視線が猫のように動く。めっちゃうけるな、これ。
120万くらいならくれてやっても全然かまわない。この男を笑ってやるにはそれくらいの金は必要だと思う。
ここにいる人間の大多数は、大金を目にすると文字通り顔色を変える。最初はそういう気がなかった人ですら、どんどんと転落するように顔つきが変わって、欲望の濁りを色濃くしていく。特に後がない人間ほどそれはわかりやすかった。本能に従順で、時として猿以下のなにか。人間って、大人って、馬鹿で、最高に愚かだ。

だからこそ、この男の存在に強烈に惹きつけられた。

冬も夏も、一貫して真っ黒な服を着ている甚爾くんは孤高な黒豹のような男だった。お金に遠慮なく寄って来るところは都合のいい時だけ寄って来る野良猫のそれだけど。
それでも、どこか冷めた目で熱狂的な人たちを見るその目が絶対的な強者のそれだった。この場にいる誰よりも強く、狡猾で、草食動物の羊の群れの中には決して染まらない無二の色。

こうして競馬場で声を掛けるようになってからもう半年ほどの付き合いになるのに、未だに甚爾くんのことが良く分からない。特になんの仕事をしているのか、苗字は何というのか。そこは私が踏み込めない明確な線引きだった。
踏み込めばこの心地いい関係が終わりそうな気がした。きっとこの関係はお金では買えない。子供とはいえ、それは分かる。

甚爾さんは不思議な人だ。懐はそんなに寒くないはずなのにお金を求めている。それでも必死さはないから急ぎじゃない。
負け癖はないけど、勝ち負けに対する執着は薄い。結果としてプラスになるなら過程は問わない。慎重さと思い切りの良さの使い所が少しだけアンバランス。

そして、しがらみとか、縛りだとか。そういう余計な重荷を背負わない人間の奔放さと強かさを持っている。

羨ましい、と思ったときには声を掛けていた。そうして、私と甚爾さんとの関係は始まった。昨年の冬のことだ。





競馬場に来てみた。よく分かんねーが、手っ取り早く金を増やすならここだろ。

そんな安直な考えに従って競馬場は思いのほか綺麗だった。もっと小汚ねえジジイや酒飲みのクズばかりかと思いきや、まともそうに見える人間も多い。圧倒的な堅気の世界だった。まあ、そりゃそうか。ルールを守って金稼ぎなんざお綺麗な堅気以外のなんでもねえ。

中には俺と同じ目をした奴もいたが、おおむね健全な世界だった。薄暗い金を堂々と使う人間はあまりいないらしい。
寒々しい空とは違って俺の懐は温かった。雑魚術師を2,3人をブチ殺すだけの仕事は思ったよりも簡単にことが運んで、あっさりと700万が手に入った。もろもろ掛かった金を考えりゃ手元に残る金は減るが、それでもまともに働くよりはマシだ。

見よう見まねで機械を操作する。馬のことは良く知らねえが簡単なルールくらいは分かる。適当に選んだ数字を入力して、金額を入れた。50、60万くらい賭けりゃいい塩梅で戻ってくんだろ。
最後、購入するためのボタンを押そうとしたとき、はあ!?というでけえ声が響いた。

「は!?その金額を!?これに!?バカじゃねえの!?」

うるせえ。明らかにガキの声だった。俺の手元を見ながらそう叫んだそいつは、やっぱり上から下まで見てもガキだった。ガキに用はねえし、俺の馬券にケチつけんな。

「いやいや待てって、ぜーったいこっちだって!!悪いこといわねーからやめとけって!」
「うっせーな!俺はコイツに賭けんだよ、ガキはあっち行ってろ」
「あーそうですか!負けても知りませんよーだ!!」

舌打ちしても睨んでも怯む気配なんざ全く見せねえ。肝が据わってんだか、ただの破滅的なバカか。いずれにしても迂闊でバカなガキだと思った。ほっときゃいいものをわざわざ構ってくるなんざ意味がわからねえ。

馬券を買ってそのまま撒こうとしてもガキは着いてきた。うぜえ。うるせえのは勘弁だ、と思いながらもいざレースが始まれば黙る以上追い払う理由もなかった。それよりもだ。

俺の予想は見事に外れてかすりもしねえ。でもこのガキの買った馬券は的中の嵐だった。大の男どもが一喜一憂の阿鼻叫喚の様相だというのに、このガキは喜びもしねえ。くそ、なんでこいつは当たんだよ。
気づいたら無性に腹が立って次々と馬券を買っていた。4レース目で大外れした。くっそ、と悪態をついたのが悪かったらしい。

「まだ賭けんだあ、やるね」
「次は……わかんねえだろ……つーかどっかいけクソガキ」
「え〜、じゃあ勝負しよっか。次、おじさんが勝ったら配当金プラスこの財布の中のお金あげるよ。そんかわり、私が勝ったらおじさんの名前教えて」

にやにやとぶち殺したくなる笑みを浮かべて、そいつは財布を掲げた。配当金で膨らんだ財布だ。200枚は超えるだろうそれを掴んでガキは笑った。ナンパにしては最悪の部類だし、そもそも俺はガキに興味はねえ。

ただ金は欲しい。つーか、普通にスッたせいでさっきまで暖かった懐が急激に冷え込んでいやがる。俺は勝負に乗った。コイツから200万巻き上げりゃ、今日の負けをチャラに出来る。





「ほら見ろまた負けた〜。ほらほら、これっしょ?この分厚いお金の束が欲しかったんやろ??」
「殺す」

パシパシ、と札束で頭を軽くはたかれる。こいつは殺そうと思う。
結果として俺は負けた。コイツは勝った。座ったまま馬の捌けた芝の上を睨み続けていた俺に、隣に立ったガキがごめんごめん、と反省の色を見せた。おせえよ。

「お詫びに半分くらいあげるよ」
「いらねえのか」
「お金が欲しいわけじゃないって言ったら、おじさん私のこと殺しちゃう?」

そう言って札束をぶらつかせたガキは、試すように笑った。半分つったってそれなりの額だ。そもそもこんなガキが手にできる金額でもねえ。
もっと惜しんでもいいはずの金をこいつはあっさりと捨てて、命乞いとは縁遠い声色を滲ませながら、じっと俺を見ている。

腹が立つことに、このガキは俺の底を見定めようとしている。
気に食わねえ。舐め腐った態度のこいつ殺してやってもいいが、そうすればこのガキの策略にまんまと乗ることになる。そっちの方が癪に障った。

「……オメーみてえな乳臭えガキどうこうしねえよ」
「うっわサイアク。キモイ思考回路やめろよおっさん」
「良く回る口だな。望み通り殺してその金ブン取ってやろうか?」
「あんたに比べたら頭も回りますけどね?つーかこんな端金で人生棒に振るわけ?人に利用価値も見いだせねーつまんない人生送ってんね」

ああ言えばこう言う。口から生まれてきたとはこういう人間のことかと感心を通り越して呆れた。
殺そうと思っていた気があっさりと晴れた。考えてみりゃ、俺がわざわざ手を下すまでもねえ。こういう迂闊なガキはそこら辺の馬鹿にいいように使われて、殺されると相場が決まってる。

「で、おじさん、お名前は?」

ガキが札束を掲げた。まあ名前を教えるだけで100万入ってくんだ。別に安いもんだろ。どうせ同業の間じゃ名前なんて隠しても意味がねえ。教えてたらさっさと金をブン取って帰るとするか。

「……甚爾だ。おじさん言うんじゃねえ」
「ふうん、私は苗字名前。よろしくね、甚爾さん」
「あ?誰がてめえみたいなガキと――」
「競馬、勝てるようにしてあげよっか?つーか、ご飯いかない?奢るよ」

ガキだろうが女は女だ。女の誘いは断らねえと決めている。





夏のクソ暑いなか、苗字はラーメンを啜りながら半熟卵の蕩け具合に分かりやすく目を緩めた。ガキらしいなんも考えてねえ笑い方だった。
苗字と賭けたレース数は両手では足りなくなった。茹だるような暑さは続くが、夜にはマシになる。それだけの時間が経っていた。

「甚爾くん賭けあんま強くなんないね、見た目強そうなのに。もうソッチ系の用心棒でもやったら?稼げるよ、たぶん」
「考えとくわ」

流石にもうやってる、とは言えねえ気がして適当に返す。
今はこの金蔓でも依頼人でもないこの関係が少しだけ面白かった。なにより悩みひとつない、世界の汚さを知らないこの顔がいつか歪む様を見てえ。

強いて言えば気分が乗った。それだけだ。



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