ナイストューミーチュー!

「樹君!」

七海さんの叫び声と同時に目の前にいた呪霊の体がぶわりと膨れ上がった。あ、これ、ヤバいやつじゃね?

ぞ、と背中に走った嫌な予感に逆らうことなく身を引いたけど、遅かった。虫が這っていくみたいにぞわぞわと黒い闇が広がっていく。は?こいつ領域展開できんの!?嘘だろ!?やべえ完全にしくった!

抗ってもすごい勢いで黒く塗りつぶされていく視界に盛大に舌打ちを零す。七海さんまで巻き込まれなくてよかったけど、俺の呪力量じゃ太刀打ちできない、やばい詰んだ。
そう思った瞬間、今度は真っ白い光の中に閉じ込められた。うっ、ま、眩しい……!なに、俺死んだの!?ここどこ!?天国!?

なんて思った俺が恐る恐る目を開けると、目の前にはざわざわと人が行きかう景色が広がっている。待って待って??俺このスクランブル交差点見覚えあんだけど??
つーか、ここ、渋谷?まだ渋谷あんの?
背後を振り返れば電車の車両と頭のもげていないハチ公。うお、え、マジで!?

「は?え?なに?渋谷??」

なんで渋谷こんな平和なの?




七海さんと渋谷事変の事後処理任務に行って、呪霊の領域展開に巻き込まれた。うんうん、オーケー。合ってる合ってる。

でも目を開けたらその渋谷が今までみたいに沢山人がいるなんて思うわけないじゃん?
ピコピコ鳴るスクランブル交差点にはすげえ沢山の女子高生がいるし、皆ルーズソックスをだるだるにさせてぎゃはぎゃは笑ってるし。平和すぎてやべえんだけど。

え?つーか過去だよね??さっきスクランブル交差点渡ってった肌真っ黒のアフリカの部族みたいな恰好した女の子?いたけどあれ女の子でいいんだよね??
まさか随分昔に流行ったっていうヤマンバギャルってあれのこと?一周回ってこわくね?

俺、2018年に生きててよかった……としみじみ思いながら情報収集のためにスクランブル交差点を渡る。
109前には沢山の人がいるし、センター街にはHMVが黒とピンクのネオンを光らせている。歩く兄ちゃんたちには明らかチャラ男と学ラン・ボンタンのテンプレート不良の割合が多い。
夏油先生の学生時代の写真で見たことある恰好だ。進研ゼミでやった〜と思いながらチラチラ視線を送って分かった。

ここ、マジもんの、過去の渋谷だ。

多分、領域展開で仮想世界の渋谷に来てるか、逆行してるかどっちか。そうじゃなきゃ説明つかない。
みんな持ってるケータイはガラケーだし、スクランブル交差点の巨大モニターの枚数も全然少ない。コンビニに入ってジャンプを手に取ったら表紙がいち100だった。つい読んじゃったけど。
発行日は2000年代も始めも始め。やっぱり〜〜と思いながらコンビニを出てうろつく。

なんでこんなことになったんだよ〜〜!真人からようやく男の体を取り戻したのに、今度は過去にトリップってもうほんとどうかしてんだろこんなん!この中に責任者の方はいらっしゃいませんか〜〜!?お殴りいたしますわよ〜。

まあとはいえそこまで絶望する必要もない。
七海さんが俺が領域展開を喰らったことを知っているから、助けてくれる可能性は高い。これが禪院直哉だったらたぶん俺は放置されてたと思うけど、大人オブ大人の七海さんは絶対にそんなことしない。たぶん今頃どうにかしようとしてくれているはず。

ならば俺が出来ることと言えばこの領域から逃げ出す方法を探すか、あの呪霊を倒すかのどっちかしかない。
しばらく歩いたけど少なくとも近くに領域の終わりはなさそうなので呪霊を倒すのが一番手っ取り早そう。あとは高専に助けを求める。今んとここれが一番有力。

「おお〜、この時代にはもうICカードあるんだ、助かる〜」

ピッ、という慣れ親しんだ音を聞いて俺は山手線に飛び乗った。目指すは高専!五条先生たちの若い頃に会えたりして!




なんていう幻想はあっさりと砕かれた。なんと高専が存在しなかったのである。
見慣れた道を歩いても高専のこの字もないどころか、山があるだけだった。天元様が恥ずかしがってんのかな〜?と思ったけど、やっぱり高専はどこにもなかった。嘘だろ、嘘だと言ってくれ。

地元の人にも聞き込みしたけど高専は見つからなかったし、当然術師とも出会えてない。ただ蠅頭はうろうろしてる。マジか〜、え、マジか〜。
呪霊はいても術師はいないんじゃ、とあまりにも考えたくない結論が出て来てしまって俺は再び戻った渋谷の、適当に入ったマクドナルドでシェイクを啜った。チーズバーガー80円だって。安。はい、現実逃避です。

だってこの世界、無茶苦茶なのである。スマホが使えないのは分かるけど、なぜか俺の銀行口座はあったし、俺も存在していることになっている。
元の家は全然違う表札だったから多分ただ存在してるだけなんだと思う。住所不定無職の爆誕である。分かりやすく詰んだ。

しかし、今日寝る場所がないのは流石にキツい。俺はもうふかふかなお布団で寝たかったの。わかる?そもそもあの呪霊の領域に巻き込まれる前に、何十体と呪霊倒して疲れてんだよこっちは!はあ〜〜イライラしちゃうね!パンチングマシーンどっかにねえかな。

いやどうしようかなマジで、とシェイクのストローを咥えながらセンター街から少し外れた道を歩く。終電間近なこの時間に目立つところをうろうろしてたら警察のお世話になること間違いない。
路地裏に呪詛師でも落っこってねーかなあ〜そしたら色々聞けんだけどな〜〜。そう思っていたら目の前を歩いてきた人に軽くぶつかった。やべ、考え事しすぎてた。

「すいませ」
「いてぇ〜〜!いてぇよぉ〜〜!ぶつかって肩折れちまったよ〜〜」

いやお前ギャグかよ。思わず笑いそうになるのを堪える。やべえコントみたい。なんて思ってたらどこからともなくぞろぞろとトラディショナル不良スタイルをした人達が集まってきた。え?なに?フラッシュモブ?

「テメエどこ見て歩いてんだ、アァ!?」
「マサくん傷つけた落とし前どうしてくれんだ!?オイ!」
「いやぶつかってきたのそっちじゃん……つーかマサ君姫扱いキッツ」

大人数で俺を囲んだ奴らは口々にマサ君とやらを弁護し始めた。これで骨折れてたらマサ君は体が弱すぎるのでもう少し鍛えた方がいいと思うよ……。俺悠仁ほどゴリラでもないし、甚爾さんほど規格外でもない普通よりの高校生だし。ちょっと術式持ってるけど。

「えーと、で?俺に何してほしいの?金?」
「あ?テメェを殴って金も貰うんだよ、モヤシ野郎」
「そんな筋肉ないように見えんの俺……」

ショックである。確かに俺は筋肉付きにくいタイプだけども!少なくともお前よりは強いと思いますけど!脱いだらすごいんだから!俺だって!夏油先生には負けるけど!

不良くんたちはいいからこっちこい、とさらに暗がりに俺を押し込んだ。これは所謂リンチというやつらしい。ニヤニヤ笑って俺に見せつけるように拳をバキバキ鳴らした。何から何までテンプレート。

とはいえ、少し悩むところである。こっちから手を出せば向こうは引くに引けなくなるだろうし。かと言って殴られるのもあまりよろしくない。だって痛いし。こっちにはしょーこ先生いないから自分で治さないといけないし。一度絡まれたらこの後も絡まれるのは想像つく。……ん?待てよ?これ、案外悪くないのでは?

「術師探すならこういう界隈の方が噂が集まりやすかったりする?てことはちょうどいいのでは?」
「ごちゃごちゃうるせーんだよ!大人しく殴られりゃ半殺しで済ましてやるよ」

そう言ってニヤニヤ笑ったマサ君の取り巻きが俺の腕を拘束した。まさかのタイマンでもないやり口に、こいつ案外慎重派なんだなと呆れた。
お前さっきまで俺のことモヤシって言ってたのに、そのモヤシに対してこの仕打ちシンプルにやばくない?弱いって言ってるようなもんだけど。

まあ、でも、ちょうどいいか。

バキ、と音がして頬に思い切り衝撃が来る。でも全然痛くない。はっきり言って東堂先輩の平手とか、五条先生のマジデコピンの方が100倍痛い。まあ、呪力込みのときと比較してるからアレだけど。口の中をわざと切って血を流す。よしよし、これで動かぬ証拠が出来たわけだ。

「――ねえ、俺今殴られたよな?」
「ア?何言ってんだ。テメエはこれから殴られんだよ、泣きながら財布出すまではなあ」
「へえ、怖い〜、樹くん泣いちゃうかも」
「泣くまで殴ってやるよ!」

マサ君が振りかぶってもう一発、と腕を伸ばした瞬間拘束された腕を振り切ってしゃがんだ。となるとマサ君の拳は取り巻きに直撃するわけで、俺が再び立ったときには伸びた取り巻き1号と怒りでぶるぶる震えてるマサ君がいた。

一応仲間意識はあるわけね、呪詛師ばっか相手にしてるからなんかちゃんと仲間意識あると安心感湧くな。とはいえ、これで反撃する理由としては充分。

「てっ、てめえ!よくもサトシを!」
「この野郎!殺す!」

その言葉にげんなりした。殺すって。こちとら殺さないように手加減するの大変な未来しか見えないんですけど。仕方ないが、マサ君たちには悪いが俺の領域脱出計画の礎になってもらおう!

「こちとら常に命張ってんだよ、掛かってこいや!」

伊達に夏油先生と甚爾さんに興味本位でステゴロ仕込まれてねえんだよ!

そう思いながら夏油先生に仕込まれたサマーソルトをマサ君の顎にブチ決めるようと足をあげた。これは顎入ったなー、なんて思ってたらふ、とどこからか足音がして思わず意識が逸れた。
は?なに?と思う俺の視界をとんでもないスピードで黒と金色の何かが通り過ぎていった。待って待ってちょまっ……!?

―――あ、やべ、足止まんね。

慌てて止めようと思った蹴りは意識が逸れたことで俺の制御から外れた。あっ、待て待て待て!それはまずい、そんな助走たっぷりの飛び蹴りはまずいって!!

奇しくも俺の蹴りが顎に入ったのと同じタイミングで、どこからともなくやってきたソイツの飛び蹴りがマサ君の頭に綺麗に決まった。
右の顎に入る俺の蹴りと左の米神に入るそいつの蹴り。それぞれ左右から力が加わったマサ君の頭が歪むのがスローモーションで見える。ざあ、と俺の血の気が引いて気付けば俺は叫んでいた。

「ま、マサくーーーーん!!」

やばい、こいつ、死んだかもしれない。