今日も種を蒔いて育てた

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私の友達に、とても美人がいる。
こう言ってはなんだけど、美人薄命という言葉がとても良く似合っていて、目を離すとそのうちどこかへ消えてしまいそうな、そんな子だった。

小学校低学年だというのに、生意気にもそんな印象を持っていたせいか、私は友達が遠くへ行ってしまわないようにその名前を呼び続けた。つーちゃん、つみきちゃん、つみき。年月を重ねるほどに呼び方は変わっていったけど、私は津美紀を呼び続けた。

そんな明くる日、津美紀の親が蒸発した。跡形もなく。なにやら大人の事情があったらしく、近所に住んでいて交流のあった我が家は、それは実の子のように伏黒姉弟を可愛がった。多分娘の私より可愛がっていた自信がある。なにしろこの姉弟揃って顔がいいのである。小学生にして私は顔面偏差値という現実を突き付けられた。ちなみに母との関係は良好である。

中学になっても私は津美紀を呼び続けたし、津美紀も私を呼び続けた。その一方で、弟の恵くんを私はいつのまにか弟くんと呼ぶようになっていた。
弟くんはいつだってぶっきらぼうに私の名前、と呼んできたし、お前らまた一緒に遊ぶんか、みたいな視線を向けてくるのであんまり好かれてないんだろうな、と勝手に思っていた。

本当のところは別の理由があった。弟くんのことを前のように恵、と呼ぶと弟くんのファンがうるさいのである。いつだったか廊下で弟君を恵くんと呼んだら次の日上履きが消えた。怖すぎる。名前を呼ぶのもだめとかブラック校則以外の何物でもない。せめて生徒手帳に書いて欲しい。暗黙の了解を破ったら制裁などどこの話だ。今時ヤクザだってもう少し優しい。

それ以来私は徹底して恵くんのことを弟くんと呼んだ。恵くんは興味なさそうだった。思春期、反抗期の男の子なんてそんなものだろう。
現に弟くんは学校内でも津美紀にハリネズミのごとく全方位にツンツンしてるし、俺に触んな火傷するぜを背中で語る男だった。不良をなぎ倒して帰っていく姿はまさに、伏黒恵はクールに去るぜ、と言わんばかりだった。




そんなおり、津美紀が寝たきりになった。
なんか深刻な病気らしいけどよくわからない。ただひたすら、津美紀は眠った。毎日病院に行っては津美紀に起きてくれと願っても、津美紀の瞼が動くことは一度だってなかった。流石に泣いた。
3か月を過ぎたころ、さすがにこのままではまずいと思い始めた。

津美紀が目覚めた時に、私が津美紀に依存しているように見えれば津美紀は多分怒るだろう。簡単に予想がついた。普段から常々言われていたことでもある。
あれで津美紀は強かな女である。廊下で自分の弟にいちごジュースを投げつけ、甘い汁まみれにする女だ。むしろ私も一撃食らいかねない。記憶の中の津美紀に名前、と呼ばれてぞわ、と背中に寒いものが走った。

そんなわけで、私は交友関係を広げることにした。別に津美紀が怖いわけじゃない。違う。断じて違う。お願い。信じて。

私はそれなりに社交的な方でもある。くだらないドラマの話をして、人気動画の配信者の話をすればあっという間に交友関係は広がって、先日はなんと隣のクラスの男子にも告白されてしまった。人生どうなるか分からんな、そう思っていた時だった。


放課後の人気のない廊下で、私は一本の腕に進路を妨害されていた。


「え、……っとめ……なにかな、弟くん」
「それ」

ひんやりする声だった。ひょえ、と竦みあがる。見下ろしてくる顔のやや上、眉間にはマリアナ海溝よりも深いんじゃなかろうかと思うような皺が刻まれていた。怖すぎる。

「やめてください。他人行儀で腹が立つ」
「いや、あの、でも」

目の前で見下ろしてくる弟くんにどう言っていいかわからない私は、視線を横断歩道を渡る小学生のごとく右左へ彷徨わせていた。右左右、注意して渡れ、と言われ、守り続けていたのに気づけば進行方向どころか退路すら断たれていた。
二度と道路交通員の話は信用してはならないと後世に伝えていく必要がある。遺言は決まった。

「でも、なんですか」

言えるわけない。君の名前を呼ぶと呪われそうなんで呼べません、なんて。
いや流石に藁人形まではされないと思うけど、それでも女子のあの視線、人を殺めたことがあると言われたら10人中12人が信用する。女の嫉妬は怖いのである。というかなんで弟くんは怒ってるんだ。

「その、とくに理由は、」
「昔からあんたは津美紀ばっかり呼ぶ。津美紀じゃなくなったら、今度は別の奴だ」

そっと手を握られた。行かないで、と言うようなそんな緩やかな拘束。硬い、男の人の手。
いつの間にか、年下の男の子だと思っていた恵くんはしっかりと男の子になっていて。本当は強く握ることもできるのに、柔らかな繭に触れるかのように優しく包み込まれる。あつい。指先から恵くんの熱が全身に広がっていくようだった。どきどきと心臓の音がうるさい。

「あんたはいつになったら俺のことみてくれるんですか」

まるでずっと見てほしかったかのような、そんな言い方だった。
憂いを込めた、切望するような声だった。なんで、そんな素振り今まで全然なかったじゃん。病室で2人きりになっても、表情ひとつ変えなかったのに。それどころか名前を呼んでも顔を背けてたのに。

「俺じゃダメな理由ってなんですか」
「だめ、じゃ」

握られた手が少しずつ形を変えて、指の1本1本が絡んでいった。少しずつ侵食してくるような指の動きに、ぞくりと背中が粟立った。恋人がするような、全部の熱を共有するような手の繋ぎ方。

すり、と恵くんの親指が手の甲を優しく撫でた。その撫で方があまりにもいやらしくて、ぞくぞくと何かが駆け上がっていく。こんな手管一体どこで!と内心で暴れる私などお構いなしに、理由がないなら、と恵くんが続けた。

「あんたが俺のこと見るまで、俺も名前を呼び続けます」

恵くんの闇夜を閉じ込めたような瞳が真っ直ぐ私を射抜く。その奥に燻るような熱を見つけてしまったら、もう心臓が持っていかれた気がした。目が離せない。手汗やばい、どうしよう、こんなの、聞いてないよ津美紀。

恵くんが何かを言おうとして薄い唇を動かした。聞いたらだめだ、捕まったら、もう。そんな直感が頭を巡って、その唇を塞ぎたくなった。結局、繋がれた手のせいでそれは徒労に終わったけど。

「お、とうとく、まって」
「やめてほしかったら、俺の名前を呼んでくれよ、名前」

脅しみたいなその言葉を吐く唇に、私の心はあっさりと囚われてしまったのだ。

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