パーシャル劣情

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「いらっしゃいませ」
「こんにちは〜」

一目で品がいいとわかる店内に足を踏み入れると、コートとは無縁のやわっこい香りが漂ってきた。掃除が行き届いている店内は完全会員制のジムらしく、金をかけとるのが嫌でも分かった。

信じられんくらい音を立てん自動ドアの奥にはこれまた綺麗な受付があって、そこには密かに俺が会うのを楽しみにしとる女の子がおった。おっしゃ、今日はついとるわ。
この時間におるっつーことは今日は早番なんやろか。これはいけるんとちゃうか。

「11時からご予約の宮様ですね、お待ちしておりました」
「そんな他人行儀にせんでもええやん、俺と名前ちゃんの仲やんか」
「宮様は大切なお客様でいらっしゃいますので」
「つれんなあ〜」

受付に肘をついてカードを渡す。綺麗に手入れされた爪が見えて、やっぱ清楚系完璧女子は爪の先まで完璧なんか、と思いながら目線の先にある旋毛を見る。なんや旋毛まで完璧に見えてきよった。

ワンさんに紹介された会員制のこのジムには整体院も備わっとって、名前ちゃんはその整体院の受付の子やった。全然崩れん余所行きの完璧な笑顔で仕事も完璧。清楚で可憐で、絵に描いたようなヤマトナデシコ。

そんな話を先生から聞いた俺が、興味丸出しで名前ちゃんに声を掛けて、ドスルーされたんがそもそもの始まりやった。なんやねん、済ました顔しよって。この女絶対いつかゲラゲラ笑わしたる。こういう時関西人の血は厄介や。

しかしもう半年になるんに、未だ名前ちゃんは営業スマイルを全く崩さんかった。それどころか口調ひとつ乱れん。俺のトスか。どんだけ乱れんねん。もはや全然懐かん野良猫に構っとる気分になる。いや、野良猫でももっと懐くやろ。なんやねん、チュールか、チュールがあればええんか。

そんなことを思いながら、キーボードをカタカタいわす名前ちゃんを見る。表情はいつもと全然変わらんかった。相変わらず清楚やし、品があるし、完璧や。

「なあなあ今度ご飯でもいかへん?むっちゃ美味い焼肉奢ったるで」
「申し訳ありません、お客様とのプライベートなお約束は禁止されておりますので」
「ほんまイケズやなあ」

またフラれた。飲みもあかん、イタリアンも和食も、変化球の焼肉もあかん。ほななんやったらええっちゅうねん。そう思って顔を歪めれば名前ちゃんは相変わらず変わらん営業スマイルを浮かべた。

「302診察室です。いってらっしゃいませ」

どないせえ言うんじゃ。




「困ります、離してください」

そんな声が聞こえてきたんは、俺がいつものジムに行く途中の道やった。道の端の方から聞こえてきた声が聞き覚えありすぎて、思わず足を止めて声の方を見ると、おっさんの女の子。というより絡んどるおっさんと絡まれとる名前ちゃんがおった。

顔見知りやし助けにいかんとなんや後味悪いなあ、そう思って2人の声がよう聞こえるところまで歩く。あともうちょい、そう思ったら突然チィッ、と盛大な舌打ちが聞こえた。ん?

「いいから離せっつってんだよ! 休憩上がり間に合わねーだろうが!」
「……あ、はあ!? な、なんやねん、こっわ! なにキレとんね……」
「名前ちゃんやん、偶然やな〜……で、このオッサン知り合いなん?」

やや小柄な男やったから、上から覗き込むように凄んでやったらあっという間に逃げよった。しょーもな。チッ、と舌打ちをひとつ零して、絡まれとった名前ちゃんに向き合うと、えらい気まずそうな顔をしとった。

「あ、ありがとうございました」
「かまへんかまへん、ほな行こか〜」

お気遣いありがとうございます、と気を取り直して営業スマイルでお礼を言った名前ちゃんと一緒にジムへ向かう。休憩終わる言うとったし、行くとこはどうせ一緒やろ。
名前ちゃんの歩幅に合わせて歩いて、どんくらい経ったんやろか。お互いひとっ言も喋らんままあと少しで医院に着いてまう。つーか。

名前ちゃんあんな声出すんやな。

隣を歩く名前ちゃんは今も可哀想なくらい気まずそうにしとるし、触れた方が親切な気ィしてきたわ。滑ったモンにしかわからん痛みがあんねん。俺にはわかる。

「……ああいうことよくあるん?」
「よくはないですが、その、たまには、あります」
「怖かったやろ……ほんなら、名前ちゃんにとっておき教えたるわ」

不思議そうに俺を見上げる名前ちゃんに、俺だけが知っとるやろう事実を教えることにした。

「あのおっさんてっぺんにハゲあってんけどな……」
「可哀想ですね?」
「そんハゲな……ハートマークの形してん」
「……ふ、あはは! ハートマーク……! 似合わな……!」

その笑い声を聞いて、俺は自分の目がまん丸になんのが分かった。初めて見る名前ちゃんの営業スマイル以外の、大輪のような笑顔。
やなくて、俺の視線は口を開けて笑う名前ちゃんの舌に釘付けになった。赤い舌の上にある、銀色の丸い。

は、うそやん。え、こんなヤマトナデシコみたいな子が――舌ピアス、開けとんの?

「あ、気付いちゃいました?」

俺の視線に気づいた名前ちゃんがひっそりと舌を仕舞った。は、と意識を急に引き戻されて思わずまじまじと名前ちゃんを見る。しもた、せっかくの名前ちゃんの笑顔やったのに、もうあの銀色しか頭に残ってへん。

「他の方には内緒ですよ」

そう言って名前ちゃんはもう一度、べ、と舌を出した。どくん、と心臓が大きく波打った。受付をする名前ちゃんが脳裏に過る。あんな綺麗で完璧な営業スマイルの下に、これが隠れとんのか。ぞくり、と背中が震えた気がした。

あかん、俺性癖歪んだかもしれん。


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