やさしきまるのみ
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暗くなる前に帰る、というのが母の定めたルールだった。
再婚した母は私にはとても厳しくて、ぼんやりと暗くなった町に街灯が灯ってから家に入ろうものなら、尻のひとつやふたつは叩かれることもしばしばだった。
私は家に閉じ込められる夜が嫌いだった。私を気持ち悪いとなじって来るひとつ上の兄が嫌いだったし、なによりずっと母の顔を見なければならないことが苦痛でならなかった。
そんなことだから、私は太陽がまばゆいばかりの白から徐々に色を変えていくのを見ると、そわそわと心を揺らした。
ひとしきり遊んで、夕闇から逃げるように橙に染まった道をとぼとぼと歩いて帰るのが常だった。ぽつんと胸に取り残されていく寂しさ拭えないまま、道に積もった砂を踏み鳴らしていた。
いっそ夜が来なければいいのに。本気でそう思っていた。
そんな六月のある日、学校の先生が今日は夏至です、という話をした。一年で、一番太陽が出ている日。昼が一番長くて、夜が一番短い。私は嬉しかった。昼が長いということはそれだけ遊べるということだ。それだけ、信ちゃんと一緒にいれるということだ。
私はそのあやふやな事実だけを掴んで、信ちゃんの元に走った。いつもの神社の境内で膝を抱えている信ちゃんを見付けて飛びつく。
ご機嫌やな、と不思議そうな顔をした信ちゃんに破竹の勢いで先生から聞いた話をした。少し前に鳴き始めた蝉の声がよく聞こえる。
「今日はね、信ちゃんとたくさんいれるんだよ!一年でいちばん!」
「そうなん?」
「うん!夏至の日なんだって!なんかわかんないけど、お昼が長くて、夜が短いの。だから、今日は信ちゃんとたくさん一緒だよ!」
私は教えてもらったことをひけらかした。私にとっては理由なんてどうでもよくて、ただ信ちゃんと遊べることだけでたまらなく嬉しかった。
いよいよ我慢が出来なくなって、私は信ちゃんの手を引いた。ランドセルをいつもの狐の石の下に置いて、私は走った。境内、田んぼの畦道、誰も知らない小さな池。好きなように走っても、引いた手が振りほどかれることはなかった。そんな信ちゃんの優しさが私は好きだった。
泣いていた私に声を掛けてくれた信ちゃんと遊ぶようになったのは、私が引っ越してきてからすぐのことだった。馴染みのない音に、母の厳しい言葉と兄からのちくちくと刺すような言葉。
周りと同じ言葉が話せない自分に苛立って、悔しくて、もどかしくて、とうとう膝を抱えて泣いてしまった。誰にも見られないよう、誰もいない場所を探して。母に見つかればひとたまりもないから、上手に隠れて泣かないといけなかった。
そうして辿り着いた神社で信ちゃんに会った。真っ白の見慣れない服を着た信ちゃんは大層優しかった。私の話を聞いてくれて、頭を撫でた。そうした信ちゃんからのあたたかさに、私はすっかり夢中になっていたのだった。
今日も変わらずひたひたと夕日が忍び寄って来る。それでも、いつもよりその足音を遠くに感じた。今日は、昼が一番長いんだ。その事実に心を踊らせた私は、隣に腰かけて話を聞いていた信ちゃんから出た言葉に驚きを隠せなかった。
「俺はいややな」
「信ちゃん?」
「夜が短いんやろ?」
「でもたくさん遊べるよ?」
せやなあ、と言って信ちゃんは私のほっぺにぺたりと触れた。私と違って泥んこになっていない綺麗な手が、ひんやりとしていて気持ちいい。信ちゃん遊ぶの上手だなあ、と言えばふふ、と笑われた。大人みたいな笑い方。かっこいいなあ、と言えば信ちゃんはそうかもしらんな、と言った。
「やっぱり、夜が短いんは、嫌やな」
「なんで?」
「夜は俺の世界やからな」
「ふぅん。でも私、夜はいやだよ、さびしいし、信ちゃんいないからつまんないもん」
ぴたり、と蝉の声が止んだ。
私たち以外に誰もいない神社が、さらに静かになる。信ちゃんの目が真ん丸になったまま私を見ていて、思わずどうしたの、と首を傾げた。夜は嫌だ。ずっと昼がいい。そしたら信ちゃんと一緒にいれる。
「夜も」
「うん?」
「名前は夜も、昼も、ずうっと一緒やったら、嫌か?」
「うーんとね、信ちゃんとだったら」
いいよ。
ひとり取り残されたランドセルだけが、再び鳴き始めた蝉の声を聞いていた。