過剰にやわいあなたの言葉

▼ ▲ ▼

やわらかな陽だまりの匂いがした。

冬の隙間を縫って届くあたたかい空気が、古びた木造りの部屋に春を連れてきた。そんな気がして目が覚めた。

段々と焦点の合ってきた視界には、可愛らしい春の色が広がっていた。いずれ綿毛になって飛んで行ってしまうその色をぼんやりと見つめていた。
背中に回された腕と頭の下にある腕の感触と、肺を満たす匂いに覚えがあってようやく意識が覚醒し始める。

ああ、悠仁だ。それで、これは、前にデートに行った時に2人で選んだパーカーだっけ。

そういえば今日は悠仁の部屋でお部屋デートしようって話になって、ゲームをして、それで。そっか、寝ちゃったのか。ちょっと勿体なかったかな。それにしても悠仁あったかいなあ。まだ悠仁も寝てるみたいだし、二度寝しちゃおっかな。

寝起きらしい纏まらない考えが頭を支配する。脳が処理しきれなくて、衝動のままに胸元にぐりぐり額を押し付けた。すぐにもぞり、と動くしっかりとした体。起こしちゃったかな、ごめんね。
あー、名前? なんていう寝起きらしい掠れた声に少しだけ色気を感じて心臓が跳ねた。伝わったら恥ずかしいから、なんてことはない顔をして見上げてやる。

「おはよ、悠仁」
「ん、はよ、名前」

まだ覚醒しないのか、悠仁もぽやぽやしてる。可愛いな、と思うと同時に、ふにゃんと悠仁の笑顔が溶けた。ぎゅううと心臓を掴まれるような感覚が走った。普段かっこいいくせにこういう時は可愛いとかずるい。

悠仁とこうして一緒にお昼寝するのは初めてじゃないけど、まだ少しだけ緊張が残る。その証拠に、今もぎゅうと力を込められただけで自分の体が少しだけ固くなった。
付き合って数ヶ月、未だにこの彼氏の距離感っていうのがどんなものなのかわからない。

「ごめん、いたかった……?」
「大丈夫だよ、痛くない」
「そっか、名前ちっちぇから潰しちゃいそうなんだよなぁ……」

ぽつり、と悠仁が夢現のまま呟いた。まだそんなことを言うの、とちょっとだけ気分が落ちる。
確かに悠仁は人より力が強いし、身体能力オバケだし、野薔薇にもゴリラとか言われているけど、私だって呪術師の端くれだ。そんなヤワなつもりないんですけど。
ふん、と鼻を鳴らしてさっきより強く額を胸元にぐりぐりと押しつける。これでもくらえ。

「ふん、どーせ私はタッパもケツも小さいですよーだ」
「いやあれはただの好みの話だって!」
「ふーん、そう?部屋にポスターもあったし、東堂さんと楽しそうに話してたじゃん」

すぐさま覚醒して反応した悠仁にそう言うと、いやあれは東堂が、としどろもどろになった。分かるけど、なんかそう狼狽えられると浮気現場を目撃したみたいになるからやめて欲しい。

いやな女だな、私。
悠仁がそんなつもりで言ったんじゃないって分かってるのに勝手に拗ねて、ポスターと先輩に嫉妬してるなんて、しかも男の。伏黒ならまだしも、よりによって東堂先輩とか。おえ。

勝手に自己嫌悪に陥っていたら、悠仁がそっと頭を撫でてきた。優しく、やわらかい生命を慈しむようなそんな手付き。それがあんまりにも優しいから擦り付けていた頭を止めて、ゆっくり顔を上げた。

ぱちり、と視線が交差する。その途端、悠仁の表情がどこか眠りの残り香の漂うものから、ぴりりとした真剣さを孕んだものに変わった。急なことに驚くのと同時に、その瞳に釘付けになる。お、怒らせちゃったんだろうか。

「俺、名前と一緒にいるときが一番落ち着くんだけどさ」

そう言って悠仁が私の手を取った。私の手などすっぽりと収まってしまうような大きな手に、どうしようもない男と女の差を感じてぞくぞくと背中を何かが駆けていく。
悠仁によって導かれた手がパーカーの左胸、ちょうど心臓の上に置かれた。パーカーの分厚い生地越しにも関わらずドクドク、と大きく脈打つ拍動が私にまで伝わって来て息を呑んだ。

「実は、それ以上に緊張してる」

囁かれるように耳元に落とされた言葉に、思わず肩が跳ねてつられるように私の心臓まで大きな音を出し始めた。
ドッドッと聞こえる自分の心音と、掌から伝わって来る悠仁の拍動が私の中で暴れ回る。

音に支配される気がした。このまま溶けてひとつになってしまいそうになる。なんだか怖くなって、少しだけ力を入れてパーカーを握った。
わかった?という声に辛うじて頷けば、悠仁は少し照れくさそうに笑って、それにさ、と続けた。

「好きな女の子じゃなかったら、俺、横で寝てるだけでここまで緊張しねえって」

その一言にぶわりと自分の顔が赤くなるのが分かった。
なにか言いたいのに口からはなにも出てこなくて、ぱくぱくと金魚みたいに動くだけになる。そんな、ずるい、ずるい。不意打ちすぎる。
やだ、どうしよう、こんな顔見られたくない。好きな人の前では可愛くいたいという、なけなしの乙女心が羞恥を燃やす。導かれるようにその胸に顔を埋めた。

「これでもまだ信じてくれねーの?」
「信じ、ます」
「へへ、ありがとう」

そう笑みを溢して悠仁は強く私を抱き締めた。今度は隙間なんてないくらい悠仁と密着する。熱いくらいの体温に、どろどろになりそうだった。冬なのに、どうしてか私と悠仁の触れるところだけが夏のように熱い。これから先の季節を飛び越えてしまったようだった。

「ゆうじ、心臓、また」
「ごめん、名前のこと抱き締めるだけなのに、スッゲー緊張してる」

そんなこと言われたら、もう、何も言えないじゃん。
この伝わって来る緊張も、身体を抱き締めてくる力強さも、私のことを特別に思ってくれている証拠。そう思えば全てが心地良く感じられた。

はあ、と悠仁の吐息が降ってくる。吐息にすら緊張が滲んでいて、そんなに緊張しなくてもいいのに、ともどかしく思った。なんだか欲張りになった気がする。最初はこの背中を見ているだけでよかったのにそれだけじゃ物足りなくなって、今じゃこの人のその特別の、さらに先が欲しい。

「これからは、緊張しなくていーよ」
「無理。たぶん、する」
「そっか」

ドクドクと命を刻む音がする。今はこの音が、ただ愛しかった。

音を止めてしまった心臓。冷たい体。後悔と喪失感。
あの時、言葉にならない感情に沈んでいく自分がいたことが恐ろしかった。それほどまでに、悠仁への想いが大きくなっていたことも。それに自分が全然気づいていなかったことも。

結局、宿儺と悠仁自身によって、彼はまたここに戻ってきた。今までと変わらず、呪術師として。そんな悠仁の未来はいまだ動かない。彼はまだ緩やかに階段の13段目に足を伸ばし続けている。そんなこと、絶対にいやだ。折角戻ってきた命、大事にしてよ。

でも、そんな私のお願いにもいざとなったら悠仁は背を向けるんだろう。誰かひとりよりも、皆を選べる強い人だから。そんな悠仁の強い心に刻まれる音。私の鼓動まで上塗りしていくような、美しい魂の形。

いつか終わりが来るとしても、この一段と早い鼓動を聞くのは私だけがいい。

蒼く揺らめく炎を思い描きながら、その暖かさに再び目を閉じた。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -