盗むのが遅すぎた春先に
あっという間に4月になって、俺と岩ちゃんは2年生になった。
試合にも出してもらえるようになったり、新しいクラスになったり、色々と変わっていく毎日に、俺は結構満足している。

でも、試合に出れること以上に、後輩ができたっていう事実がでかかった。地元の強豪校だからか、入部してくる人数は多いし、実力もバラバラ、癖も強い。ああ、俺らって去年こんなだったのかな、と岩ちゃんと思わず笑った。お前だけだって言われたけど。

バラバラな実力や空気をまとめ上げる3年生たちと1年との間に入るのが俺ら。チームが強くなるために、俺たちがしっかりしなくちゃいけないし、後輩を強くしなくちゃいけない。練習に付き合ったり、俺たちが先輩に奢ってもらったみたいに奢ったり。悩みを聞いたり。

先輩ってこんなに大変で、後輩から頼られることがこんなにうれしいものなんだと思った。去年可愛がってくれた先輩たちの背中が大きく見えたのはここだけの話。そんな纏まり切れてないチームを、繋ぐのがセッターの仕事で、俺はこのポジションに今まで以上に面白みを感じている。

だから、新しくなったチームとやる練習が楽しかった。
どんどんチームの力を引き出していけることが。俺のトスで強くなる皆が。だから、今は名前に構ってる暇なんかない。あの待ち伏せ攻撃がなくなってむしろせいせいする。

そう思っていたのに、いざ無くなったらなくなったで、ふと、ああ、今日もあいつはいないのか、と思ったりした。そろそろ来る時間だっけ、ってふと時計を見るとか。
…いやいや、そんな。なんで俺寂しいみたいになってんの。気のせい気のせい、気の…

「最近名前来ねえな」

同じ事を思ったのか、岩ちゃんも同じように呟いた。ぎく、と肩が震えたけどそれも無視してふん、と鼻を鳴らす。

「ど、どこの中学行ったんだか知らないけどさあ…そもそも中学入学前にジャンプサーブやろうなんて烏滸がましいにも程があるよね!女子だし!まだ体も出来上がってないのにそんな無茶してどーすんの?って感じだし?」

口から出たその言葉に隣からはあ、とため息が聞こえた。うっ。なんでそんな残念そうな顔で俺を見るの!

「お前……ほんっとにクズだな」
「はあ!?岩ちゃんなんでいつもあいつの肩持つ…」
「あいつ、言ってたぜ」

『どんなプロの選手よりも、及川さんのサーブの方がずっと綺麗で、かっこいいから。だから、打つなら、あのサーブじゃなきゃ嫌なんです。あのサーブがいい。及川さんのサーブが、一番、好きだから』

岩ちゃんの口から出てくるその言葉に、思わず目を見開いた。固まる俺を見て岩ちゃんがため息をついた。

「…部活来んなら、その腑抜けた面どうにかしてから来いよ」

そう言ってさっさと姿を消した岩ちゃんを追う気になれなくて、そのままその場にうずくまった。

なんでだよ。なんでそんなこと言うんだ。

辛く当たった。キツい言い方もした。突き放した。

それなのに追い付いてこようとする名前が心から邪魔で、何度もその手を振り払った。正直、俺が同じ立場だったら諦めてるかもしれない。


なのに、なんで。まだ俺の背中追ってくるんだよ。


俺の背中を追ってくれることが、嬉しいってわかったのは部活に後輩ができてから。及川さん、と頼ってくれることが、誇らしいなんて知らなかった。
部活には俺のサーブに強烈な憧れを持ってるやつはいない。あいつと比べてしまうと、猶更。まっすぐに俺を見つめてきたビー玉みたいな、きらきらしたあの瞳が甦る。


あなたのサーブが、いい。


そんな、こと。言われたら。嬉しいに決まってるじゃんか。

なんで、気づかなかったんだろう、俺。あいつは最初から俺の背中を見て、学校も、性別も違うのに、俺だけを目指して来て。俺のサーブとトスにきらきら目を輝かせてきて。嫌になるほど真っ直ぐで、眩しくて。でも、その原動力が俺への憧れなんだとしたら。


ああ、そっか、名前って、チームメイトじゃなくても後輩だったのか。


そう思ったら、自分が名前の才能に嫉妬していたことが急に馬鹿らしく思った。確かに才能あるやつはキライだけど!でも、名前に才能があるかなんてわからないし、分かろうともしてなかった。なんとなく、そうなんじゃないか、って思いこんでただけ、だったのかも。

…え、そう考えると俺やばくない?勘違いで自分より年下のちょっと上手いだけの、しかも女子小学生に八つ当たりしてたってことだよね?うわ、ちょっと待って、俺最低じゃん。

自分の小ささに落ち込んで岩ちゃんにいい加減にしろって怒られて。次に会ったらできるかわかんないけど、ちゃんと謝ろうと思って、名前を待った。県の新人戦もチェックした。でも名前の名前はどこにもなくて。


それ以降。


名前が俺を校門で待つことは無かった。







宮城にも夏が来た。

特にお盆の帰省の時期となった今は一気に人が増えて、駅前は観光客と帰省客でごった返していた。正直、仙台駅はなるべく近寄りたくない。けど、サポーターの新調だとかプロテインが切れたとか、なんだか色んなタイミングが重なって、結局俺と岩ちゃんは駅前のスポーツショップに来た。

あれから俺と岩ちゃんは名前を見ていない。それもそうだ。お互いに連絡先なんて交換してないし。仙台にいるなら会ってもおかしくないのに。けどどこを探しても名前は見当たらない。ちゃんと謝って、今度は教えてあげたいのに、その機会がない。

俺はここにいるから。できるなら懲りずにまた話しかけてほしいと思う。あの時みたいに。

「……及川さん?」

そう、こんな風に。
その声にばっと振り向く。名前!と出かけた言葉は急に尻すぼみになった。だって、そこには俺と岩ちゃんの想像を超えて成長した名前がいたから。え、待って。高いとは思ってたけど、お前いま身長いくつ…。ていうか、これホントに名前…?

「お、おまえ、名前か…?」
「? はい?苗字名前です、お久しぶりです!身長は確かに伸びましたけど…」
「伸びたどころじゃねえよ!俺とほぼ同じじゃねーか!ふざけんな!」
「すいません岩泉さん!わしゃわしゃ辞めて下さい…!」

岩ちゃんに髪をぐしゃぐしゃにされた名前が、少し緊張した顔で俺を見た。きらきらした目は相変わらずで、その目に吸い込まれた。

「あの……!及川さん!たくさん練習してきました。サーブ見て貰えませんか!」
「あ、うん」

いや、あ、うん、じゃないでしょ。俺。次会ったら謝るとか、そんなことが消し飛ぶくらい、名前は育っていた。う、嘘だろ…。






バァン、と大きな音を立ててコートの際に落ちたサーブはあの頃とは比べ物にならないくらいの威力とコントロールで。いや、まだ完璧とは言えないけど、それでも充分試合で通用するレベルだ。

「……は?」
「すげえ上手くなってんじゃねえか!どんだけ練習したんだよ!?」
「1日100本くらいですかね…?よく覚えてないです」

集中すると忘れちゃうんで。コーチにはオーバーワークって怒られるんですけど。私は、どうしても、及川さんのサーブが打ちたい。そう言う名前はキュ、と靴を鳴らして俺に向き合った。

「精度高く決められないのと、威力が上手く乗らないんです。なかなか女子でジャンサやってる人もいなくてコツも聞けなくて…お願いします!」
「……おまえ、いつも踏み切りのときどこ意識してるの?」

そう聞くと、名前は驚いたように目をぱちぱちさせて俺を見つめる。やっぱりあの時と変わらない、きらきらしたビー玉みたいな目。名前と初めて会ってから初めてした、ダメ出し以外のまともなコメントだと思う。

なんでそこまで名前が俺のサーブに拘るのか。全く分からないけど、俺の背中を追ってくれるっていうなら。

「ここまで完成させてきた名前に免じて、俺も本気だしてあげる」

嘘だ。本当はとっくにきちんと教えるつもりだった。
でも、最初にどうでもいいことで拗らせて、引っ込みが付かなくなった。もう俺の背中を追いかけてきてくれないのかと思ってたのに。名前が諦めてくれないなら、俺も応えないといけないじゃん。

負けたよ、名前のその熱意に、と笑みを溢したら、ぱああ、と顔を輝かせて名前は笑った。

あれ。

はい、よろしくお願いします!と言う俺とは違う高い声。

あれ、待って。

俺よりも細い腕。小さな手。満面の笑顔。はあ、と後ろで岩ちゃんのため息が聞こえた。

え、待って待って。

「及川さん……、ありがとうございます!」


待って、この後輩、可愛くない?




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