08


東京はやっぱり暑い。
朝からの茹だるような暑さに心が折れてしまいそうになる。エアコンの効いた部屋から出たくなかった。電車を乗り継いで、マップを見ながら梟谷に向かう。途中買ったバビコは既に液体に近い。しんどすぎる。

時間よりちょっとだけ早く着くと、校門には見覚えのある人物が立っていた。なんというか、こんなに暑いのに涼しげだな、この人。向こうも気付いたようで、軽く手を振ると振り返してくれた。

「どうも、昨日の…えーと、」
「赤葦。赤葦京治だよ。よろしく、苗字名前さん?」

そう言って小さく笑った彼に名前を言い当てられて少し驚いた。

「え、あ、私の名前。調べたの?」
「どうしても気になって。木兎さんに聞いたら名字は覚えてないって言うから。調べたら一発で出てきたから驚いた」

そっか、スマホで調べれば出てくるか。佐久早みたいに露出が多いわけでもないのに、赤葦くん良くピンと来たな。私は恥ずかしくて自分が出てる記事を読んでないからどんな事が書かれてるのか知らないけど。

「月バリで見たよ。苗字さんの特集、面白くて結構読んだから覚えてたんだ」
「お恥ずかしい…」

覚悟していたとはいえ、実際に面と向かって言われるとやはり恥ずかしい。それだからあんまり取材は受けて無かったのに、気づいたら記事が書かれているのだから世の中恐ろしい。突然熱愛報道される芸能人の気持ちがわかる。

「あ、そうだ。ねえ、赤葦くん冷凍庫あるって木兎さんから聞いたんだけど、案内してくれない?」
「いいけど…なんかあるの?」
「差し入れ、溶けちゃうと意味なくなっちゃうからさ」

がさ、と両手のビニールを持ち上げると赤葦くんはそんなに?多すぎだろ、と年相応に笑っていた。だってどうせ木兎さんがたくさん食べるでしょ?と言うと、食べ過ぎてお腹壊さないといいんだけど、と赤葦くんが軽くため息をついた。

「まさかそんな食べ過ぎてお腹壊すなんて小学生みたいなこと…」
「………」
「…マジ?」

赤葦くんからの返答は返って来なかった。



ジャージに着替えて体育館へ向かう。あんまり練習を中断させるのも悪くて、赤葦くんには一足先に体育館に行って貰った。
教えられた通りに歩いて行くと体育館に着く前から床の鳴る音と大きな木兎さんの声が聞こえる。

失礼します、と体育館に入ってマネージャーの雀田さんに挨拶をすると目敏く木兎さんが私に気付いた。コートの向こうから手をブンブン振っている。今日も絶好調らしい。

「おーー!!名前!よく来た!!」

丁度休憩になったらしく、コートの中には赤葦くんと木兎さんしかいない。

「あかーしぃ、あげろ!」
「はいはい、分かりました…って、ちょっ」
「名前!そこ動くな!」

げ、まさか!持ってきたタオルも全部放り投げてレシーブ体制を取る。赤葦くんから綺麗に上がったトスに、木兎さんが食らいついた。スローモーションで驚いた表情の赤葦くんとにやりと笑った木兎さんの顔が見える。

「俺のパワーアップした!スパイクを!受けてみよ!」
「いやーーーー!!名前ちゃんの腕がーーー!!!」
「ぼ、木兎さん!!」
「バカ!木兎!」

「ぅぎ、」

ドパン!と盛大な音を立てて腕に当たったボールに思わず声が出た。威力えげつなっ…!木兎さんのことだからちょっとは加減してくれてるはずなのに、それでこの威力って…!
なんとか勢いは殺したもののポジションによっては取れるかどうかギリギリのところに落ちた。

腕に残るびりびりとする痺れを取りたいのに全然取れないんですけど木兎さん。重すぎませんか。なにか文句のひとつでも言おうと思ったとき、及川さんからサーブ権取ろう大会を思い出した。うっ…頭が…!

「ま、たスパイク重くなりましたね、木兎さん」
「そうだろうそうだろう!いやーよく取ったな!赤葦のトスがタイミング合いすぎて手加減すんの忘れちまった!うはは!」

普通にぞっとした。え、じゃああれは木兎さんの全力ってこと?は?そんなのアップ前の私にぶつけて来たのか!全力はいいんだけどこちとらアップ前なんですけど!?

マジか…マジか…、と呆然とする私を可哀想なものを見るかのように赤葦くんが見ている。やめて、そんな目で見ないで。

「え…木兎のスパイク普通に受けたぞあの子…」
「マジか…は?…いやいや、え?女子だよな?ゴリラじゃなくて」
「しかもアップ前だし初見じゃん…俺無理だわ…」

ちょっと!木兎さんのせいでゴリラ認定されたんですけど!!
ぎろ、と睨み付けると木兎さんがにかっと笑った。嫌な予感がする。

「ヨォーシ!もう一発いくぞ!今度は120%!」
「」
「やめましょう木兎さん、流石に苗字さんが死にます。休んでて下さい。俺が苗字さんのアップに付き合います」
「ずりーぞあかーし!!俺もやる!」
「木兎は水分補給して!倒れて練習出来なくなるよ!」

私の顔に死相が見えたのか、赤葦くんが木兎さんを止めてくれた。よ、よかった。初っぱなからあれはちょっとしんどい…。本当に赤葦くんと雀田さんに感謝だ。

「苗字さん、アップ付き合うよ」
「ありがとう、赤葦くん。呼び捨てでいいよ?」
「じゃあ俺も赤葦でいいよ。皆そう呼ぶし」

一通り体操をこなして、赤葦のトスを打ってスパイクを拾ってを繰り返す。体が暖まってきたところで耐えきれなくなったらしい木兎さんが戻ってきた。
またとんでもないスパイクを打ってきて、今度はちゃんと返した私が他の部員を震え上がらせたのは言うまでもない。

「よーし、ゲームやるぞー」
「3-3でいいかー」
「ポジション被ってる同士グッパなー」

いつもよりスムーズに練習に混ぜてもらってる、と気付いたのは綺麗にチームが別れたところで。周りを見回しても女子だし、というお決まりのフレーズは聴こえてこない。

「よっしゃこっちはこれで木兎封じたも同然だな」
「苗字ちゃんってウイングスパイカーだよな。それにしちゃレシーブ上手いな?反応も早いし」
「あ、部内に私の師匠がいるんで、いろいろ盗ませて貰ってます」

なるほどな、と笑う先輩たちの話を聞いてようやくピンときた。そっか、あのスパイクは手っ取り早く私のレベルを見せるためか。木兎さんの全力のスパイクを受けても平気なレベルの人間と理解させるための。

そう思ったらなんだかちょっと笑えた。木兎さんなりの気遣いなんだろうな。考えなしのようで、こういう些細なところに気を遣ってくれる。…本当になんも考えてない可能性あるけど。

ネットの向こうに立つ木兎さんの目は爛々としていて、背中がぞくりと震えた。木兎さん、本気だ。なら、私も本気じゃないと失礼だ。一発目は赤葦のサーブ。さて、彼の実力はどうだろうか。

「一応、私まだリハビリ中のひよこらしいんですけどね」

一度目を閉じて、もう一度開ける。世界は少し鮮明に見えた。ぺろ、と唇を舐める。気分がノッてくると出る癖はまだ直ってないらしい。




「レフトレフト!」
「りょうかーい!」
「ナイスキー!」

バシィン、と余韻を残しながらコートに叩きつけられたボールを見送る。くそ、最後は負けか。笛が鳴って試合終了が告げられた。
撤収ー、と木兎さんが声を掛けて片付けをするなか、苗字が俺をじっと見てくる。なに、と首を傾げるとうーん、といい淀んだものの、気を悪くしたらごめんね、と前置きをした。この気遣いはうちの部活にはないから新鮮だ。

「赤葦ってさ」
「うん…?なに?」
「意外と負けず嫌いなんだね」
「え」

初めて言われたかもしれない。いつも言われるのは落ち着いてるとか、冷静だとか、そんなことの方が多い。まじまじと俺の顔を見ながらくすりと、苗字が笑った。

「気づいてなかった?私が木兎さんにトス上げて決まったときの赤葦、すっごい私睨んでくるんだよ」

そんなことはない、とは言えなかった。確かに、苗字に少し嫉妬した、と思う。

まだ正セッターじゃないけど、あげるならこの人がいいと漠然と思っていた。熱くなり易いけど俺が知るなかで一番力強くスパイクを決めるこの人の、120%を引き出したい。そう思っていた。苗字の、トスを見るまで。

ひたすらに丁寧なトスは木兎さんの手に、綺麗に吸い込まれていった。その日何度目かのセットアップで一番綺麗に決まったものだったけど、ハイタッチを交わす2人を呆然と見た。

なんでウィングスパイカーなのにそんなにトス上手いんだよ。女子だぞ。レシーブもレベル高いし。つーかまだ高1なのになんだよそのレベル。天才ってやつか。きっと、今までスランプとかないんだろうな。
心の中が黒いもので埋まる。苗字は何も悪くないのに。

「でも言われちゃった。お前のスパイクは安心して打てるけど俺は赤葦のトスの方が好きだ、って」
「は…」
「本職じゃないからなんて言い訳するつもりもないけど、流石にむっとしたというか、ムキなっちゃって。木兎さんに上げまくっちゃって…その、なんというか」
「…うん」
「ちょっと、赤葦に、変なライバル意識燃やしてたから…たぶん、赤葦もつられたんだと、思う」

ごめんね、と恥ずかしそうに顔を背ける苗字の耳は赤く染まっていて。ああ、なんだこの子。勝手にムキなって、勝手に嫉妬して、あとからヒートアップしたこと恥ずかしがって、反省して謝るとか。なにこいつ、可愛いかよ。

「…俺は、嫉妬したよ。すんなり木兎さんにトスあげられる苗字に」
「お、お互いさま、ですね」

なんで急に敬語になるの。この子ちょっと面白い。ストレートな物言いに慣れてないのか。恥ずかしがり屋なのか。いや、両方か。

「負けず嫌いはお互い様。俺もまだまだ練習して上手くなるから。負けないよ」

その言葉に苗字の顔がぱっと明るくなった。私もがんばる、という苗字はもう1人のプレーヤーとしての顔をしていた。
そんな顔を見ていたら、その顔が悪戯っ子みたいに変わる。ちょいちょい、と手招きされて言われた通り耳を寄せる。この子距離感とかあんま気にしないタイプなのか?

「ね、お願い。最後、1本だけあげて欲しいんだけど…」

ちょっと興味ある女の子のお願い。俺は単純にプレーヤーとしてだけど。男は総じて女の子のお願いに弱い。俺も男子高校生なわけだから、それなり弱い。

そういえば、苗字とは最後まで一緒のチームにならなかったし、いいよ、と返すと苗字の顔がぱあっと明るくなった。随分表情変わるな。コロコロ変わって面白い。

木兎さんがいなくなったらね、と小さな秘密を交わすように約束をすると苗字はこくり、と頷いた。さて、俺は早いところ木兎さんを追い出すことにするとしようか。

「いくよ」
「オーライ!」

約束通り上手いこと木兎さんが居なくなったので、苗字にトスをあげる。苗字はスパイクを打つ気満々だった。トスをあげる瞬間、急に入ってきた日差しに目が眩んで手元が狂った。

「っ!苗字悪…」

しまった、トス崩れた、と思ったのに。苗字は何事もなかったかのように打ち込んだ。しかも肩の柔らかさにものを云わせた、超インナースパイクだった。
試合中なら、よほどポジションが良くないとレシーブできない、そんなアタック。これが、苗字名前というプレーヤーだと。見せつけられた。セッターから見た、苗字はとても美しくスパイクを決めるプレーヤーだった。その横顔に目を、奪われた。

呆然とする俺と不思議そうにこっちを見る苗字。もう一度上げたい、という欲が膨らんで、声を掛けようとした瞬間、爆音が聞こえてびくりと二人して肩を震わせた。

「おァーーー!!!なんだ今の!!」
「アッやばい木兎さん帰って来た」
「俺もやる!もう一回!」
「や、もうこれで最後なんで。すいませんサボって、片付けますね」

いそいそと片付ける苗字の動揺が手に取るように分かってちょっと笑った。必死すぎる。
納得いかない、という顔をした木兎さんが苗字の頭を掴んで無理矢理振り向かせた。痛い!と言った苗字の叫びは華麗にスルーしていた。木兎さんそういうとこあるから…。

「そうは言ってもお前前よりあんま上手くなってないぞ!!練習サボったな!?」
「木兎さん…」
「でしょうね。私、しばらくバレー辞めてたんで」

あんまりはっきり言うから思わず呆れてしまったが、苗字から返ってきたのは予想外の肯定だった。

「は?」
「色々あって、チームと上手くいかなくて。まあ、私が悪かったんですけど」
「なんだよそれ」
「でも、もう大丈夫です」

あんまりに苗字が安心したように、嬉しそうに静かに微笑むから。木兎さんも二の次が告げなくなったようだ。頭を掻きながら、なんつーか、とぽろり、とこぼした。

「前からお前はなんでもひとりでやりすぎだぞ。ちょっとは先輩を頼れ!つーか俺を!」

はあ、すいません、とあまりわかってなさそうな苗字。苗字と会ったときの感じから推測すると、木兎さんは、多分。

「先輩は木兎さんだけじゃないでしょう…俺、最後のトスじゃ消化不良だから、またやろうよ。タメだし、相談でもなんでもして」

はい、とLIMEの画面を見せると木兎さんが叫んだ。なんですか、と返すと俺だって昨日初めて知ったのに!やっぱり赤葦ナンパじゃん!と雀田さんに叫んだ。

またやろうよ、と言うと苗字はうん、と嬉しそうに笑った。つられて俺も笑った。
純粋に、もう一度苗字とバレーがしたい。先輩を立てる俺より、1人のプレーヤーとしての俺が顔をのぞかせた。

「そういや苗字ちゃん今どこなんだー?」
「ああ、わたし今宮城です」
「宮城ィ!?とおっ!なにそれとおっ!!」
「宮城??」
「仙台ですよ木兎さん」
「タンがウマいとこ!!」
「前は東京だったんですけど」
「戻ってきなよ〜名前ちゃんなら大歓迎だよ〜梟谷おいでよ〜」

雀田さんもっと勧誘してください。



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