おいでませ、夢の舞台01


「ねえ、あれって」
「やっぱ本当だったんだ」

空間を埋め尽くすざわめき。突き刺さる視線、視線、視線。
喧騒に紛れてひそかに交わされる言葉に、前を歩く背中がぴくり、と震えた。どんどんすぼまっていく肩に、ずいぶん居心地が悪そうだな、と思わず笑った。

「うわ、やっぱ貫禄あるな〜」
「あれが久山学園か……」

ばさ、と翻るワインレッドのベンチコート。背中に書かれた久山学園の文字は、バレーに携わる女子なら誰でも知る名前だ。

激戦区東京の中でも4強に常にランクインする強さとそれを支える厚い選手層。全国常連と呼ぶに相応しい強豪。それが私のいる久山学園だ。

全国から集められた部員たちは寮で生活を送り、バレーに集中できる環境で、仲間と常に切磋琢磨できる。バレーボーラーにとったら夢のような場所。そんなウチは今年こそ全国制覇も夢じゃないメンツ。実業団入りが決まった先輩がいるのもそうだけど。

なにより、私の相棒がようやく帰って来た。

東京に無理矢理呼びつけたり何度も誘ってようやく戻って来た私の相棒。試合に出てない分、流石にあの頃と全く同じって訳じゃなかったけど、それでも練習をサボってなかったせいかあっさりとチームに溶け込んで、エースの座に収まった。

エース不在だった久山は結局インハイまで行けたものの、1回戦敗退。苦しい時に点を取ってくれるエースの不在は思った以上に深刻だった。

でも、相棒が戻ってきてから、チームは大きく変わった。エースの帰還はそれだけ大きい。そこに居てくれるだけで、絶対的な信頼を寄せられる。それはとても、恐ろしく、重く、そして誇らしい。
そして、暴力的なまでの信頼を、うちは相棒に寄せている。今度は、その脅迫染みた信頼を、逃げずに受け取って戻って、コートで一緒に戦ってくれている。前を歩く背中が、とても誇らしく思えた。

あんたはうちが認めた相棒なんやから、もっと堂々としとき。…なんて言ってもこのコート外では小心者の相棒は最初に比べてかなり小さくなっていた。ほんま試合や練習のときとは別人やな。

それにしても、なんかこいつまた身長伸びた気がする。男子か。この間まで男子に混じって練習してたから身長伸びるのか。じゃあ私だって男子に混じるわ。

いや。
やっぱ無理。あんな高いネットと男女の身体差と体力差を分かって男子の練習に混じれるわけがない。しかも練習混ざってた学校白鳥沢破って全国出てるやん。こわ。こいつこっっわ。

「そうそう、中学時代から世代日本代表のセッターがいるからなあ、今年こそ新山女子に風穴を空けられるか」
「しかも全中のナンバーワンアタッカーも入りましたよね」
「そうだ、だけどなにより」

前を歩く期待のエースの肩がびくりと震えて、さらに狭くなる。

「苗字名前が帰ってきた」





視界の端に知ってる人が入った。あ、あれって、と思ったら影山もピンと来たらしい。ほぼ2人同時にその背中に向かって行った。
後ろから月島のちっ、って声がしたけど無視!ていうか相変わらず名前さんに対してはあいつブレねーなほんと!しかもお前昨日散々喋ったしちょっとぐらいいいべ!

「名前さーん!」
「あ、日向!昨日ぶり、ちゃんと寝れた?」

そう言ってにこにこ笑っている名前さんは昨日と同じなのに、どこか雰囲気が違う。穏やかだけど、少しだけぴりぴりしてる。これが貫禄ってやつか…!俺も欲しい…!

そんな名前さんを見てると少しだけ居づらそうにしてる。ていうか、やっぱ名前さんでも緊張すんのかな。そう思ったけど、そんなことより名前さんの格好に思わずおお、と声がでた。

初めてみる名前さんのユニフォーム姿。すっげえ!名前さん強く見える!

「名前さんのユニフォームかっけえっすね!」
「あはは、ありがと。なんか照れるね。日向も貫禄出てきたよ」
「〜〜〜っ!師匠〜!」
「ふは、ねえ日向。レベルアップできた?」

そう言って笑う名前さんは、笑顔なのに真剣で。少しだけ心臓が大きく音を立てた。

レベルアップ。そう言われたのは、まだまだボールに慣れてなかった俺に名前さんが基礎練を付けてくれた時。俺にとっては初めてちゃんと教えてくれる先輩ができて、スゲー嬉しかった中で、一番印象に残った言葉。

『日向、全部出来るようになろう。アタックだけじゃなくて、レシーブもブロックも、サーブも、トスも』
『ぬぅぅぅ…〜〜〜でも!俺!やっぱスパイク打ちたいっす!』
『あはは、日向は正直だね。じゃあ、なんで日向はスパイクが打ちたいの?』

そう言って名前さんはけらけら笑った。とーん、と高く上げたトスが、そのまま名前さんの元に返ってくる。足元は、まったく動いてない。

『かっこいいじゃないですか!点を取るエースって感じで!』
『そうかー、スパイカーはスパイクを決めるのが仕事。…確かにそうかもしれないけどね』
『?』

はい、とそのままボールをパスされて、同じようにって言われる。動かずにアンダーとオーバーを交互に繰り返す、これなら俺も!って思ったら会話しながら、って言われた。話しながら!?気が散る…!

『コートは目まぐるしく変わるよね?』
『は、はい!っと、相手のサーブとかブロックとかで、っ!こう、バタバタします!』

やべえ、会話に集中できない。でもこの話は聞かなきゃいけない気がする。

『そう、教科書とか練習通りに上手くいくことなんて、早々ない。じゃあ、その時に点を取るのって誰だと思う?』
『えーと、えー、っとぉ!あっ、すんません!』
『…点はどのポジションとか誰が取ったとか。そんなことはどうでもいいんだよ。エースが取る1点も、ピンサーが取る1点も、ドシャットも、チームにとっては同じ1点』

乱れたトスを名前さんがオーライ、と引き継ぐ。話ながらも全くぶれない姿勢と足元。俺のトスと全然違う。すげえ…。

『アタッカーがスパイクの、セッターがトスのことしか考えなかったら、ボールは繋がらない。コートの中はそんなに単純じゃない』

確かに。名前さんの言うとおり、コートの中は全部が全部一瞬だ。俺はまだ打たせて貰ってるだけかもしんねえけど、その一瞬を俺自身が好きに出来たら。

なんだかバレーがもっと近くにいそうな気がする。

『私や日向みたいな平凡なプレーヤーは、ひとつだけの武器を磨いても使って貰えない。だから全部出来た方がいい。その上で自分の武器を研ぎ澄せれば…』
『レベルアップ?みたいな?』
『そうそうそんなイメージ!…それにさ』

すっ、と吸い付くように名前さんの手の中に収まったボール。本当に流れるみたいにボールを操る姿にただ感動した。いいな、俺もこんな風になりたい。

『折角コートにいるんだもん。全部出来た方が、楽しいに決まってるでしょ』

そう言って笑った名前さんは凄く楽しそうで。全部を出来るようになるなんて当たり前のことなのに、名前さんが言うのはちょっと違う気がして。なんとなくでしかわからなかった。その時は。

でも、白鳥沢の合宿に行ったら分かった。全部出来るってことは、それだけコートで自由で、選択肢が広がるってことだ。なにかひとつじゃなくて、全部をきちんと、丁寧にやる。それは多分、この先俺が一番しなくちゃいけないこと。

「途中ですけど、レベルアップしてきました!」
「――そっか。楽しみにしてるね」

にや、と笑った名前さんはゲーム中と同じ顔をしていて、背中にぞくぞくとなにかが走り抜けて行った。この人に、追い付きたい。俺より遥か先を行くこの、師匠の背中に。

「はい!頑張っ「チワス、苗字先輩」
「〜〜〜!…!?…!!!」
「日向、顔。影山も昨日ぶり」
「ッス。それにしても、凄いっすね。苗字先輩の噂ばっかっすよ、女子」
「あーうん、海外に行ってたとかリハビリとか、根も葉もない噂が流れてるよ」

俺の発言を遮る影山にいらっとして振り返る。こいつ、こっち全然見ねえ…っ!くそ!!
…まあ、影山の言うとおり今日は至るところで名前さんの名前を聞く。それくらい注目の選手ってことだ。弟子として俺も嬉しいけど、名前さんは違うみてえだ。困ったように笑ってた名前さんは急に目を暗くした。

「これでただやさぐれてただけなんてわかったらぼこぼこかも」
「…考えすぎじゃないっスか?」

ほんとこいつは小心者の気持ちわかんねえやつだな!みんなお前みたいなふてぶてしいわけじゃないんだっつーの!
名前さんは影山のそのコメントにはは、と乾いた笑いを溢した。

「――でも、ちゃんと目標があったから」

さっきまで暗い表情をしていた名前さんの表情がまた変わった。名前さんの表情はころころ変わる。嬉しいときとか悲しいとき、動揺してるとき。よく表情が変わる人だなって思った。

でも、名前さんが一番表情豊かなのは、やっぱりバレーに関わってるときだ。苦しい顔、苛立った顔、貪欲な顔。だって、ほら。今だって。

「みんなと、ここで会うって目標」

こんな眩しそうに、嬉しそうに笑う人を俺は知らない。

約束、と言ってあの日俺らの背中を押してくれた名前さんも、約束の通りここに来た。

「頑張ろうね」
「「ハイ!」」

でもそれだけじゃ足りねえ。俺は、もっと勝ちたい。それは多分、名前さんも一緒だ。

「まもなく入場でーす!各校お願いしまーす」
「名前、行くよー」
「うん、今行くー。じゃあまたね日向、影山」

ひらひらと手を振った名前さんが、最後思い出したように拳を突き出した。よくノヤさんや田中さんがやってた、拳を付き合わせるやつだ。あの3人だけの共通の儀式みたいな。
いいのかな、と思って俺も影山も、名前さんの拳にこつ、とぶつけた。先輩たちはもっと力強くやってたけど、俺らにはこれが精一杯だったらしい。

「まずは1勝。勝とうね」
「「ハイ!」」

にか、と笑った名前さんは人混みに消えて行った。

―――ほんとに、俺、名前さんと同じ場所にいんだな。

ぶつけた拳はちょっと触れたくらいだったのに、ちゃんと名前さんに認められた気がした。隣の影山も似たような顔をしてる。やっぱそうだよな!

名前さんに、かっこ悪いとこ見せらんねえ!よっしゃ、いくぞ、と意気込みながら進む。


歓声と光に包まれてコートに乗せた初めの一歩は、重くて、軽い。




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