ぼくのかみさま
あと1球。
あと1回、こっちのコートにボールが落ちたら終わる。全国までの道も、大地さんたちの3年間も。あと一歩。本当にあと僅かなのに。その手に掴めそうなのに。その、あと僅かが、遠い。
ダメだ、と思った。前が見えない。あと1球というプレッシャーに押し潰されそうになる。心臓が痛い。胃もぐらぐらする。踏ん張れ。ここで踏ん張れなければ。
「したを、向くんじゃ、ねええええ!バレーは!!!常に上を向くスポーツだ!」
コーチのその声に全員が前を向いたのがわかった。そう、前だけ向いててくれよ。いつもみたいに。後ろは俺が守るから。
そう思っても、やっぱり緊張はとけないし、足が重いのも分かる。
コーチの声で静かになった体育館で、自分の心臓が大きな音を立てているのが分かった。どくり、どくりと音を立てるそれに、全部の意識が持ってかれる。
緊張してんのか。そりゃそうだ、この1球が取れなければ。リベロの俺が。
ずし、とまた足が重くなった。
やべえ。これ。
足、重い。
この状況に。ビビってんのかよ、俺。
レシーブできりゃ、繋がる。でも、それが出来なければ。終わる。
俺の、足に。手に。全て乗っ
「あ、し、とめんなあああああああああああ!!!」
聞こえるはずがねえんだ。この声が。
いるはずがねえんだ。
ここに。あいつが。
なのに、なんで。
「思い出せ!!練習を!!100%の練習と!!仲間は!!絶対に裏切らない!!」
視線が観客席に移る。どこに。どこにいるんだ。
いるはずないだろ。だって、あいつは東京に。今は、遠征だって。なんで。そう思ってぐるりと見渡す。
いた。さんかいの、ひだり、一番前。
はっ、と自分で自分の呼吸がわかる。一際大きい声は、体育館に響いて。周りはみんな上を見ていた。数ヶ月前まですぐ側にあった声。
名前。
お前、なんでいんだよ。
「一緒に!行くぞ!!」
その声がすっと入ってきた。
そうだ、皆で行くんだ。怖いのも、緊張してんのも、俺だけじゃねえ。俺だけが、コートに立ってるわけじゃねえ。
皆の背中は俺が守る。だから、俺の空はお前らが守ってくれ。
ふっと足が、肩が。軽くなった。
「まさか名前に勇気付けられる日がくるとは」
「ほんと、頼もしくなったなあ、苗字さん」
「苗字もああ言ってる。この1本守りきって全国で。苗字に会うぞ!」
「おう!」
待ってろ、名前。
もう、下は向かねえよ。
「おめでとうみんな!」
荷物をまとめていたときにやってきた懐かしい姿に、皆がその手を止めた。
「名前!!いつの間にこっち来たんだよお前!」
「見たか!勝ってきたぞ!」
「痛い痛い!」
バシバシと背中を叩かれる名前は痛いと言いながらも嬉しそうに笑っている。そんな名前が俺を見つけて満面の笑みを浮かべた。
「西谷、おめでとう!よく取ったね、あれ!」
おそらく向こうのセッターのサーブ。かろうじてネットインしたあの1点。自分でも誉められるくらいには満足のいくレシーブだった。でも改めて言われると少し気恥ずかしさがある。まあな、と言うと名前が目をキラキラとさせて、ふ、と笑った。
「次は、私の番。ちゃんと、春高で会おう」
そう言った名前の瞳が輝いた。ビー玉のような透き通った、先だけを見据えた目だった。
「女子も、男子も。同じ会場。同じ日程」
自分に自信をつけた、迷いを断ち切った、まっすぐな目をした名前。初めて出会ったときとは全然違う。
「あのでっかい会場のオレンジコートで。お互い決勝まで、戦おう」
私も負けない。だから、待ってて。必ず行くから。
そう言って笑った名前は本当に眩しくて。
すとん、と心が落ちた。
全ての始まりは1本の動画だった。
たまたま見つけた、苗字名前という存在。俺が一方的に憧れていた人。
あの日、強烈に憧れた名前がそこにはいた。じんわりと世界が滲む。
よかった。俺の、あこがれは、まだ生きている。
滲んだ世界で見る名前は、あの時よりもさらに綺麗で、眩しい。
「西谷、約束だよ」
俺の神様は、ここにいる。