あの青だけは永遠に


夏が来た。

学校中が夏休みに向かって浮き足立っている。テストも終わって、後は終業式を迎えるだけ。私にとっては、宮城で過ごす最後の1日になった。

編入試験にも無事に合格して、寮にも荷物を運び入れて、あとは烏野を去るだけだ。明日から合流して、練習して、新しい環境。きっとしんどくなることもわかってるけど、バレーと生きてくって決めたから。

「いよいよ夏休みに入る訳だけど、あんまり羽目を外しすぎないように!じゃあ解散」

担任のその言葉に全員が合図のように、一気に教室がざわめきに包まれた。

「じゃあな!苗字!ビッグになれよー!」
「テレビとかでんの?今のうちにサインくれ!」
「東京遊びに行ったら案内してよ!」

私が烏野を離れて東京に行くことはさっき担任から告げられた。それを聞いたクラスメイト達は驚いていたようだったけど、違和感は感じなかったらしい。

私が男バレの中でプレーしていることは皆知っていたから、驚きよりもああとうとう行くのか、と納得したのだと笑っていた。頑張ってねと、クラスの仲の良い子たちから送別のプレゼントを貰って抱き合う。

なんとなく思っていた最後がとうとうやって来てしまったんだな、と思ったら少しだけ泣けた。そんな私を見て、また泣き虫だなあ、と笑ってくれる皆が優しくて、やっぱり烏野に帰って来て良かった、と心からそう思った。





送別会も済ませたから、今日の練習は何時も通りだった。練習が終わって片付けに入る。本当に今日で最後なのかな、と思うくらいには昨日と変わらなくて。でも、電気の消えた体育館が教えてくれる。これでこの景色ともお別れだ。

本当に色々あった。

烏養監督に無理矢理引き込まれて、縁下達が居なくなって。西谷と旭さんが喧嘩して、田中とぶつかって、潔子さんと笑って。練習して、勝って、負けて。ひとつ残らず、私の大切なもの。
全部ここに残していくから。辛くなったら戻ってくるよ。だからそれまで、前を向いていくね。

ギギギ、と鳴る体育館の扉を閉める。鍵を閉める前、頭を下げた。行ってきます。今までありがとう。

ふと、後ろから苗字、と私を呼ぶ声がした。振り返ると大地さんが私を見ていた。なんだか浸ってるみたいで恥ずかしいな。今閉めたばかりの鍵を差し出す。

「鍵。お願いします」
「そう、だったな……すまん、まだ実感湧かなくてな……」

鍵を受け取った大地さんが、苦笑したながら頬を掻いた。

入部してから、黒川さんにお願いして朝練をさせてもらった。練習前後に自主練をすることが多くて、怪我とか部活に出れないとき以外の鍵の管理は自然と私になった。でもそれも今日で終わりだ。

ちゃり、と鳴る鍵を握りしめたまま、大地さんは動かない。どうしたんだろう、と思って首を傾げるとぽつりと大地さんがあのさ、と呟いた。

「2年とき、俺たちが苗字の朝練に合流したときのこと覚えてるか?」

大地さんのその言葉にこくり、と頷く。

「あの時、俺たちも逃げたんだ。部が壊れそうだっただろ。急に練習が勝つための練習になって、きつくなって。お前らの中に嫌な雰囲気が漂ってることも知ってた。だけど、俺たちはそれを見て見ぬ振りをしたんだ。逃げたんだよ、俺ら」

最低だよな、と大地さんは笑った。思わず首を振る。
そういえば、あの頃は少しだけ嫌な空気が漂っていて。朝練が始まって少しして、縁下達が部活から居なくなった。

「でも、縁下や木下たちを引っ張ってきてくれたのは苗字だったよな。やり過ぎる田中や西谷を止めてくれたのも、残されたあの2人を支えたのも、苗字。お前だったよ」

違う。そんな立派なものじゃない。
必死だったから。一緒にやって来た仲間が居なくなるのが嫌なだけだった。部のことを考えてた訳じゃない。ただ、寂しかっただけで、私はいつだって自分のことしか考えてなかった。きっと私がいなくても彼らは上手くやったと思う。でも。

「苗字が2年を、あいつらをここに繋ぎ止めてくれたんだ。それはきっと、田中にも西谷にも出来なかったことだ。苗字がいたから、烏野はまだ強くなれるんだ。今まで、俺たちを支えてくれて、此処に居てくれて、ありがとう」

そう言って、大地さんは優しく笑った。
ほんの少しだけ、自惚れていいなら。自分に自信をもっていいのなら。

「……あ、の。大地さん、私、そんな偉い人じゃないです。自分のことしか考えてなかったし、逃げてばっかでした」

私は逃げてばかりだったけど。でも、これだけは言える。
バレーを辞めたかった私が、いつの間にかそんなことを考えなくなったのは、間違いなくここにいるみんなのお陰だ。皆がいたから、私はここまで戻ってこれた。

「でも、そう言ってもらって、うれしいです…!御礼を言いたいの、私の方です。ここに居させてくれて、受け入れてくれて、ありがとうございました…!」

大地さんの言葉に頭を下げた。お前が居てくれてよかった、という言葉。マネージャーとしていた私にとってこれ以上ない言葉だった。
ずっと頼りにしていた先輩から貰った言葉はとても重くて、これだけは持っていこうと、心に決めた。





「「おせえぞ!」」

喧騒を切り裂くような声がして、思わず肩が跳ねた。良く知った声に思わず目を見開く。ざわざわと人の多い改札前には見慣れたジャージが2つ。

「にっ、西谷、田中……なんでここに……、部活は!?」
「ようやくだな!名前!すげえ待ったぞ!」
「部活は、あー、まあ、気にすんな!それよりこの田中様が見送りに来てやったことを喜べよ!」
「はあ……いやなんで私怒られてんの……?ていうかサボりじゃ……!」

私が来たことに気付いた2人がびしっとよくわからないポーズをとった。
待って、なんで。部活は、と言っても西谷と田中は笑うばかりでなにも言わない。狼狽える私を余所に西谷から、ほら、と紙袋を押し付けられる。開けてみろ、と笑う2人に、なにこれ、と文句を言いながら紙袋を開けた。

「こ、れ…」

中のそれを見て、言葉が出てこなかった。
何度も、見た。黒とオレンジ。私がどんなに着たくても、絶対に着れなかった。この1年半、憧れて、諦めてを繰り返してきた、それ。
背番号は、0。誰の番号でもない、烏野の、ユニフォーム。そんな、なんで。

「わざわざ、作った、の…?」
「おう!こっそりな!」
「みんなから、名前に。辛くて、しんどくなったときは、これ見て思い出せ!俺らは、どこにいても、同じ烏野の仲間だ」

一緒に中に入っていた、写真と、その裏にはみんなからのメッセージが書いてあって。
日向と影山の送り仮名のミスも、蛍ちゃんと忠の綺麗な字も、スガさんの長文も、旭さんの小さな文字も。
全部が嬉しくて、寂しくて、心臓が掴まれる。痛い、痛いよ。なんで、こんな。馬鹿じゃないの。似合わないよ、サプライズなんて。

「んで、これは俺と西谷から!」

ほれ、と渡されたもう一つのビニール。西谷御用達のTシャツ屋さんの名前を見て、いつものか、とひっくり返す。
黒いTシャツに書かれた文字を見て、今度こそ息が止まった。

『飛べ』

「こ、これ。横断幕の」
「烏野、ってカンジすんだろ?」
「お前が会場で1人で応援してくれてたのは皆知ってる。だから、お前が1人なら、今度は俺らが応援する番だ!」

横断幕を張ったのは、たった2日だけだった。
この黒い横断幕を張って、喉が枯れるまで声を出して。私は観客席に1人だったけど、みんなの背中を、私はちゃんと押せていたのかな。
もう、こんなの、だめだって。目の奥からこみあがってきたものが端からこぼれそうになる。なんとかこらえていると西谷に優しく名前を呼ばれた。

「……いつか、お前のサーブもスパイクも俺が拾ってみせるから。だから今は迷わず飛んでこいよ!」

その笑顔に、頷く。沢山の言葉はいらない。今はその約束をただ覚えておきたい。

差し出された2つの拳に、迷うことなく自分の拳を打ち付けた。





人混みの奥に消えていった背中。とうとう、決定的な、壁が出来た。東京と仙台。違う学校。違う世界。俺らと名前を隔てる全てのもの。
本当に、行っちまったんだな、と名前の消えた方を見つめる。

「……行っちまったな……。マジで」
「ああ、なんつーか。あっという間だったな」

ガヤガヤと音の絶えない駅で、ぽつりとノヤが呟いた。

「アイツ、泣くと思うか?ノヤっさん」
「泣くだろ。もう泣かないっつってたけど嘘だよな、あれ」

はは、とノヤが笑った。見なくたってわかる。その笑い声が湿ってるってことは、そうってことだ。

「俺らがこんななんだ。アイツが、泣かねーわけないだろ」
「そりゃ、そうだな」

ぼろぼろと頬を伝う熱い水と無視して鼻をすする。寂しくなんかねーよ、だってどうせ東京で会うんだ。約束したんだ、絶対に東京で。あのコートでお互い戦おうって。

名前と出会ってから色々あった。
本気でぶつかって、お互いの弱いところをさらけ出して、間違いなく一番近いところにいたヤツ。男女なんて関係なかった。ただ、一緒に前だけをみる、バレー馬鹿だった。でも、そんな存在、どこにだっているわけじゃねえなんてことは分かってる。

この先、あいつと俺は生きていく世界が違うことも。

きっと、あいつは苦しいときも諦めたくなるときも、バレーと一緒に生きていく、生きていけるやつだ。そんな名前と、俺が会えたのはほんの少しの偶然が重なっただけだ。

そんな偶然が重なって、俺とノヤは名前と間違いなくお互いが最も近い存在だった。一緒にボールを追いかけて、汗を掻いて、ぶつかりあって。最大のライバルで、最も心強い味方だった。いつか別れる道だなんてことは分かっていたけど、それ以上に重なった偶然に感謝した。

「行こうぜ、ノヤ。全国」
「おう、龍、絶対行くぞ」

ごつ、とぶつけた拳。何時だったか名前と痛いほどぶつけたことがあった。その時は、ノヤが居なくて。今度は名前がいない。俺らは別々の道を選んだけど、俺はこの痛みも、涙も。ぜってー忘れねえ。

いくら凡人だろうとなんだろうと構わない。約束したんだ。この足が動かなくなるまで、俺はボールも試合も、絶対に諦めねえと誓おう。

行ってこい、名前。
お前は間違ってねえから。

行けるとこまで、突き進めよ。




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