あの鳥の名前はなあに?


「東京遠征、ですか?」
「はい!苗字さんもどうですか!?猫又監督からも是非とお誘いを受けているんですが」

丁度電話が切れたタイミングで、よく知った姿が目に留まった。転校関連の書類を貰いに来た苗字さんを呼び止めて今の話をすると、苗字さんは大きく目を見開いた。ふふ、そうでしょうそうでしょう。驚きますよね!
子供みたいだけど、いち早く誰かに共有できて満足だった。これから皆のところに報告に行かないと。

インターハイが終わってすぐ、猫又監督から遠征のお誘いがあった。ネットで結果を知ったらしい猫又監督から。折角だからと非常に有難い提案を頂いた。

烏野の経験値の少なさは課題だ。だから、東京まで行くとはいえ、多くの学校と対戦できる機会は絶対に逃してはいけない。スケジュールさえ問題なければ、レベルがどうだろうが、人数が少なかろうが参加するつもりではいた。実はもう二つ返事で参加を伝えているんだけど。お金は、まあ、どうにかなる。たぶん。

その中に、苗字さんもいれば一層良いと思った。それは猫又監督も同じだったようで、是非誘って見てほしいと直接打診も受けている。それくらい苗字さんの技術のレベルは高く、練習へのストイックさも彼らにとってはいい刺激になるはずだ。

「音駒とですか?」
「音駒を含むいくつかの高校ですね。ええと、確か梟谷学園グループっていう中に入れて貰うことになりまして」

メモを引っ張り出して、その学校の名前を告げると苗字さんの顔が固くなった。やっぱり黒尾君の件で少し思うところがあるのだろうか。あれには少し驚いたけど、なんというか、最近の高校生はマセているなとつくづく思う。一目惚れって。僕にもそんな甘酸っぱい青春…やめよう。

「ち、ちなみに、そのグループって他にどの学校があるんですか?」
「ええと、埼玉の森然高校、神奈川の生川高校、東京の梟谷学園、音駒高校の4校です」
「濃いなあ…」

ぽつり、と呟く苗字さんに思わず首を傾げた。どうしたんだろうか。嫌なら無理に誘うのも、と言うと苗字さんは首を振った。どうやら嫌ではないみたい。苗字さんのことだ、別で交遊関係があるのかもしれないし。彼女は東京のバレー界隈では有名らしいから。

「あ、こっちの話です。ぜひ行きたいんですけど、入寮説明とか、部活の練習合流がちょうどそのタイミングで…。向こうの練習にも少し顔を出したいので…。行けるとしても夜だけしか行けないと思います」
「そうですか、わかりました。無理はしないでくださいね、慣れない内は色々溜まりやすいですから。先方にもそう伝えておきます。…それにしても、もうすぐなんですね」

梟谷グループの練習はここから先何度かあるらしい。ひとまずは終業式前の2日間と、その後の1週間の長期合宿。どこかで参加してくれるといいけど、苗字さんが行く先は強豪校だ。慣れない環境で、最初から体調を崩してしまっては元も子もない。

終業式まではあと1ヶ月ほど。彼女がここで過ごすのも、もう残り僅かだ。きっとあっという間なんだろう、としみじみと感じる。僕でこれだ。きっと彼らはもっと早く感じるはずだ。

「そうですね、終業式終えて、少ししたら向こうに合流する予定です」

苦笑する苗字さんはこの間までと違って、後ろめたさや不安そうな表情はない。それは、きっと彼女が悩んで、自ら答えを出したからだ。彼女がきちんと考えて出した答えなら、大丈夫だと思う。少し感傷的かもしれない、また皆にポエマーって言われるかも、と思っていたら武田先生、と呼ばれた。

なんだろうと彼女へ意識を戻すと、苗字さんは綺麗にお辞儀をした。90度の綺麗なお辞儀だ。少しぎょっとする。他の先生達も何事だと僕たちを見ているのが分かった。
苗字さんがバレーをするために東京の強豪校に行くことは学年会議でも話題に上がった。だから、他の先生たちも事情を知っている。

バレー部にそんな子がいたのか、といま職員室では注目度の高い苗字さんだ。どうしたって視線が集まる。そんな視線の中、苗字さんが話始めた。

「武田先生に、相談して、背中を押してもらって、本当に良かったです。今まで、ありがとうございました」


教師生活も、それなりになった。


今まで見送ってきた教え子の背中はいくつもある。それでも、苗字さんのことを僕は一生忘れないだろう。
1年生の教室で、不安げに辺りを見る苗字さんをよく覚えている。迷子のようだな、と思った僕の考えは正しくて、彼女はあのとき、確かに迷子だった。
あれからおよそ1年。あのときよりも、大きく成長した背中。この子は一皮むけて人間的に成長した。教師として、自分が生徒の将来を導けたこと。それがこんなにも誇らしい。

苗字さんの選択が本当に正しかったのか。それは今後苗字さんが決めることではあるけれど。それでも、この子なら、きっともう大丈夫だ。

荒れ狂う波間を、コンパスがなくとも、帆が裂けようとも、かき分けて進んでいける力をつけた。
もう、君は大丈夫だ。人に頼ることも、何かを決断することも、そのために何かを捨てる覚悟をすることも。君はその難しさから逃げずに立ち向かえるから。

バレー部で一番成長したのは間違いなくこの子だった。

「僕も、苗字さんには感謝しかありません」

僕に教師としての喜びを与えてくれて、ありがとう。

今はまだこの僕からの感謝の気持ちは伝わらないと思う。いつか、お酒でも飲みながら話せる日が来るといい。今は一人の教師として、君の門出を祝おう。

おめでとう、苗字さん。

どうか、君の進む道が、10年後もその先も、後悔のないものであることを祈っているよ。






「へー、てことは代表入りもあり得るっつーことか」
「スゲーな。前に行ったときも思ったけど高2女子とは思えないレベルだったもんなー」

たっつぁんがビールを煽りながらそう言うのを、タバコをふかしながら聞く。町内会のメンバーとの飲み会。たっつぁんや嶋っちたちに名前の東京行きを伝えると、だろうな、と納得の言葉が聞こえてきた。

そう、バレー経験者ならわかる、名前の力。
ここで眠らせておくには勿体ないが、今すぐ世界に通じる『天才』という絶対的なものではない。磨けば光るだろう原石。光るかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だからこそ、元の強豪校に身をおくのは博打だった。少し前の名前なら。

だけど、名前の練習に対するストイックさ、クレバーな判断。なにより、名前のバレーに対するひたむきさ。練習、基礎トレへの理解と姿勢。そこに名前のメンタルが追い付いてきた。ようやくだ。

そのひたむきさも努力も、誰もが持てるものではない。
それこそ、強豪校から戻って来いといわれるほどだ。名前はなんとも思っちゃいねえだろうけど。それにしても男子ユース強化委員も勤める雲雀田監督に呼び出されるなんざ、初めて聞いたときはまあびびったが。そんな大事隠すなよと小言のひとつやふたつ言いたい。

それはさておき、だ。

「で、なにが気に喰わないんだよ、繋心は」
「気に喰わないわけじゃねえけどよ…なんつーかな」

ただ、心配なのだ。信じていないわけじゃない。でも、寮制という逃げ場のない場所で、一度逃げ出した名前がどういう風に見られるか。絶対に楽しいことばかりじゃない。
今までチームに属さずにやって来た名前にとって、久々のチームが、かつて去ったチームだ。複雑だと思う。名前もだが、名前以上に周りが。

おそらく、あいつはまた壁にぶつかる。だから、心を支えるものは多い方がいいと思った。それだけだ。煙と一緒にその思いを吐き出せば、にやにやとたっつぁんが笑う。

「随分過保護じゃねえか、繋心」
「ダメだぞー、女子高生は。せめて卒業まで待てよ」
「ンなわけあるか!…メンタルの弱いあいつのことだから、あと1本なんか柱になるモンが欲しいんだよなあ…」

灰皿にタバコを押し付けて酒を煽る。この数週間で名前の顔つきは変わった。今までの精神状態とは全然違うのはわかっちゃあいるが。チームが受け入れてくれるかもわかんねえ。孤立する可能性だってあるし、ポジション争いで負ける可能性だって充分にあり得る。

ほんと、お前なんつー選択したんだよ、いつからそんな勝負できるまで強くなったんだよ、と半分呆れ、半分は内心で若さって怖い、と震えた。

「精神的支柱ねえ…西谷君とはいい感じなんだっけ?付き合っちゃえよ」
「そういうんじゃないらしいぞ、わかんねーけど。あいつにとっちゃ田中と西谷が特別で。あー、あとは青城の及川と岩泉もか」
「青城の及川と?交友関係広いな…」
「サーブとスパイクの師匠は及川とエースの岩泉なんだと。ウチが負けたその日にはもう東京行き伝えてたみてーだな」

西谷に田中。青城の及川と岩泉。名前の支えになる奴らは多いが、あと1本できればほしい。名前の心が折れそうな時に、支えになる誰かの存在。俺や先生じゃ足りねえしな。

「あとなんかねーかな、あいつが心折れそうなときに柱になってくれるモン」

そう言うと、2人は顔を見合わせた。

「お前さ、忘れてね?」
「居るだろ、絶対的な人が。俺らも世話になった」

あ。




「今日の練習はここまでだ!自主練はやりすぎんなよ、体壊したら元も子もねーからな!」

そう言うとはっきりした返事の後に全員がコートに散る。
インハイが終わって部のモチベーションは最高に近い。3年が残るとはっきり決めたことで、残りの奴らも奮い立ったみてえだな。

東京に戻ると決めた名前はもうマネージャーの仕事をせず、練習に混じっている。春高の予選はすぐだ。名前に残された時間は少ない。こいつも春高に行くなら一刻も早く体を元の状態に戻さねえと。だが、今日はそれよりも。

「名前、今日このあと時間あるか?」

きょとん、とする名前が自主練するつもりですけど、首を傾げた。ちょうどいい、というとさらに首を傾げる。月島、お前俺を睨むのヤメロ。なんもしねーよ。お前の時々出てくるその敵意はなんなんだよ。

「じじいんとこいくぞ」

名前がぴしりと固まったのを見て、思わず笑ってしまった。
結局、あ、とかその、とか言う名前を無理矢理引っ張って病院に向かった。退院を間近に控えたじじいは顔色も大分良い。病室で名前を迎えたじじいは、名前の顔を見た途端、ふ、と笑った。

「…名前か…その顔、ようやく決めたみてえだな」

顔を見ただけで分かるのは名前を小さい頃から見てきているからだろう。毎日顔を付き合わせていると分からないもんだが、じじいには全然違うらしい。そんな名前は、さっきまでの緊張した顔はどこかにやって、しっかりじじいを見据えた。

「監、督。私、戻ることにしました。もう一回、私の、」
「分かってる、お前はいつか、あの場所に戻ると思っていたぞ、俺はな」

ぽつりぽつりと話し始めた名前は、じじいの言葉にびっくりした表情を見せた。名前は呆然とじじいを見ていた。

「お前はちゃんと、前を向けてる。安心して行ってこい。俺はここで見てるしかできねえが、しんどくなったら羽を休めに戻って来い」

ぽん、と肩を叩かれた名前はびくり、と肩を震わせた。
名前はもう随分とじじいに会いに行ってなかったらしい。どうせこいつのことだ。じじいに心配をかけまいとしたんだろう。月イチで来ていた奴が来なくなった方が逆に心配だっつーの。見舞いに行く度にお前の様子聞かれる俺の身になれよ。

名前は怒られるんじゃないか、と思ってたみてえだけどそんな訳がねえ。実の孫よりもお前のこと可愛がってんだぞ。そんな奴がちゃんと前に進むってんだ、喜ばねーわけねーだろ。

「礼を言うのは俺の方だ。コイツをひっぱり出したのは、ごみ捨て場の決戦があったからだろう。烏養の名前で、音駒とやりたかったんだろ、ありがとうな」

名前が俺に拘った理由はなんとなく察しがついていた。じじいが音駒との戦いに心残りがあったことも分かっていたはずだ。だから、焦って俺に声をかけてきた。残された時間が無限にあるわけじゃないと突き付けられたから。

「進む道は1本じゃねえ。しんどいとき、辛いときこそ俯くなよ、バレーは、上を見るスポーツだからな」

くやしいが、まだまだじじいには敵わないらしい。ぼろぼろと涙を溢す名前を見て、じじいと俺には自然と笑みが溢れた。まだまだひよこだと思っていたこいつは、いつの間にかしっかり自分で飛べるようになっていた。

このまま、真っ直ぐに、高く、俺らの行けないところまで。飛んで行ってくれよと名前の頭を撫でた。



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