抑えられない獣たち


インターハイが始まった。
朝、学校に集合した皆の顔には少しの緊張と不安があって。それを押し殺してバスに乗り込む。
体育館に向かうバスの中はいつかのようなリラックスしたムードはなくて、昨日見たテレビの内容だったり、今日の潔子さんの美しさについてだったり。

いつもなら続く話も、今日は盛り上がっては消えを繰り返していた。皆、不安や緊張を吐き出したくて仕方ないのに、なかなか上手くいかない。

誰だって公式戦は緊張する。
私たちが積み重ねて来た努力も、ぶつけ合った感情も、掛けてきた時間も。たった3日間で、あるいはたった1日で結果が出てしまう。負ければ、そこでおしまい。それが公式戦だ。
緊張もする。恐ろしくもある。自分が掛けてきた全てを、勝ちと敗けで判断されるのは、すごく怖くて不安だ。でも、それ以上に勝ちたいという欲の方が強い。

一度覚えてしまえば、あの勝利の味を忘れることなどできない。だから、私たちは勝利を求めて戦う獣になる。





会場に入るや否や早速他校の生徒に絡み始めた田中には呆れてなにも言えなかった。いつでもどこに行っても平常通りなのは流石と言うべきかもしれないけど、せめてもう少し大人しくしててくれ、と縁下と苦笑を零した。

そう思いながら辺りを見回す。囁かれる西谷や影山の名前。青城の及川、1年。白鳥沢の牛島、天童。ちらほらと知っている名前が聴こえてくる。会場は別でも、きっと皆戦ってる。そう思うと緊張は少し薄れた。

何処に行ってもざわつく体育館には色んな学校の選手達がいて。その気迫は、各々がここにくるまで精一杯準備をしてきたことを物語っていた。

3面貼られたコートには第一試合を控えた他校の生徒が入っていて、床を擦る音が響く。流石に吹奏楽部を連れてきている学校はなさそうだけど、既に2階にはレギュラー以外の部員が居て、横断幕が貼られている。早めに行かないとな、と思っていたらすうう、と横にいた日向が体育館の空気を吸い込んだ。

「エアーサロンパスのにおいっ…!」
「懐かしいね、この感じ。ぞくぞくする」
「苗字はなんか慣れてんな?」

成田に言われて中学時代を思い出す。強豪と言われた私の学校は常にシード権を持っていたし、父兄の応援も部活の応援も熱の入りようは凄まじかった。

ベンチに入れないときは声を出しすぎて次の日は声が出なかったこともよく覚えている。そんな声量だから体育館中に声が響いて、近くてもお互いの声がよく聞き取れないこともあった。
でも、その声援が邪魔だなんてことは一度もなかった。

「まあ、私の中学けっこう応援すごくて…。一人ひとり応援歌みたいなのまであってさ」
「へー強豪校みたいだな」
「一応強豪校でしたから」

苦しい時の声援は本当に背中を押してくれるのを知っているから。日向は早くその力強さを知ってくれるといいな、と思う。ふと視界の端にはしゃぐ2人が入った。

「ノヤっさん!見ろよ!あれ!」
「テンション上がるじゃねえか!」

いつも通りの西谷と田中の様子に、少し安心する。
あの後から、私は西谷と話をしていない。マネージャーとして最低限の話しはするけど、それだけだ。大地さんも縁下もなんとなくの事情は知っていて、あまり気にするな、と慰めてくれた。

あんな話を、試合の直前にすべきじゃなかったかもしれない。でも、言ってしまったことに後悔をするのはもうやめた。

田中が進めと言ってくれた。西谷が自分に嘘を付くなと言った。ここで残ったら、きっと田中も西谷も裏切ることになるような気がして。
この3日間が終わったら、例え全国へ行けたとしても、私は私の決めた道を進む。だから、それまでは余計なことはもう考えない。今の私にできる精一杯をしようとそう決めていた。

よし、と内心で気合を入れていると、周りがざわつき始めた。なんだろう、と思って声の方を向くと白と緑のジャージが目に入った。

「伊達工…」

思わず呟くと、ぴり、とした雰囲気が流れる。向こうのガタイの良い人が、びしりと旭さんを指差した。この人、伊達工の鉄壁の1人だ。前の大会で旭さんを何度も止めて、烏野の心を折った人。

お互いに目を逸らさない2人に向こうの主将が慌てて止めに入った。二口、と呼ばれて出てきた男がその人の腕を下ろして嫌味を飛ばしていく。
こんな程度のご挨拶代わりの嫌味なんて良くある話だ。ましてや、前回あれだけやられた相手。熱くなりすぎるなよ、と繋兄に言われたのに。

元々バレーに関してはどうしても拘る質だ。喧嘩っぱやいのも重々承知。やられっぱなしなんかで終わらせるものか。

「今回も覚悟しておいてくださいね」
「その言葉」

あの日から。私たちの中に立ち止まってる人なんて、誰もいない。

「そっくりそのままお返ししますね」

私も負けじとにこり、と笑って言葉を突き返す。少し驚いたようにこっちを見る二口とやらはそのあとすぐ意地の悪そうな顔になった。
主将さんはいい人そうなのに、どうにもこの二口は真逆らしい。大変そうだな、向こうの主将も。…大地さんもか。

「へえ、アンタ、名前は?」
「苗字名前。精々見ててよ、二口クン。烏野はちゃんと強くなってきたから」

そう言うと、へえ、と二口はしばらく私を上から下まで見た。うっ、不愉快。田中や西谷じゃないけどやんのかこら、と言われているようだ。しかし、ここまで来たら引くに引けない。にらみ合いが続く。にや、と二口が笑った。

「フーン、随分な自信だな。そこまで言うならさあ、俺らが勝ったら俺とデートしてくれよ。余裕だろ?勝つんだもんな」
「はあ?」

何言ってんだこいつ、と半目になる。なんで私がこいつと、と思うと、分かりやすく二口の視線が潔子さんに向いた。ぎょっとしたのは私だ。多分、こいつ私が断ったら潔子さんに粉を掛けに行く気だ。それだけは絶対にだめだ。
ふっかけた私じゃなく、潔子さんに尻拭いをさせるわけにはいかない。

「止しなさい、苗字」
「やめろって!二口!」

強気?私は全然強気なんかじゃない。むしろ弱い。止まってばっかりで全然進めない弱虫だ。でもね、信じろって教えて貰ったから。だから、私は皆が勝てるって信じてる。

「いいよ。デートでもなんでも。私は皆が負けないって信じてるから」







「じゃあ、私は横断幕張ってきます」
「ありがとう、名前ちゃん。…ねえ、名前ちゃん、西谷と何かあった?」

伊達工とのやり取りが終わって私と潔子さんはいよいよ試合に向けての最終準備に入っていた。横断幕を張りに行こうとした私を潔子さんが呼び止めて、不安そうに見てきた。

伊達工とはちょっとやり過ぎたのかもしれない。大地さんにはめちゃくちゃ怒られたし、スガさんにも怒られたし、蛍ちゃんにはバカしか言われてない。田中にすら言われた。……確かにちょっとやりすぎたかもしれない。

けど。西谷は何も言わなかった。旭さんが指を指されたときにも真っ先に相手に絡みに行ったのは西谷だったけど、私の時には何もなかった。ある意味決定的なそれに、影山までもが眉間に皺を寄せていた。

私も田中も、西谷と何があったのか、大地さんに詳しくは伝えてない。もしかしたら、何があったか察してるのかもしれないけど。気にされているのは分かる。
でも、今は私の進退なんて、気にしないで欲しかった。特に3年生には。これが、最後になるかもしれないから。

「何もないですよ!西谷も柄にもなく緊張してるだけじゃないですか?」
「…そっか、それならいいんだけど…名前ちゃん。あんまり無理しちゃだめだよ」
「、はい!行ってきます」

そう言って階段を上がる。いつも通りでいるべきだと思った。

潔子さんには潔子さんにしか出来ないことが。私には私にしか出来ないことがある。今の私がすべきことは、皆が前だけを向けるようにいつも通りでいること。皆がいつも通りの力を発揮できるように、整えること。精神的にも。環境的にも。戦術的にも。

そう思わないといけないのに、目の前に広がるコートに、鼻を刺激する匂いに、響く声援に。なにもかもが持っていかれる、やっぱりあそこに立ちたい。

マネージャーは1人しかコートサイドに入れない。だから、私は2階で見てるしかできない。もうそんなのは、嫌だ。私もみんなと、戦いたい。
背中を押してくれる人がいる。待ってる、と言ってくれた人がいる。もう、私はその人たちの期待を裏切りたくない。

ねえ、西谷。例え西谷がもう一度行かないでって、言っても、私は前に進むよ。

「飛べ、か」

ばさり、と広げた黒い横断幕。書かれた飛べ、とはどちらの意味だろうか。スパイクやブロックのための跳べか。飛び立て、という意味の飛べか。私にとっては、飛び立て、の意味だ。後押しをしてくれる応援は、ここにもあった。

これを見つけたとき、潔子さんと2人で決めた。必ずこれを掲げようって。声なき声援が彼らに届くように。
烏野は部員全員がベンチ入りするから、青城や白鳥沢みたいに部員の応援があるわけじゃない。吹部も応援団もいない。外からの応援がないぶん、心の奥にある自分たちの思いを力に変えるしかない。

今年こそは全国へ。
大地さんたちを、あの場所へ。
沢山練習してきたから、きっと大丈夫。
新しい武器も手に入れた、あとはどう使うか。
全国で、音駒が待ってる。

皆が皆、心に道標を立ててここまできた。今、会場にいる全てが、その道を阻む敵だ。
周りに敵しかいなくても、背中を押してくれる人がいなくても。
私たちが強くなったことは、私たちが一番知ってる。

「行こう」

私たちの舞台へ。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -