見よ、あれがセントエルモの光だ


ピシャリ、と閉められた扉は突然に出来上がった壁のようだと思った。

呆然と、さっきまでご飯を食べていたテーブルを見る。さっきまで、一緒にご飯を食べていたのに、一瞬ですべてが変わってしまった気がした。
テーブルの上の食器がどんどん片されていくのを見ていると、私たちの関係すら片されていくようでやるせない気持ちになった。

「そこ、座れよ。名前」
「え、あ、……うん」

席に着くと、田中のおじさんが苦笑しながらこっちを見ていた。さっきの会話ももしかしたら聞こえていたのかも知れない。
少し時間が掛かって、ほら、と渡されたのは暖かいお茶だった。暖かい、と思って初めて手先が冷えていたことに気づいた。正面に座った田中が、少しだけ気まずそうにして口を開いた。

「悪かったな。ビビらせたろ」
「……結構、びっくりした。こんなの、初めてだったから」

田中と西谷の衝突らしい衝突は、今まで見たことが無かった。田中も、西谷も。縁下達も。皆、他人との距離を図るのが上手いから。
だから、さっきあったことは信じられなくて、未だに夢のようなふわふわした気持ちだった。

お茶を飲んで、ようやく体に感覚が戻ってくる。そしてそれと同時にこみ上がってくる後悔。

私、自分勝手で、最低だ。

西谷なら大丈夫だと、西谷なら分かってくれる、と心のどこかで勝手に決め付けていた。西谷の気持ちを全部無視して、私は西谷に自分の理想を押し付けたんだ。
なんて自分勝手なんだろう、と自分を殴りたくなった。言わなければ良かった。そしたら、田中が西谷を殴ることもなかった。

どうしよう。どうしたらいい。どうやったら元に戻れる。

そればっかりがぐるぐる回ってなにも分からなくなる。まだ暖かいお茶の面を見ても、なにも浮かんでくるわけなんかないのに。
俺たちを、あの後、西谷は何を言い掛けたんだろうか。

「あんま思い詰めんなよ」

田中はそう言って、静かに笑った。いつもうるさい田中は今日に限って凄く静かで。私が田中から、元気を奪ったんじゃないか、とさえ錯覚する。

「けど、ノヤがあんなこと言うなんて思っても無かった。…わりぃな、ぬかった」
「なんで、田中が謝るの…?」

田中が頭を掻きながら、あー、とバツが悪そうに私から目を逸らした。この際だから言うけど、と田中は前置きをして、一口水を含んだ。

「俺はお前が東京に行くこと止めねえよ。でも、ノヤの気持ち、わかんねーわけじゃねぇんだ。俺ももっとお前とバレーたいし、悔しいことに俺はまだお前に勝てたわけじゃねーしよ」

田中とは何度も試合をしてきた。パワー重視の田中とオールラウンダー型の私。お互いに優れた所があって、それを補うライバルだった。言い合いをして、西谷に止められて。そんな日々がこの1年ずっと続いていた。それでも、あんなに怒る田中は見たことがなかった。

「でも、ノヤなら。お前の背中を押すと思ったんだよ。俺より、お前のことずっと見てたから」

ずっと見ていた、って。なんでだろう。
私は少し技術があるだけの、ただの女子のプレイヤーだ。U-15だったのも、前はそうだっただけで今はそんな実力きっとない。それなのに、どうしてずっと見ていたんだろう。

「なんで……」
「なんつーか、ノヤは名前に憧れてたんだ。すっげえ。こっちが恥ずいくらいに。だから、初めて名前に会ったとき、ノヤはめちゃくちゃがっかりしてた」

西谷達と会ったのは入学してすぐだった。バレーを止めてやることもなくて。友達とも予定の合わない放課後に、本屋に立ち寄った。たまたま、本当にそれだけ。
あの時本屋で騒ぐ2人が私には眩しくて、煩わしかったけど。その2人が、そんなことを思っていたなんて知らなかった。

「あんな名前、俺の憧れてた苗字名前じゃねえ、って。俺もそう思ったぜ。だってお前、チョー暗い顔してんだもんよ。この世のなにもかもツマンナイです、って顔」

田中の言うとおりだった。あの頃。どこか物足りない日々は、私にとって確かにつまらない以外のなにものでもなかった。

「それからは知ってんだろ?ノヤはずっとお前んとこ通って、誘い続けて。結局引っ張ったのは烏養監督だったけどよ、でもノヤはすっげえ喜んでたぜ、これで名前とバレーできるって」

ことあるごとにバレーをしようと誘ってきた西谷を、正直煩わしいと思ったこともあった。寄せられた言葉も期待も、痛く、苦しく感じるときもあった。
でも、西谷の言葉は真っ直ぐだったし、入ってきて欲しくないところには決して踏み込んでこなかったから、私もいつの間にか西谷の隣が心地よくなっていた。

「アイツにとって、お前は神様みたいなモンなんだと。部活でお前のプレーを見てから、西谷はいつかお前とバレーするのやっと叶った、って言ってたぜ。お前、クラス違ったから知らねーと思うけどよ」

そう話す田中の中には、私の知らない西谷がいて。ずっと側にいた。ずっと支えてくれた。馬鹿みたいに笑ったり、ふざけあったり。バレーをしたり。
そんななんでもない日々を、西谷がそんなに大切に思っていたなんて、私は知らなかった。

「ノヤも名前が嫌いとか、そんなんじゃねえ。それだけは絶対間違ってない。たぶん、足りねえんだと思う。まだ、お前とバレーしてたいんだよ、あいつは」

私も西谷とバレーするのは楽しい。西谷がいるのといないのでは、安心感が全然違う。
難しいサーブも、鋭いスパイクも、西谷があげてくれるから。跳ね返されても、大丈夫だと信じられるから。だから、全力で打てる。信じて飛べる。
でも、それじゃあ。

「でも、それじゃだめなんだ。俺らの我儘に、お前が付き合う必要なんかねえよ。お前がチームで試合したいなら、その方がいい。チームで勝つから、バレーは楽しいんだろ」

試合中にチームが前を向けるよう、一番近くで支えてくれるのが、リベロなのだと、教えてくれたのは西谷だった。
その心強さに、このままでいたいと、男だったらよかったのに、と思ったことは一度や二度じゃない。このまま、烏野で皆と一緒にプレーできたら、と。そう思ったことも。

でも、それじゃ。チームに戻れなければ。試合に出れなければ。
西谷が教えてくれたリベロの強さを、私は一生知ることなく終わってしまう。そんなのは嫌だった。

「これから先、バレー続けてりゃ嫌でもどこかで会うんだ。だから、俺は裏切ったとか思わねーぞ!お前は俺らのことなんか気にせず、どんどん進んで行けよ!俺らだって、すぐ追い付くからな」

からからと笑う田中だけど、目の奥にはやっぱり行って欲しくないというのが隠れているのが分かった。少し眉間に寄る皺、下がる眉。無理やり明るく振る舞おうとする田中が、そこにはいた。この強い人が何もかもを押し殺してそう言うなら、私も覚悟を決めないといけない、と思った。

私だけが、いつまでも甘えているわけにいかない。

「戻りたいんだろ?東京」

そう言われて。やっぱりもう自分には嘘が付けなくて。
田中の言葉に、こくん、と頷くのが精一杯だった。田中の目を見て、私の思いをちゃんと伝えたいと思った。

「っ、戻り、たい……!皆みたいに、バレーしたい……!強く、なりたい……!」

私は西谷に勝手に自分の理想を押し付けてた。でも、きっとそれは西谷も同じで。
なら、私はちゃんと西谷と田中の憧れで居たい。田中の決意を無駄にしたくない。

私も、西谷みたいに。
バレーも、人としても、強くなりたい。
西谷が私を神様みたいに言うのなら。私の神様だって西谷だ。けど、それが私を、西谷を縛るのなら。


私は私の神様を殺すよ。


「戻れよ。名前。東京に。お前がそう思ってんなら。あん時ああしてりゃよかった、っていう後悔はすんな。どんな道でも、俺は応援する。お前なら、大丈夫だ」

田中もは真っ直ぐに私を見てそう告げた。
決めたなら、私は西谷の手を振り払ってでも進まないといけない。覚悟を決めろ、私。もう、振り返るな。真っ直ぐ歩け。私は、今日この場で私の未来を決める。

「ダチが腹括って進もうとしてんのに、応援しないわけねえだろ」

その言葉に、心が震えたのが分かった。

私は、きっとこの先、この言葉を頼りに生きていける。そう思った。

辛いときも、しんどくて、止まりたくなったときも。暗い海で見つけた、灯台の灯りを頼る船のように。

きっと進んでいけるのだと、思った。




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