その欲望の名前は


「あのさ、縁下。買い出し付き合ってくれない?」

そう声を掛けると、縁下はきょとんとした顔をして私を見返した。いいけど、と言って準備をしてくれた縁下と共に外へ出る。
予備として置いていたポタリの粉やテーピングの残りが怪しくなってきたので一括で買い出しに行ってほしい。そう潔子さんにお使いを頼まれて、折角なのでお供を拝借することにした。

「珍しいな、苗字が一緒に買い出し行こうって言ってくるの。いつも大体田中か西谷だろ?」
「うん……まあ、……でも、たまにはね」

言葉を濁しつつ、縁下と坂をだらだら歩いていく。他愛もない話をしていたけど、結局は部活のことばっかりで。
影山や大地さんたちと話をして、気づけば来週にはもうインターハイ予選が迫っていた。あれからずっと考えた。ようやく気持ちは固まりつつある。それでも、まだ誰にも相談は出来ていなかった。

もし、相談して。縁下に、皆に反対とかされたらどうしよう。そう思った。けど、反対されたら。そしたら、諦められるの。誰かに駄目、って言ったら私はその道を簡単に諦められられるのだろうか。

堂々巡りに入りそうな私の思考を止めたのは、俺らを信じろと言ってくれた2人の声と、彼らを信じなさいと言う武ちゃんの言葉。そして、先輩たちの言葉。
私は、私を信じられなくても、私の周りを信じることはできる。武ちゃんや、先輩たちが言うなら、きっと大丈夫。

「あの、さ。縁下……その、たとえばなんだけど……」

そう言うと、縁下は不思議そうに私を見た。

「大事な約束してて、でも、どうしても、やりたいことができて、その約束破っちゃう、かもしれなくなったら……縁下だったらどう、する?」

それでも、直接相談できる自信はなかった。あくまで例えだと言葉を濁して。
そう聞くと縁下は少し悩んで、真っ直ぐ私を見た。ああ、縁下もそうだ。この人も、自分でここを選んで戻ってきた人だった。

「そうだな……俺なら。やっぱりやりたいことを取るよ。後から裏切り者って言われてもさ、自分に嘘はつけない」

うーん、と少し悩んでから縁下はそう言った。悩んだように見えて、実はあまり悩まなかったのかもしれない。それくらい迷いのない、まっすぐな答えだった。

「俺さ、1年の夏に部活から逃げたことあったろ?」

こく、と頷く。縁下は少し気まずそうに目線を逸らした。烏養監督が戻ってきたあの夏。縁下達は部活から姿を消した。
それまで好きでやっていただけの練習から、勝つための練習に変わったその頃は皆しんどそうで。皆が部内に広がる不協和音に見てみぬ振りをしていた。私も、きっと大地さんたちも。

「あの時思ったんだよ。自分に嘘付き続けて、やりたいこと誤魔化し続けても、結局自分に返ってくるんだって。俺はどうしても、あの体育館のシューズの音も、腕の痺れも、忘れられなかった。結局、俺はキツい練習よりバレーから逃げた方がしんどかったんだよ」

バレーから離れた縁下だから、分かることだと思った。
そして、私もそうだった。烏養監督に言われる前から。西谷と田中に見つかる前から。私は本当は、ずっと、戻りたかった。

私はいつの間にか、バレーを辞める気なんて全く無くなっていた。

多分、自分に嘘をつくな、と西谷に言われたあの時から。私がどうしたいか、私にも見えない心の奥底にある羅針盤が定まったんだと思う。荒かった心音が、急に静かになった気がした。

「我慢することも大切かもしれないけど、俺はそんな我慢しなくていいと思ってる」

だって、勿体ないだろ。自分がやりたいって分かってるのに、やらないなんて。そう言うと縁下はふっ、と笑った。

「まあ、ちゃんと分かって貰う努力はするよ。理解して貰うまで、何度でも話す。多分、友達ならきっと理解してくれると思う。それが今じゃなくても、いつかは分かってくれると思う」

それが友達ってもんだろ、と笑う縁下に、武ちゃんの声が重なる。武ちゃん、確かに。武ちゃんの言う事間違ってなかったよ。友達って、チームメイトって。こういう存在なんだね。

「縁下はさ、…なんか、一周してきた感あるね。人生」
「俺そんな老けてねーよ!」

自分で、自分の道を選んで来た縁下は、素直に格好良かった。戻ってくることを選んだ旭さんも、勝つために正セッターを退いたスガさんも、チームの土台になると決めた大地さんも。私の周りには、強くて、格好良い人ばかりだ。

私も、強くなりたい。強く、ありたい。

「縁下。……その、ありがと」

そう言うと、縁下はおう、と笑った。






「ねえ、西谷、田中。ちょっと、いい?」

帰り道。西谷と田中を呼び止めた。田中の家でご飯を食べて。その帰りがけ。
店の入口で私と西谷を見送るタイミングで呼び掛けると2人はきょとん、と私を見た。真っ直ぐなその目に、私はどれだけ居心地の悪い思いをしたんだろうか。でも、その目に私は、どれだけ助けられたんだろうか。散々逃げてきたけど、今はこの目から逃げてはいけないと分かっている。

「私さ、……、その、東京、戻ろうと思う」

そう言うと、田中は目を大きくしてマジか、と呟いた。とうとう、言ってしまった。でも、私が決めたことだ。もう、後戻りは出来ない。

勝ちたい。練習したい。チームで戦いたい。そんな思いに、欲に、蓋をするのはもう限界だった。チームとして成長していく皆を、近くで見ていれば見ているほど、それはどんどん強くなっていって。

もう、自分に嘘を付けないと思った。
だから、もう悩むのは止めた。

東京に戻ると決めたことは、真っ先にこの2人に伝えたかった。そう思ったのは、私なりのケジメだ。私をここまで戻してくれたのはこの2人だったから。

呆然としていた2人だったけど、真っ先に表情を変えたのは田中だった。

「……そ、うか。よーやく決めたな!名前!烏野の後はこの田中様に任せろ!全国いってやんよ!」
「田中……ごめん、全国行くって約束したのに…!」

私の気掛かりは、それだった。約束したんだ。大地さんたちを全国に連れて行くって。それなのに、私は自分のバレーの道を歩く。ひどい裏切りで、我儘だと思っていた。
そんな私の予想とは逆に、田中から出てきたのは謝んじゃねえ、という少し怒ったような声色と言葉だった。

「何言ってんだよ!!俺は名前がバレーを思いっきりやれる方を応援するぜ!」

バシン、と背中を叩かれた。良かった。田中にきちんと伝えられて。田中とはずっとぶつかってばっかりだったから、最後もぶつかると思ってた。

でもそれは私が勝手に考えてたシナリオで。実際に田中が怒ることは何一つ無かった。むしろ背中を押してくれるばかりで、うじうじと悩んでいた自分が少し馬鹿らしかった。

もっと早くに相談すれば良かった。やっぱり、私の周りの人たちは強い。
信じて、伝えて良かった。

そう、思ってた。

西谷の言葉を聞くまで。

「な!そう思うだろ?ノヤっさ――」




「嫌だ」






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