融点はきみのぬくもり


「苗字、ちょっといいか?」

大地さんにそんな風に呼び止められたのは、武ちゃんに指導室に呼ばれたその日の練習後。坂の下商店で肉まんを食べていたときだった。

昨日の影山とのことかな、と思って皆が気を効かせて先に帰って行った。皆の背中を見送った後、ここじゃなんだから、とスガさんの提案で私と先輩たちは少し離れた公園に向かった。

心臓が嫌な音を立てて軋む。

なんて言おう。なんて説明しよう。そう考えてもなにも出てこなくて。どうしよう、ばかりが募る。まるで親に怒られるのを待つ子供のようだった。心臓がばくばくと嫌な音を立てる。

大丈夫です。
ケンカじゃないですよ。
影山とはなにもないです。

それだけで乗り切れるだろうか。いくら考えてもあの大地さんの、スガさんの、旭さんの。まっすぐな目から逃げられる気がしなかった。
虫の鳴き声すらしなくなった公園は、少しの身じろぎから私のなにもかもが伝わりそうで、心臓が痛い。

今まで沢山逃げてきた。今さら虫のいい話だってことも分かってる。それでも。

今は、昨日の影山とのことだけ聞いてほしい。
それ以外の、この先のこととか、私の考えてることには、お願いだから触れないでほしい。今まで考えたくないと、目を逸らし続けて来たけど。それでも、もう少し、もう少しだけ。私が、私に向き合う時間がほしい。

だから、お願い。

そう祈りながら俯いた顔を上げる。先輩たちを見て、すっ、と心が冷えていった。
大地さんの、気まずそうな、なにか言いにくいことを伝えるような表情。それだけでなんとなくわかってしまった。

「苗字はさ…、西谷と旭が居なくなってから、泣かなくなったよな。なんていうか、強くなった。それは俺たちも感じてるし、すごく嬉しい」
「なん、ですか、急に。やめてくださいよ、私、そんな」

強くなんてない。

こんなに迷っているのに。こんなに決められないのに。なんで強くなったなんて。そう言いたいのに何も言えなくて、また俯くことしかできなかった。早く、早く終わって。こんな時間。

「すまん!今まで悪かった!苗字」

どうして。謝るの。私、謝られるようなことなんて、なにもしてないのに。

口の中がからからに乾いた。夏前なのに、手先が凍てつく冬の朝のように冷たい。どうしよう、どう、しよう。でも、どうしようも、ない。

大地さんの言葉のその先はなんとなく、察しがついた。
コーチもいる。監督もいる。強い1年も入った。旭さんも戻ってきた。西谷も。今の烏野に、欠けているものはない。

分かっていた。私だけが、ひどく中途半端な存在なことくらい。選手でも、マネージャーでも、コーチでもない。自分でも思う。自分が何なのか、何故ここにいるのか、本当に、ここにいるべきなのか。分からない。

そんな思いを無理矢理消すように、ここ最近で練習量が増えたことも、焦っていることも。私の周りだけ空気が重いことも、分かってる。

日向にどうしたのかと聞かれるくらいには練習量は増えていた。
影山に見抜かれるくらいには心も体もいっぱいいっぱいだった。
忠が私を1人にさせないようにさりげなく周りとの距離を調整していた。
蛍ちゃんがサーブすら不安定になって苛立つ私の隣に何も言わずいてくれた。

焦り。不安。孤独。閉塞。
皆が側にいても、それは払拭出来なくて。皆がこれだけの事をしてくれたのに。私は私で精一杯過ぎて。それすら無下に扱った。
その結果を、私はよく知ってる。


『もう付いていけないよ』


その声が頭を過る。またか。また、私は、間違えた。そう宣言されるのが怖くてぎゅ、と目を瞑った。捨てられる恐怖はいつまでも私の足に絡み付いている。

「今まで俺たち、苗字に頼りすぎてた。だから、俺たちもちゃんと苗字に頼られるようになるよ」

私の想像していた言葉とは違う言葉が出て来て、思わず目を見開いた。見捨てられた訳じゃ、ない?どういうこと、と見つめていると、くしゃりと眉を下げてスガさんが笑った。

「色々動いてくれてたべ?武田先生のことも、烏養コーチも、音駒との練習試合も。俺たちがもっとしっかりしてたら、苗字ちゃんももっと頼れてただろ?」
「だからさ、前しか向かないのは止めるよ。ちゃんと横も、後ろも。全部見るから、苗字さんもなにかあったら抱え込まないで、ちゃんと言ってくれよ?」

頼りないかもしれないけど、と頬をかきながら笑う旭さん。頷くスガさん。

「俺たちの全国行きは、春高まで残んなかったら最後のチャンスだ。だから、このメンバーで行きたい。全国まで」

まっすぐな大地さんの目が私を貫いた。また、この目だ。

「わがままだって分かってる。苗字だって、色々考えてるんだろ?」

急に来たその言葉に、何も返すことができなくて、こくり、と頷いた。考えてる。まだ決まったわけじゃないけど。それでも、もう心には、この欲望には抗えないと思っていた。

チームでバレーがしたい。もっと上に行きたい。なっちゃんに、佐久早に、影山に言われて、気づかされた欲。気持ちに蓋をすることがもう、日に日に難しくなってきたのを、きっと先輩たちも気づいてる。

「昨日はさ、影山にもいろいろ言われたんだろ?俺たちもさ、コーチや及川に言われたよ。俺たち3年が、一番苗字から離れられてないって。だから、俺たちも覚悟することにした。苗字が、どの道を選んでも、どこにいても、絶対に肩並べるって」

繋兄と及川さんの名前が出てくるとは思わなくて、思わず目を剥いた。背中を押してくれる人たちは他にもいるっていう簡単なことを、私はまた忘れていた。

「だから、苗字。チームに戻りたくなったら、試合に出たくなったら、迷わず選べよ。苗字が例えどこにいようとも、お前は俺たちの可愛い後輩で、烏野高校バレー部の一員だからな」

安心しろ、お前なら大丈夫だ、どこにいても。

そう背中を押された。優しく、でもしっかりと。
応援してくれてる人が、こんなにも近くにいる。進んでいいよ、って、言ってくれる人が。そう思ったら急に体が軽くなった。

私を支えてくれる人はこんなにもいる。その人たちから、こんなにも沢山、与えてもらった。支えてくれた。なら、私はその人たちに、少しでも何かを返したい。それがどれだけ先になっても、いつか。

「はは、言った側から…泣き虫はまだまだ健在だな?」
「よしよし、ここ最近苗字ちゃんずっとしんどそうだったもんな、ごめんなー、頼りない先輩で」

頬を伝う水は体温と一緒で、溶けて消えてしまえばいいのに、とそう思った。



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