荒れ地へ連れていって


次の日。影山は驚くほどいつも通りだった。
朝練で普通に挨拶して、トスを上げて。私ばっかり気にして、影山をチラチラと見ていたら田中にからかわれた。まあ、田中なりの気遣いなんだろうけど、恥ずかしいからやめろ。馬鹿。

昨日の帰り道、あんなに感情を表に出す影山を初めて見た。1年の中でも、蛍ちゃんに次いで静かな印象。まあ、時々男子だな、って思うときはあるけど。
でも、昨日の帰り道にはそんな影山なんて居なくて。なんだか、少しびっくりした。影山にあんな風に思われてたなんて、意外だったから。

いつまでそうしてるんだ、とはっきり言われた。
ここまで、とはっきり答えられなくて、何も言えなくて。もう、本当は。半分くらい心は決まっていた。私はバレーがしたい。でも、今、ここを離れて、私だけがやりたいことをするのは、正しいことなんだろうか。

だって、3年はこれが最後の試合になるかもしれない。大地さんたちと全国に行こうって田中と約束したのに。本当に私は、後悔しないんだろうか。
あのとき、大地さんたちと一緒にいれば、って。後から思わないんだろうか。

「―――、苗字さん!」
「っ!はい!」

突然呼ばれた自分の名前に、思わず顔を上げる。どうやら当てられていたらしい。しまった、考えすぎて何も聞いてなかった。
質問の内容も分からなければ、どこを読んでいたのかも分からない。しかも最悪なことに、今は武ちゃんの授業だ。後で絶対に怒られる。

「この時の神父の心情を一言で現すとどうでしょうか?」

武ちゃんのその一言に、えーと、と手元の教科書を読む。たしか今はこのページ、そう、少し暗い雰囲気の漂う、この文章。日本にキリスト教を布教しにきた神父。このまま苗を植え続けるべきか。それとも師と同じように諦めるか。

どちらを選ぶ。どちらが正しい。選べず、進めず。それでも、尚、決めなければならない。立ち止まることは許されない。まるで私みたいだと思った。

「苗字さん?」

物語は途中までしか書かれていない。それでも、物語には終わりがあって、きっと答えが出てるんだろう。この人はどうしたんだろう。どうやって決めたんだろう。なにが決め手だったんだろう。
考えれば考えるほど分からなくなって、物語の中のことなのに、自分のことのような錯覚を覚える。
ざわり、と揺れ動く心臓を止める術を、私は知らない。

「苗字さん」
「ぁ……ぇ……、と……すいません。分かりません」
「…授業に集中できないようですね。昼休み、職員室に来なさい」

そう武ちゃんに言われて席に着いた。やらかした、とため息をつくと、隣の子がドンマイ、と小さく笑う。はは、と曖昧な笑顔だけ返して、またため息をついた。






「ああ、苗字さん。ちょっと待ってて下さい」

言われた通り、昼休みに訪れると少し忙しそうな武ちゃんが迎えてくれた。少し待つと行きましょう、と言って職員室から、生徒指導室に場所を変えた。
マジで?私お仕置き部屋に収容されるくらいやっちゃいけないことしたの?そんなに武ちゃんキレた?うわ、ご、ごめん。

生徒指導室に入ると、昼休みの騒がしさはどこかに消えてしん、とした部屋に2人だけになる。そんなにガチで怒られるのか、と座ると、武ちゃんがにこにこしながら私を見ている。あれ、そんな怒ってない……?

「苗字さんは、進路というか、自分がどうしたいか、……悩んでますね?」
「武ちゃん先生…………分かりますか」
「はい、こう見えても教師ですしね」

にこ、と武ちゃんは嗤った。本当に、よく見ていると思った。
例えバレーの経験がなくても、運動部の指導の経験がなくても。私にとっては全然関係ない。いつだって皆をよく見て、心強い言葉を掛けてくれる先生だ。

迷いも悩みも見透かされていたのに、全然嫌な感じはしなくて、むしろ少しだけ安心した自分がいた。

「武田先生……あの、」

すこし、聞いてくれますか。
そう言うと、武ちゃんは勿論です、と笑ってくれた。まだ、誰かに話せるほど、確かなものじゃない。でも、誰かに話さないとぐるぐると堂々巡りをしてしまいそうで。

纏まらないながらに、少しずつ話をした。練習に物足りなさを感じてること、東京の学校に戻って来ないかと言われていること、3年生と全国に行きたいこと。半分くらい気持ちは決まっているのに踏ん切りがつかないこと。時間が、ないこと。

考えていること、迷っていることを伝えると、武ちゃんは沢山悩みましたね、と苦笑した。では、と声色を変えて、武ちゃんがまっすぐに私を見た。真剣な表情にどきん、と心臓が波打つ。

「君より歳を重ねた、1人の大人として伝えてもいいでしょうか。……苗字さんの将来を考えるなら、君は東京で、チームに加わるべきでしょう。バレーはチームスポーツですし、確かに、宮城にも強豪校はありますが、お誘いを受けている強豪校の環境には敵いません。まして、苗字さんが、バレーと共に生きていくのであれば、よりレベルの高い環境を選ぶ方がいいと思います」

たぶん、冷静に判断できる人はそう考えると思う。迷いなく取る切符だと、私も思う。でも、その切符を受け取るタイミングはどうして「今」なんだろう。そうじゃなかったら選べたのに。どうして。私は、どっちを選べばいい。ですが、と武ちゃんが続けた。

「バレー部の顧問として、行って欲しくありません。チームとしてもとてもいい状態ですし、全体的なレベルも上がってます。去年と違って烏養君という指導者もつきましたし、いままで通り大学生や社会人チームでの練習で徹底的に個人技を磨く方が、苗字さんには合っているかもしれません」

全く逆のことを言い出した武ちゃんに思わず目を見開いた。き、決められなくて相談してるのに、どっちもみたいなそんなの、待ってよ。ズルくない?武ちゃん。
私の表情からそれを察したのか、武ちゃんは笑った。

「ふふ、決まらないですよね。決まらなくて当然ですよ。大人でも難しい決断です。でもね、苗字さん。遅かれ早かれ、人にはいつか、何かを選ばなければならない時が来ます」

進路だったり、就職だったり。その大きさは人によって大きさは違うけど、自分で決めなくてはならない。そんなのわかってる。でも、その踏ん切りがつかないのに、どうしたらいいの。

「でも、それは1から100まで、苗字さんがひとりで決なければいけないことですか?」

武ちゃんのその言葉に、え、と声を漏らした。だって、進路って、そうやって決めていくんじゃないの?人生を決める、って、そういうことじゃないの?違うの?どういうこと、武ちゃん。

「僕は苗字さんではないので、君の代わりに結論を出してあげることはできません。ですから、僕が出来るアドバイスをしましょう」

にこり、と笑う武ちゃんはまっすぐに私を見ていた。雰囲気が変わったああ、また、真っ直ぐだ。西谷も、田中も、及川さんも、牛若も、木兎さんも。なっちゃんも。
みんな、真っ直ぐだ。

わかった。なんで私が、この目が苦手なのか。

この目は。この真っ直ぐさは。
何かを選んで、何かを捨てて、それでも進んできた心の強さだ。

まだ、私にはない、この道を、この選択肢を。
自分が選んできたという、心の、芯の強さ。

「君が心から信頼する人に、正直に打ち明けてみて下さい。自分の心がどちらに傾いているのかも含めて。自分にはない考え方を教えてくれて、迷った時には背中を押してくれる」

ふと、頭に浮かぶのは。あの底抜けに明るい、私を呼ぶ声。真っ直ぐ前だけを見ている、私より幾分か低く、私より遥かに大きな背中。

「それが、友人という存在ですよ」



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