52ヘルツの海を泳ぐ鯨


GWが明けて、再び学校が始まった。
いよいよインターハイが近い。最後の試合になるかもしれない3年生は気合いの入り方が違うし、1、2年だけじゃなくて、繋兄や先生、潔子さんの熱量も日に日に増していった。
皆がチームとしてできること、チームのために出来ることを進めていく中で、私だけが違った。

「っち……!」

ネットに引っ掛かったボールがとん、とコートに落ちた。はあ、と大きくため息をつく。思わず出た舌打ちに、日向と忠の肩がびくりと震えた。
ごめん、と思ったけどそれを口に出す余裕も無かった。聞こえてしまったことに知らんぷりをして、もう一度サーブトスを上げる。打ったボールはエンドラインを大きく越えていった。今度は特大ホームラン。零れそうになるため息を呑み込んだ。

全然集中出来てない。もう1週間もずっとこの調子だ。
理由なんて分かりきってる。

GW明けから、ずっと脳裏に浮かぶなっちゃんの、監督の言葉。佐久早の、あのキャプテンの言葉。呪いみたいにずっと頭の中でちらつく。分かってる現実を改めて突きつけられた。

合宿中はずっとバレーで一杯だったから考えなくてすんだけど、学校が始まってバレー以外の時間が増えたら、突然聞こえて来る。

もう一度。エース。選抜。待ってる。インターハイ。

リフレインする単語の数々。進みたい。自分がどうしたいか、もう漠然とした答えは出ているのに、まだはっきりと形になっていない。そんな曖昧な決意。

最後の一歩が踏み出せないのは、それを伝えたときにどう思われるか、そればかり考えているからで。及川さんや岩泉さんたちの言うとおり、信じたいのに、信じられない。信じ切れない自分が嫌で、決意が揺らぐ。それを繰り返してばかり。

もう合宿が終わってから2週間も経つのに、未だに私はなっちゃんへ答えを返せていない。

「今日はもう閉めるぞー」
「あの!」

大地さんの締めの言葉に、はっとする。もう練習が終わってしまう。
まだ帰りたくなかった。今帰っても、このモヤモヤが続くだけだ。まだ何も考えたくない。疲れて、体が悲鳴を上げるまで、バレーをして、泥のように何も考えずに眠りたい。
逃げだって分かってる。それでも今は、考えるのが、嫌だ。考えたくない。

「もう少し、残って行きます」
「ダメだ。名前、お前最近オーバーワーク気味だぞ。自覚あんだろ」
「っ……!でも!」
「苗字先輩」

皆が私と繋兄を見守っているのは分かってた。でも、思っても無かった人から続く言葉を止められて、びっくりしてそのままこくりと頷いてしまった。

「ちょっといいスか」




「……なんていうか、影山とこうやって帰るなんて思わなかった」
「……俺も、あんまり止める気無かったんすけど……なんつーか……その、すいません、今から生意気言います!」

ぐんぐんヨーグルを手渡しながら、苗字先輩ととぼとぼ帰り道を歩く。キャプテンに苗字先輩を送る、っていう名目で2人にしてもらった。俺はどうしても言いたいことがある。今、バレーに集中出来てないこの人に。

GW明けから調子を崩した苗字先輩。部内であったことと言えば、音駒の主将にナンパされたことくらいだけど、たぶんそれくらいでペースを崩すような人じゃない。
他のメンタルは日向並みにぐずぐずでも、バレーのプレーに関することに絶対的な芯を持ってるこの人が調子を崩すなら、やっぱりバレーしかない。

春に烏野に来て、この人を間近で見てきて、ずっと言いたかった。体格も、パワーも、ネットの高さすら違う、コートに、1人で世界の違う場所に居続ける、この孤高の人に。

「コートには6人いること忘れたら、ダメです。苗字先輩」

そんな人だから、孤独であることに。慣れないで欲しかった。

「俺は……中学のとき、それが分かんなくて、……でも、今は分かります。コートは1人で頑張るところじゃなくて、皆で、チームで勝つところだって」

烏野に来て、やっと岩泉さんが及川さんに言ったことがすこしだけ分かった気がした。それまでの俺は、バレーがチームのスポーツだってことが分かっていなくて、結果的に王様だなんてクソみたいなあだ名がついた。

思えば、あの時。誰もトスに飛び付かなかったのは、あいつらの最後の優しさなんじゃねえか、って思う。でも、俺はそれに気付かなくて、ベンチに下げられた。今でもあの頃の俺を一発ぶん殴ってやりたい。気付けよ、ボケ、って殴りたい。

気付けなかった俺と違って、この人は分かってる。1人の絶対的な強さより、チームの強さが強いことを。それに、なんでか気づかないフリをしてることも。

「だから、そんだけの実力とセンスがあるのに、自分を潰すような練習なんて、絶対にダメッス!!」
「か、げやま……」
「苗字先輩が焦るの、俺にも良く分かります。チームでしか試合が出来ないのにチームと練習出来ないの、めちゃくちゃしんどくて、辛くて、どうしていいかわかんなくなります。でも、絶対、チームに戻ること、諦めないで下さい」

そう言うと、ぐっ、と苗字先輩は言いたいことを我慢しながら、言葉を選びながら、続ける。

「諦めてなんかない……!でも、今は……!」
「じゃあ、なんで!チームに戻ろうとしないんスか!」

―――ムカつく。いつまでもうじうじ悩んで、決めらんなくて。男ならブン殴ってる、多分。

相手は女、と思い出して思わず肩を掴んだ。真っ正面から見る、俺より少し低い身長。
女子にしてはパワーもある。でも、パワーに頼らない高い技術もある。他より才能が無くても、執念にも近い練習量とバレーに関する情熱は、誰にも負けない。

バレーはこんなにも可能性があって、楽しいものだと、自分の全てで伝える人。つまり超バレー馬鹿だ。俺と同じ。
苦しくても、辛くてもバレーが好きだから、あんなに楽しそうにバレーするんじゃねぇのかよ!

「今じゃなかったらいつなんスか?明日ですか!?1年後ですか!?どれだけ待ったら、俺はアンタの試合が見れるんですか!……俺、苗字先輩の試合見ました。U-15の……中国戦。その時の先輩は楽しそうに試合してたのに、今のアンタ、全然楽しそうじゃねえ!」
「っ!」

この2週間。先輩はずっと苦しそうにバレーをしていた。義務のようにサーブを打って、逃げるようにスパイクを打って。前まではこの人の向こうに、水色の1番と4番を背負う大きな背中が見えた。でも、今ではこの人の孤独な背中しか見えない。

「俺がどんなに頼んでも教えて貰えなかった及川さんのサーブと、岩泉さんのスパイクが!あんな強い武器があるのに!なんで、それで上に行こうとしないんスか!」

ずるい。あんなに強い武器があるのに。なんでここにいるんですか、先輩。先輩ならいけんだろ。もっと、高いところに放つトスみたいに。日向が言う、頂の景色が見えるところに。届くじゃないですか。届いていたじゃないですか。なのに、なんで。

「俺は!チームで、全力で、プレーがする、アンタが見たい!っ、逃げんなよ!」

思わず力を込めたこの細い肩に、この人は一体どれだけのものを積み上げてきたんだろう、と思った。正直、俺にはわかんねえ。でも、進んでほしい。立ち止まらないでほしい。

俺はこの人の、バレーに負けたくない。
今の、時間を止めてしまったこの人のバレーに、負けたくない。




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