05


名前がバレー辞めたのってなんでなんだ?と聞いたのは西谷だった。
ピキン、と空気が凍ったと感じたのは俺だけじゃない、というか西谷以外はみんな感じている。

東京での3年間で、苗字に何かあったのは明白で。重いだろうそれを引きずってるのも明白で。それだけに誰も聞かなかったのを、こいつはぶっこんできた。ほんと西谷のそういうとこどうかしてると思う。
はらはらそわそわと落ち着かない東峰さんは西谷と苗字を見比べている。

あー、とこぼした苗字はバビコを吸いながら、バツが悪そうに地面を見つめて、ぽろ、とこぼした。

好きなのにしんどくなるとき、ないですか。

それをこぼした苗字の気持ちが、俺には痛いほど分かった。西谷はいまいちピンと来てなさそうだ。
頼むからお前ちょっと黙ってろよ。せっかく今苗字が心開いて話してくれてんだから。

「追い詰められるっていうか、好きじゃなきゃいけないみたいな、雰囲気。バレーは好きです。練習も嫌いじゃない。ひとつひとつ、出来ることが増えていくのは楽しかった。でもそれが当たり前になったとき、すごく息苦しく感じてしまって」

丁度スランプに陥ったこともあったし、それ以外のことも重なって。バレーが好きでやってたはずなのに、気づいたら自分に言い聞かせていた。大丈夫、私はまだバレーが好きだ。好きに決まってる。そうじゃなきゃ東京に来ない。まだ、やれてる。違う、まだやらなきゃいけない。大丈夫、大丈夫、大丈夫。自分に精一杯言い聞かせて、一杯一杯になって、結局逃げた。たぶん、今も逃げてる。

そう、ぽつりぽつり、とこぼす苗字はコート上での存在感とは違って、ひどく存在の薄いもののような気がした。
勝手に天才だと思っていた。でも実際には、天才じゃなくて完璧にするまで練習を辞めない、ただの努力家だった。

「熱量に差がありますし、練習もそんなハードにできないし。それでも、私、上手くなりたかったんです、でも」

そんなとき言われた一言で、私の張り詰めた糸は簡単に切れてしまった。

苗字は、困ったように笑った。今までに見たことがない、本当に困った顔。
試合の時とも違うそれに、ぐっと喉元まで言葉が出かける。きっと、その言葉は苗字にとって、身を割かれるような言葉だ。

言わなくていいよ、と言いたくなった。逃げていいんだと、言いたかった。
それはきっと昔の苗字も今の俺も、逃げ出したいと思ってるからだ。





「名前はいいよね、才能あるから。練習厳しくても気になんないんでしょって、言われちゃいました」

練習が厳しいのなんて誰だって嫌だ。できるならずっとゲームだけしてたい。
でも、それができるほど私にはまだ技術はないし、練習でできないものが本番でできるとも思わなかった。
だから、練習量を増やさないと、って思ってた。私に才能なんてないし、天才でもなんでもなかったから。
試合では負けたくない。だから練習した。後悔したくないから、できることは全部やろうと思った。

でもそう考えてたのは私だけだった。

私がしてきた努力も時間も、全て「才能」で片付けられてしまった。
一緒の時間を過ごしてきたチームメイトに言われて、それはとうとう我慢していた糸を切るには十分だった。

「無理、もうバレーできないって思ったんですよね」

ははは、と笑うと、田中まで顔をゆがめた。西谷だけがまっすぐに、表情を変えず私を見ていた。
やだなあ、いつも通り笑い飛ばしてよ。
私のそんなささやかな願いもむなしく、みんなの顔はもとに戻らないし、話を遮られることもなかった。
買ったバビコはもうとっくに無くなっていて、空になった容器を手持無沙汰に遊ばせている。
なんとなくみんなの顔は見れなかった。

バレーをする理由が分からなくなった。自分が本当にバレーが好きなのかわからなくなって、気づいたら推薦を蹴って、地元に帰ってきてた。
でもその時は後悔なんて微塵もなくて。ああ、これで友達と放課後に遊んだり、一日中カラオケしたり、突き指とか気にしなくていいからネイルとかもできる、って。そんなことばっかり考えてた。

でも実際やったら、何してても思い出していた。自分の長くした爪とか内出血してない腕とか見るたびに、ああ、ホントに良かったのかなって。
才能だなんだと言われようとも、あの場所にすがるべきだったんじゃないかって。

うじうじ悩んでそれでもバレーから離れられなくて、本屋で月バリ買おうとしたら西谷と田中に会った。それで2人と出会ってマネージャーに誘われて。結局、私はまた戻ってきた。それでも私はあの時から前に進めていない。もういいじゃんついていけない、って言われて、見捨てられるのが怖い。
ほら、私は臆病なままだ。

「まー、俺は名前は天才だと思うけどな!」

西谷のその言葉に、みんながぎょっとしたのが分かった。お前ちゃんと話聞いてた?と胡乱な目をしていたのは縁下だ。
少し、がっかりした、といったら西谷はどう思うんだろう。なんとなく怖くなって、さらに下を向く。逃げれるわけないのに。

「あーはいは」
「努力の天才だろ!名前は!」

出そうとした音が、空気になって消えてしまった。

「流石ノヤっさん!いいこと言うぜ!」
「だろ!?龍!」
「ノヤっさんの言うとおり自分追い詰めるほど努力できるのはスゲーと思ってんぜ俺も!」

ばくん、とアイスを食べきってぶん!と大きく腕を振り上げた。私より身長が低い2人のはずなのに、振り上げた腕は、私よりも大きく、逞しくて。漠然と、全部、持っていかれたと思った。

「俺もユース行ってやるぜ!うおおお!」
「全国行くぞオラァァァァ!!」
「お前らうるさい!」

大地先輩がそう叫ぶと、さらにうおおおと叫んだ2人。最終的には殴られてようやく黙った。躾に一番効くのは痛みとはこのことか…と呆然とする。
ぽん、と頭を撫でられた。スガ先輩がにこにこ笑って頭を撫でる。え、と固まっていると同じように大地さんも撫でてきた。

「力抜いていくべ、苗字ちゃん」
「ここにいるみんなは、苗字のことちゃんとわかってるぞ…あの二人は野性の勘かもしれないけどな」
「あんまり思い詰めるといいことないぞ、苗字さんも少しは頼ってくれよ」
「おっ、言うなあへなちょこ旭」
「へなちょこ言うなよ!」

苦笑する3人の先輩に、頭で考えるよりも、ぶわ、と何かが込み上げてきた。何かはわからないけど、唐突にあふれでてきたそれを止める術は、わたしにはなかった。

「っ…!は、い"」

よしよし可愛いね苗字ちゃん、大丈夫だぞ後輩見捨てるなんてしないしお前は間違ってないよ、それにしても苗字さんはよく泣くな〜、と先輩たちから撫でられた感覚はすごく暖かくて、大きくて。なにかが肩から降りた気がした。

思い浮かんだのは東京のチームメイト。ああ、ねえ、私やっぱりこっちに帰って来てよかったよ。みんな、ごめんね。

私、もう逃げるの辞めるよ。



「烏養監督」
「ひよこか…はっ、イイ顔するようになったじゃねえか」
「お願いします。もう一度、私に練習着けてください」
「……お前、バレーに一番大事なのはなんだと思う」
「…信じることです」

チームを。何より自分を。自分が培ってきた全てを。信じて、飛ぶこと。もう迷わないと決めたんだ。

「フン、お前をもう一度世界に飛ばすぞ。チビの時みたいに泣きながら練習すんじゃねえぞ」
「いつの話ですか!……よろしくお願いします!!」

烏養監督はおう、と言うとぽん、と頭に手を乗せた。思ったよりも優しい手に、やっぱり私が泣いたのはしょうがないことだと思う。



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