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上がったトスを何処にあげるか。スガさんの迷いが手に取るように分かった。
誰だって間違えたくない。失敗したくない。責められたくない。安全策を取りたい。楽な方に行きたい。思考を止めたい。
でもそれじゃだめだ。それじゃ、私たちは、進めない。
ブロックフォローでボールを拾う。西谷が、このために練習してきた全てが、あのレシーブだった。このボールは、ただのトスじゃない。だからこそ、旭さんにも、スガさんにも諦めて欲しくなかった。
行ける、上げて。上げろ、そのボールは。誰のためのボールだ。
「トスを呼んでくれ!エース!」
『決めて!エース!』
西谷の叫びがダブる。
呼ばれた、と思った。
「スガさん!諦めないで!」
「スガさん!もう一度!」
そんな声が聞こえて。
思い切りスガを呼ぶ。あの時、怖くて呼べなかったトス。苗字さんが叫んで、スガが上げてくれて、西谷にあそこまで言われて。これでビビっていたら俺はもうコートに立つ資格はない。
3枚ブロックをぶち抜いて。音を立ててコートにつきささったスパイク。じんじんとする手を握ると、涙ぐんでいる奴らが目に入った。田中なんか泣きながらブロック飛んでたし。
大地にもスガにも、西谷にも悪いことしたなあ…。勝手に戻れないと思って、自分に言い訳をして。すげえカッコ悪かった。
ごめん、と謝ると、スガと大地がおせーよ、と笑った。2年はほぼ全員泣いているらしい。男泣きとまでは行かないにしろ、目が潤んでる。縁下もだ。ごめんなあ…。
そんな中で、烏野が全員揃っても、苗字さんは泣かなかった。俺は真っ先にこの子が泣くと思ってたんだけどなあ。そうでもなかったらしい。やっぱ、あれかな、許して貰えないんだろうか…。
そう思っていたら、タイムアウト明け、コートに戻る途中で苗字さんに声を掛けられた。その目に涙は全くなくて、でもその目はすごく穏やかで。俺の予想は見事に裏切られた。
「旭さん、…信じてました、絶対戻ってくるって。おかえりなさい」
そう来るとは思っていなかった言葉に、ぽかんとしてしまった。俺が苗字さんに何かを言う前に笛が鳴る。また次のゲーム開始だ。ぞろぞろとコートに向かう途中、俺の呟きをスガが拾った。
「苗字さん、頼もしくなったなあ…」
「だべ?お前らが居ない間に、苗字ちゃんはちゃんと強くなったぞ」
だから、お前はどうなんだ、とスガに言われる。
入ってきた時から、俺とは違う心の弱さがあると思っていた。泣きそうになりながらも田中や西谷に手を引かれて、なんとか一緒に走っているような子だったのに。
少し離れている間に、俺の知っている彼女はいなかった。
コートの外から俺たちを見つめるのは、もう泣き虫な彼女じゃない。
そんな苗字さんは、コーチらしき人に頭をぐしゃぐしゃにされている。容赦ないそれに、知り合い以上のものを感じて思わず見てしまう。
「お前がいながらなんつー体たらくだよ!!名前!」
「痛い痛い!繋兄!これ私のせいじゃない…!」
「うるせえ!名前のくせにガタガタ言うんじゃねえ!」
そう言ってコーチらしき人は苗字さんを交代させる。凄いな苗字さん、コーチに食って掛かってる…。というか、お兄さんなのかな…似てないけどなあ。
「あー、烏養が言ってた子ってあの子か…」
「あんまオーラないな、こう。ざわっとくる感じの」
オーラがない?まさか。
苗字さんはボールに触れた瞬間から、もう別の人間に変わる。そうなったら、あの子にはここにいる誰にも追い付けない。スイッチが入った苗字さんは、なんというか、針のように鋭い。
「お前のレベルも見てみてえしな。いいから早く入れ!」
「お、横暴…!」
その声に渋々従う苗字さんはこっちのコートの町内会の人に変わって入った。いきなり苗字さんのサーブローテだ。俺らはにやり、と笑ったし向こうのコートは全員が嫌そうに顔を歪めた。
わかる…。苗字さんのサーブいやだよなあ…。ははは、と内心で乾いた笑いを溢していたら、背後からぴり、と焼け付くくらいの存在感。
隣にいる嶋田さんが、その気配に思わず後ろを振り向いた。ね、だから言ったじゃないですか。苗字さんは別の人に変わるって。
俺がお手本にしている苗字さんのプレースタイル。
精度の高い、威力のあるジャンプサーブやコースの打ち分け。ウチで安定してジャンプサーブを打てるのが苗字さんだけっていうのが凄い悔しいけど。
ああ、なんか。色々思い出してきた。
苗字さんや田中、西谷が入ってきたときから感じていた熱。
スガ、大地。やっぱり色々思ったけどさ、俺はやっぱりバレーが好きだわ。
振り抜いた右手は、もうこの渇きを抑えられない。