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なんでよりにもよって、と思った。

半分以上の確信を持って呼ばれた名前。いつもは頼もしい声も、このときばかりはただ恨めしかった。
私はなんでこんな場所に来てるんだろうか。なんで私って分かったんだろうか。なんで、呼び止めようと思ったんだろうか。なにもかも、全部タイミングが悪すぎる。

また心臓が嫌な音を立てはじめた。脳内に過ったのは焦り。

どうにか、しないと。こんな、ぐちゃぐちゃな状態で、この人たちの側に居たくない。お願いだから、何も言わず立ち去ってよ。それか、誰か彼らをここから連れ去って。

「あれ、ほんとだ。名前ちゃんじゃん。何してるの、こんなところで」
「女の子が1人でウロついてたら危ないよ?」
「…おい、どうした」
「名前ちゃん、どうしたの?…もしかして、」

牛若になんか言われたの。

及川さんのその的確な言葉に思わず顔を上げてしまった。なんで、分かったの。
視線の先には、眉間に皺を寄せたいつもの4人が居て。まずい、と思った。取り繕う余裕も余力もない。たぶん、今、ひどい顔をしている。

「なんでも、ないです。すいません、それじゃ」
「「「「ちょっと待った」」」」

遮るように私の前に立った及川さんと松川さん、私の肩と腕を掴む岩泉さんと花巻さん。
鮮やかに逃げ道を塞がれて、だから嫌だったんだ、と内心で毒づいた。どうして許してくれないんだろうか。

もうしんどいんだって。逃げたいんですよ私。逃げないって思ったのに、ちょっとすると逃げることばっか考えてる。こんな弱い人間なんですって。私。幻滅するでしょう。

だからほっといてよ。

そう叫びたいのに、それすらもできなくてほとほと自分に嫌気がさした。

「そんな顔されて、はいそうですかって帰せるほど薄情じゃないよ、俺ら」
「なにかあったんだろ、名前ちゃん」
「話してみろ。それとも、俺らはそんなに頼りねえか」

そんなわけない。頼りっぱなしなの。だから、嫌なの。そう言いたくて、岩泉さんのそれに反撃するように声をあげた。

「ちが…」
「なら。言えるでしょ、名前」

ぐ、と言葉に詰まる。いつものチャラチャラした及川さんはどこにもいなくて、ただ私を真っ正面から、逃がさないと見つめてくる人だけがいる。

私はこの目が嫌だった。及川さんだけじゃない。岩泉さんも、木兎さんも、牛若も田中も。西谷も。真っ直ぐで、怖くて、痛いから。
私の周りの人達は優しくて、頼もしくて、強い。でも時々真っ直ぐすぎて、逃げ場を奪われるようで。弱い自分が見つかって、見放されるんじゃないかと思うと、怖くて。

弱い自分と向き合わなければならない心の弱さを砕かれるようで、痛い。

「っ……、…」
「はい時間切れ。悪いけど続きはウチでやるよ。寒いし、そんな汗だくでいたら体も冷える。体調管理も選手の仕事だよ」
「ほら、来いよ、名前 」

また私はなにも言えなかった。牛若のときと一緒だ。言いたいことがあれば言えばいいのに、と思ってもそこから先が出てこない。怖い。

がし、と岩泉さんに手首を握られる。私が岩泉さんの手を振り払えないのを知っているから、及川さんはなにも言わなかった。
岩泉さんの力が強いのはよく知ってる。それでも、私の手を握るその手はとても優しくて、逃げ出したいと思っているのに、その優しさが許してくれなかった。

ポンポン、肩を叩く花巻さんと頭を撫でる松川さんも、みんな優しい。こんなに優しいのに。私は肝心なところで、自分を信じられない。だからこんなにも弱い。

及川さんの家に行くまで、私は一言も喋らず彼らの会話をただ聞くだけだった。







「あいついっぺん殴る」
「試合だけじゃ足りねえな」
「いつもボコボコにされてんの俺らだけど今回はまじでボコる」

及川さんの家に着いて、ぽつりぽつりと今日の出来事を伝えていく。運動後でお腹も空いてるだろうに、彼らは夕飯もそっちのけで私の話を聞いてくれた。

あんなつまらない言葉で簡単に揺らいでしまう自分が嫌で。また沸き上がる濁った思い。ギリ、と手を思い切り握ってやり場のない思いやり過ごす。この感情を、彼らにぶつけてはならない。

「ねえ、名前はどう思ったの」

それまで黙っていた及川さんがぽつり、とこぼした。ちゃんと教えて。そういう及川さんの顔を見て、ふっと何かが緩んだ。

だめだって。ここで緩めちゃ、全部、汚い私が出てきちゃうのに、なんで安心してるのよ、私。

及川さんの表情は、サーブを教えてくれていたときの顔と一緒で。急にあの日に戻った気がした。
サーブを教えてくれて、初めて狙い通りの場所に5本連続で決められたとき。困ったように、誇らしげに、頑張ったね、と誉めてくれたあの時と同じ。優しい、声と笑顔。

バレーが楽しくて、毎日がきらきらと輝いていた、あの頃。あの頃に戻りたかった。なにも考えず、好きと楽しいだけを考えられていた頃に。

素直に、出来ないことを認めて、誰かに寄りかかりながら進んでいた、あの頃に。

震える唇と、これ以上入らないという限界まで力一杯握り混んだ拳。自分の体の感覚が遠かった。

「…なにも、言い返せなかったんです。私」

ぽとり、と零れた言葉は、もう止まらなかった。

「心のどこかで、思っていたんです。た、足りないって。もっと、練習したいって。皆、私のこと受け入れてくれた大切な人たちなのに。それをあんな風に言われて。腹も立ったし、一発殴ってやる、って思ったのに。それなのに、わたし、なにも言い返せなかった…!」

足りないと思っていた。練習のレベルも、なにもかも。私が抱えていた欲求やこのままじゃだめなんじゃないかという焦りを、牛若に当てられた。

上げる相手がいない。繋ぐ先がない。試合に出れない。
私はなんの為に練習してるの。誰のために。私は、なにがしたいの。そう思ったら止まらなかった。

勝ちたい。試合に出たい。チームで、試合がしたい。

でもそれは、私をここまで引っ張ってきてくれた人達への裏切りなんじゃないか、って思ってしまった。名前は勝手だね、と言われてしまうんじゃないか。私の我儘なんじゃないか。でも、どうしよう。試合がしたい。

足りない。足りない。もの足りない。

「一瞬でも、牛若の誘いを、いいな、って。そんな、こと思った自分がっ、悔しくて、情けなくて…っ、何してるんだって、思ったら、なにをやっても、中途半端で…っ、ぐちゃぐちゃで、わたし、」

いつのにまか、松川さんが私の背中を優しく叩いて、花巻さんは大丈夫だよ、というように手を重ねていてくれた。大きくて、しっかりした手。強い人の手だった。

「ねえ、名前。名前は何が怖いの?」

私の言葉に、及川さんが眉間に皺を寄せた。

「何に怯えて、そんなに踏み出せないの?自分の汚いとこ晒して見放されるのが怖い?勝手だな、って嫌われるのが怖い?」

的確だった。呼吸が止まるくらいには。はっ、と息を止めた私に、及川さんがくしゃりと顔を歪めた。

「俺が!そんな理由で名前を嫌うわけないだろ!少しは俺を信じろよ!」

初めて及川さんに出された大きな声だった。びくり、と体が震えた。でもそれ以上に及川さんは真剣で、私が思っていたものを全部吹き飛ばすような声だった。

「どんなにダメでも、メンタルぐすぐずでも俺と岩ちゃんが名前を否定したことがあったか!?お前が思ってるより、俺たちは名前のこと放すつもりなんかないし、嫌いになんかならない!」

びし、と指を指された。力強い声で、私のことをまっすぐ見ながら言う。初めて見る及川さんだった。

初めて見る及川さんなのに、言っていることは、心から安心できるもので。ほんの少し、期待してしまう。この人たちなら大丈夫じゃないか、と。許されるんじゃないかと、自惚れてしまう。及川さんの言葉は、私のその不安を全部さらって、肯定してくれた。

「信じろ!お前は、強いよ。弱くなんかない 。だって俺と岩ちゃんの愛弟子なんだから。俺があれだけ苛めても、折れなかったのは名前だけだ!名前、お前は強い!だから、やりたいことからわざと目を背けるな!」

やりたいこと。私の、やりたいこと。


『自分には、嘘つくなよ』


あの日。突然追いかけてきた西谷が、まっすぐに私を見て言ったあの声が蘇る。
西谷には、もうなにもかも分かっていたんだ。あの時から。私がずっとバレーから目を反らしていることも、自分に嘘をついていたことも。

「心が折れそうになるなんて、誰でもある」
「いわ、いずみ、さん」
「及川だって俺だってスランプで心が折れた時期もあった。名前だけじゃない。でも、自分と周りの仲間を信じてんだ。今の名前は牛若の言うとおり進めてねえかもしれない。でも、ちゃんと受け止めて情けないって思えてんなら。お前は大丈夫だって、俺らは信じてる」

だから、及川の言うとおり自分のことを信じてやれ。お前は自分にもっと我儘でいい。そういう岩泉さんに、本当?と訪ねると、当たり前だろ、とにかっと笑った。

「それでも自分が信じられないなら、名前を信じてる俺たちを信じろ。俺たちは、こんなことじゃお前が負けないって信じてるし、及川の言うとおり離してやんねえよ」

それは私をはっとさせるには充分で。隣にいる松川さんも花巻さんも、俺らも信じてるよ、と言う。どうして。そんな。
岩泉さんは私のことをまっすぐに見た。逃げられない。

「だから、迷うな。お前はお前のやりたいことをやれ」

そいつらもきっとわかってくれるだろうよ。ぽん、と私の頭に手を乗せて、そう言った岩泉さんの表情は見たこともないくらいに優しかった。


もう我慢できなかった。熱い。目も。心も。


「お、及川さ、んっ…いわ、いずみさん…!ふっ…ご、ごめんさ、ぃっ!い、いっぱい、め、わくっひ、掛けて…!」

ぼろぼろ涙が頬を流れる。また泣いてる私。いい加減泣き虫を直したいのに、全然直ってくれない。

「バカ、謝んな。相変わらずお前は俺らがいないとだめだな」
「そうだよ、名前。謝んないでよ。こういうときはありがとう、でしょ」

岩泉さんと及川さんのその言葉に、ますます涙が止まらなくなる。ああ、この人たちがいてくれてよかった。今日私を見つけてくれたのが、この人たちでよかった。

今は心からそう思う。勝手だな、と思った。でも、勝手でいいんだ。それを、この人たちが気づかせてくれた。自分へつく嘘はもう、やめる。


「あり、がとう」


そう言って、精一杯の笑みで笑った。たぶん下手くそすぎる笑みだと思う。でも、きっと私は、この日を一生忘れない。

もう少しだけ待っててください。泣き止んだら、きっと弱さも狡さもすべて受け入れるから。だから。

今だけは、甘えさせて。先輩。



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