13


「よく取れましたね、体育館。この時期激戦なのに」
「春高も終わった。大体の部活は新体制に移行するタイミングだ。そんなに練習を詰め込んでないんだろう」

そういうと牛若は体育館に入っていった。
恐らくレギュラーだけなんだろう。かなり少人数の自主練に、ますます片身が狭くなる。誰だ、なんで女子、という声が聞こえてくる。明らかに不審なものをみる視線だ。…しょうがない。突然だし。

青城や梟谷はいつの間にか私をあっさりと受け入れてくれていたから、久々の値踏みされるような視線だった。ましてや引っ張ってきたのが牛島若利である。そしてこういう他人の機微に疎いのも牛島若利だ。もう気にするだけ無駄なのは知ってるけど。

「ひとまずゲームするぞ」

牛若からチームに簡単な紹介をされてゲームに混じる。
スパイカーとして入ったチームには天童さんがいた。いや、ちょっとでも知ってる人がいてよかった、と胸を撫で下ろす。当然ながら牛若はネットの向こう側だ。

牛若はいつも私と対戦したがっていたな、と数年前のことを思い出した。代々木で行われた選抜と全日本の強化合宿。佐久早や侑なんかもいたっけ、と思い返す。

あの時、私はこの先もずっと東京でバレーをしているのだと信じていた。東京にいる限りあんたとは戦わないから、と牛若に断言していたのに。それが、今は宮城で、牛若と戦っている。ほんと、何が起きるかわかんないな、と苦笑を溢した。それが自嘲かは分からない。

私を睨むようにしてサーブの体制を取る牛若。またこいつは、と呆れた。牛若はいつも私にサーブを挑んでくる。まるで挑発されてるようだ。だけど。ボールに集中すれば、ふっ、と音が消えた。もう、牛若の挙動しか見えない。

喧嘩でも挑発でも。もう、なんでもいい。私は今、お前と戦いたい。





「相変わらず腕のもげそうなスパイク…明日絶対痣になってる…」
「でも何回かやったら取れる名前ちゃんすごいね〜覚びっくり」

まじまじと私を見る天童先輩は、こいつ化物か、と言わんばかりの視線を送ってくる。貴方には負けます。天童先輩は表情が分かりやすくて思ったより話しやすい先輩だ。

何度か対戦した天童先輩は、キレのあるゲスブロックでバシバシにブロックしにきた。なるほど、天性のカンというものを持っていそうな人間離れしている雰囲気は、確かにある。それに流石白鳥沢、部員のレベルが高い。

「まあ、一時期ぼこぼこにされたんで…悔しくて滅茶苦茶練習しました。付き合って貰った相手も鬼のようなサーブ打つのでなんとなく慣れたんですかね…それにしても白布さんのトス打ちやすくて助かります」
「おう、さんきゅー、あれ?タメじゃねーの俺ら」
「あれ、そうなの。じゃあ敬語やめるわ」

瀬見さんはスパイカーを引っ張っていくトス。白布くんはスパイカーの要求に素直に応えるトス。白布くんはまだトスが少し粗いけど、それも練習次第でまだ伸びる。

どちらも使い方とスパイカーのタイプによって変わってくるセッターだ。白鳥沢の監督がどちらをメインで使うかは分からないけど、牛若を活かすなら白布くんのトスだろうな。なんとなくそう思った。数ヵ月後には色々変わってるだろう。

「というかですね…本当に私来て良かったんですか、天童先輩」
「んぁ〜〜!いいね!先輩呼び!もっと呼んで!ほら!覚先輩って!」
「………さとりせんぱぁい」
「天童さん、苗字引いてますよ」

面白いと見てられるのは自分に絡まれなかったときだけだな、と改めて思う。どちらかというと天童さんの方が化物染みてますよ。

「それにしても流石白鳥沢ですね…、個々のレベルが高い」
「まあ、監督も厳しいし部員も多いから勝手に洗練されていく感じだな。生き残るのは大変だけど」
「まあね〜、手ぇ抜くとすぐばれるし、怒鳴られるし、ああしろこうしろ結構煩くなーい?俺は自由にやりたいんダケドネ〜。あっ、ご飯は美味い!」
「天童さんいつもそんなに食べないじゃないですか」

きっと指導者もしっかりしてるんだろう。県内でもトップクラスのスポーツ校。寮も完備されているし、出される食事は栄養バランスもしっかりしているはずだ。
朝から晩まで一緒だからチームの空気も濃くなる。一般的な部活動とは密度が違うのだ。必ずしも強さに結び付くとは言えない、それ。
そんな独特の雰囲気が懐かしかった。

「いいですね、うらや…」

そこまで言い掛けて、はっとした。今、私。
突然止まった私の言葉と表情に、白布くんと天童先輩が私を訝しげに見ている。今、私、余計なことを。心臓がばくばくと嫌な音をたてている。この2人だけにしか聞こえていないといい。お願いだから、あいつだけには。

苗字、と今一番聞きたくない声がした。びくり、と揺れた肩。なんでこんなこんなタイミングでわざわざ声を掛けてくるの。やめてよ。聞こえてないって、そう言ってよ。

振り返って見えた牛若は硬い表情。私も、きっと表情は硬い。

「…お前は今どこにいる」
「……烏野の、男バレに混ぜて貰って、る」
「烏野…?ああ、『飛べない烏』か」
「前は県内有数だったけど今は全然聞かないな」

烏野、と牛若が口の中で転がした。やばい、これは良くない流れだ。
嫌な予感がした。早いところあの口を閉じさせないと。そう思って牛島さん、と声を掛けるよりも先に。牛若が口を開いた。

ああ、まただ。牛島若利からのその言葉に、私の心はまた殺される。




「お前は馬鹿なのか」

はっきりとした声に、体育館がしん、と静かになった。う、牛島?と誰かが咎めるように牛島さんの名前を呼んだ。

「分かっているだろう。お前はそんな無名な学校にいるべきではない」

牛島さんの声だけが体育館に響いている。皆知らず知らずのうちに牛島さんと苗字を、固唾を飲んで見守っていた。

「トスとレシーブは上手くなっているが、スパイクもブロックもあの時より威力が落ちているな?…違うな、あの時と変わっていないのか。良い指導者が居ないのではないか」

確信に近い問いかけだった。でもびくり、と震えた肩がすべての答えだった。さっき言いかけたのは「羨ましい」か。通りでさっきはなんとも言えない表情で話を聞いていたわけだ。

「豊かな大地でしか豊かな作物は育たない。はっきり言う。お前にその土壌は合っていない」

牛島さんがいつも言っていることだ。環境が人を育てる。強い環境でしか、強者は生まれない。仲良しで3年間楽しかったね、という部活なら構わないかもしれない。

でも、苗字の実力でそれはあまりにも勿体なかった。
白鳥沢の中に混じっても遜色のない技術と読み。やっぱり、女子とはいえ元U-15のスパイカーはレベルが違う、と思わざるを得ない実力だった。

牛島さんにトスを上げたくて此所に来たのに、今日この時間だけは、苗字にあげることが楽しくて仕方なかった。俺がどんなトスを上げても、苗字は決めてくれるから。

それを目の当たりにしたから、牛島さんの言いたいことは、良くわかった。勿体ないよ、苗字。悪いけど、俺もそう思う。
お前がどんな思いで部活やってるのかわからないけど。でもどんな環境でも状況でも、県内なら白鳥沢以上にバレーに集中できる環境はないと思う。

やっぱり俺も、勿体ないと思ってしまったから。だから、俺は牛島さんを止めない。

「白鳥沢に来い。女子もそれなりのレベルだが、ここには俺がいる。お前のスパイクもレシーブもトスも。全部俺が強くしてやれる…物足りないんだろう。今の環境では。練習も試合も。ここでなら、お前の欲求を全て満たしてやれる」

傲慢とも取られかねない言葉だった。それでも、絶対に否定できない言葉だった。そして、苗字にとって魅力的な言葉なはずだ。

自分の全力を受け止めてくれる環境。
口で言うのは簡単だが、実際にはそうじゃない。指導者、チームメイト、バレーに集中できる設備。それらが揃っていることが、どれだけ恵まれたことか。でも、そんなことは苗字が一番分かっているはずだ。

ぎり、と手を握りしめる音がここまで聞こえてきそうだった。

「出会ってからいくらか時間は経ったが、俺は諦めた訳ではない。俺はお前が欲しい」

あまりにもストレートな言い方に、何人かがぎょっとした。五色なんでお前が赤くなるんだよ。童貞かよお前。

「ここにいるなら尚更、お前に合っているのは白鳥沢だ。烏野でも青城でもない。俺ならお前の全力を受け止めてやれる。だからここに来い」

牛島さんは怖いくらいに真っ直ぐ苗字を見て、言葉をぶつけている。逃げるなと言わんばかりのそれは、苗字から逃げ場を奪っていく。俯く苗字の表情は見えない。でも、

「目を背けるな、苗字。お前には、」
「帰ります。今日はお邪魔しました。今度改めて御礼します。失礼します」

これ以上聞きたくない、という苗字の思いは言わずとも分かる。恐らく、苗字のフラストレーションに、牛島さんが油を注いだ。きっと、苗字が一番分かっているはずだ。自分が今の環境に相応しくないことぐらい。

だって、すごく生き生きと。楽しそうにバレーをしていたから。まるで貯まった何かを爆発させるように。それを見て、こいつは本当にバレーが好きなんだと分かってしまったから。

だから、俺も苗字が来ればいいのに、と勝手なことを考えてしまった。

振り返ることなく、鞄を掴んで苗字は体育館から走り去っていった。その背中を牛島さんは姿が見えなくなるまで見つめていた。どうして分かってくれない、と言いたげに顔を歪める牛島さんの表情は初めて見る。

やがて苗字の姿が見えなくなると、牛島さんは何事もなかったかのように俺たちに向き合った。

「すまない、練習を中断させた」
「若利くーん、言い過ぎなんジャナーイ?」

名前ちゃん、泣きそうだったよ。天童さんのその言葉に、牛島さんがああ、と短く応えた。

牛島さんに言われなくても、きっと苗字本人が一番わかっているはずだ。それとも、苗字のやり場のない欲求も自分への不甲斐なさも全部分かって、あえて焚き付けたのだろうか。それはもう、あの2人にしか分からない。

俺がなにかを言ったところで、どうなるものでもないし、慰めるのもうまいわけじゃない。
でもなんとなく、連絡先きいておけばよかったと、あの横顔を見たらそう思った。




はっ、はっと息が上がる。がむしゃらに走っていた。足が止まりたいと叫ぶ。肺が限界だと叫ぶ。脳が酸素を求めている。
いつもなら、何も感じないのに。目の前の道が続いていくことしか感じないのに。

何も、考えなくてすむのに。

さっきから私の頭を占領するのは、牛島若利の言葉だけだった。

『良い指導者がいないんだろう』
『物足りないのではないか』
『俺なら、お前の全力を受け止められる』
『白鳥沢に来い』

『俺はお前が欲しい』

はあ、と大きく息を出した。止まってしまった足。かくん、と力が抜けた。苦しい。足が震えてる。肺が痛い。…痛いのは、肺で合ってるんだろうか。

なにも言い返せなかった。だって全て本当のことだったから。練習の物足りなさ。羨ましいと思った練習環境。何より牛島若利の誘いを、はっきり断れなかった自分の存在。

情けなかった。悔しかった。私だって。私、は。私は、なんだ。もう、いやだ。

どうして。

こんなに悔しくて情けないのに、どうして涙は出て来ない。

「名前か…?」




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