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宮城に厳しい寒さがやってきた。
冬の体育館は冷えきっていて、朝イチの鍵開けがしんどい季節。まだ薄暗い辺りを体育館の明かりが照らすと、少しだけ寒さが解消された気がした。
はあ、と出した息は体育館の中でも白くなった。手が悴む。手袋をしても寒いものは寒い。東京を離れてから迎える、久々の宮城の冬。やっぱり東北の寒さは東京と別物だと思い知る。
「うーさむ、久々だなこの寒さ」
「おーっす、わ、苗字ちゃん寒そうだね」
「おはようございます。スガさんは…暖かそうですね」
「はよ。だべ?ほいこれ」
肩を竦める私に見かねたのか、スガさんはポッケの中に入っていたカイロを渡してくれた。おお、あったかい。耳当ている?と聞かれたけど、それはスガさんが似合うのでスガさんが持ってて下さいと言うと、スガさんはなんだよ、それと笑った。
「ホントにいいんですか?カイロ」
「もう朝練だしな!俺はすぐに暖かくなるし、大丈夫。マネは朝から水触るだろ?持っとけって」
「スガさんイケメンですね…」
よせやい、照れるだろ。と笑うスガさんにくすりと笑い返す。
「もう2月も中旬か、早いなー」
「明後日うちも入試ですしねぇ。授業は休みになっていいですけど」
烏野は明後日が高校入試で、入試当日と明日の準備日は在校生の学校への立ち入りが禁止される。
授業が休みになって嬉しいけど、練習ができないのは嫌だな、と思っていたら及川さん達が自主練に参加しないかと声を掛けてくれた。どうやら青城の入試日は烏野と一緒らしい。二つ返事で了承した。
「苗字ちゃん明日どうすんの?」
「烏養監督のお見舞いに行って、そのあと知り合いが呼んでくれてるのでそっちの自主練に参加してきます」
「なんだ先越されたなー、俺らも自主練しようと思ってたんだけど、結構遠い体育館しか取れなくて」
「この時期体育館取り合いですもんね…」
「だべ。ま、苗字ちゃんも別んとこ飽きたら来てな!」
「はーい」
押し殺した感情は、まだ出てこない。大丈夫。
「じゃあ、監督また来ますね」
「来んでいいからお前は練習しろよ。サボんじゃねえぞ」
「…大丈夫ですよぉ。じゃ、失礼しまーす。早く治して下さいね、監督」
「…」
病室を出て、ふぅ、と息をつく。
結局言えなかったな、ともう一度病室を振り返った。大事には至らなかったものの、それでも入院生活を送る監督は少し痩せていた。元気ではある、けど万全ではない。
それをまじまじと感じてしまって、そんな監督に心配を掛けたくなくて、結局私の奥底に貯めた感情を打ち明けることは出来なかった。監督には見透かされてそうだけど。他愛もない、当たり障りのない会話をして終わった。何しに来たんだてるんだろう、私と自分で自分を毒づく。
また来よう、その時こそ、と決意して歩き出す。
青城の練習に合流するかな、と時計を見る。これなら午後から参加できる、と及川さんに連絡をしようとスマホの電源を入れたとき。がし、と肩を捕まれた。
「待て」
こ、この声は、と振り返ると、そこにいたのは私より長身の、ガタイの良い男。数年前と変わらず、あまり表情の読めないこの感じ。会いたくないと心底願っていた男が、そこにはいた。
「ゲッ!う、牛島若利!」
「やはり苗字か。何故ここにいる?」
「それはこっちのセリフ…!」
県内で最も会いたくなかった人、牛島若利がなぜここに!
私がダントツで会いたくない相手、それが牛島若利である。天然な言動と恵まれた体格、類稀なバレーの才。全国3本の指に入ると称されるスパイカーが私を無表情で見下ろしていた。
最後に会ったときよりも随分と伸びた身長と、厚みが増してしっかりした体格。なるほど、これは県内敵なしだろう。腹立たしいことに。
しかし、どんな才能を持っていようがなんだろうが、人間には相性というものがある。私と牛若は合わない。本能的に。最初は同郷だったしお互いにバレーに対する考えも似てたこともあったから、仲はよかった。でも途中からやたらとムカつくことばっかり言い始めた結果、私が一方的に敵対意識を持っている。私は悪くない。
「なになに若利クン??彼女??」
「ああ、その予定だ」
「誰が彼女だ!!そんな予定一生来ないから!勝手に私の人生計画立てないで!」
「えっなにこの子おんもしろっ!つーか若利くんすげえフラれてるよ!」
突然出てきた赤い髪の人は爆笑である。私は全然笑えない。
相変わらず天然は治っていないみたいでいろいろヤバい。そんな話も承諾もしてないのにその自信どこからくるんだろうか。
それともなに、及川さんみたいな俺に興味ない女の子なんていないでしょタイプなの?その天然で?いやいやどっちにしろヤバイわ。
「最近は見かけないが、ユースに来ないのか?」
「えっ!なになに苗字ちゃんってユース呼ばれるくらいなの!?」
赤い髪の人がぴょんぴょん跳ねながら聞いてくる。なんというか、この人も行動が少し人間離れしている感があるんだけど。白鳥沢ってこんな人しかいないのかな。こわ。
ぐりん、と向く目にぎょっとつつも牛島若利よりも表情と言動は分かりやすいので、天童と呼ばれたこの人の方がいくらか話は通じそうだった。牛若の行動と言動は予測付かなすぎて本当に困る。
「まあ、この人と会ったのはユースですけど、ユースに行ったら牛島さんに会わなきゃいけない理由なんてないですよね」
「嫌われてんジャン若利くん。うける」
「うけはしない。嫌われてもない」
「ムキになる若利くん珍しっ!」
ものすごいはっきり言うなこの人。歯に衣着せぬ言い方。しかし滲み出る曲者感。どうしよう早くこの場から去りたい。
しかしながら、牛若を撒くなら味方につけるべきはこの人しかいない。どうか天童さんとやらが行動に見合わずとんでもない常識人でありますように。そして私を離さないだろう牛若を止めてくれ。
「じゃあ、私はこれで…」
「ちょうどいい、苗字。これから白鳥沢の自主練に行く。お前も来るだろう」
「覚も気になる〜、ねえねえおいでよ苗字ちゃん〜」
前言撤回。どちらからも早急に逃げるべきだった。
「おっ!名前ちゃんからだ。はいはーい!愛しの及川さんだよ〜」
タイミング良く休憩中に鳴り響いた及川のスマホ。出方がうぜえが相手は名前らしく、及川は3割増しで上機嫌だった。
そうか、用事は終わったんだな。市内なら1時間もせずに合流できるか、と時計をチラ、と見る。と、思いきや及川のトーンが下がった。これはもしや参加できないパターンか?
「…そっか、なにか用事?」
3年が引退した2月。2年と1年だけで構成され、新体制となった部活は、案の定及川が率いることになった。優男なナリをしながらも、相当バレー馬鹿なこいつが入試休みでぽっかり空いた2日間の休みを無駄にするわけもなく。
俺たちは揃いも揃って、近所の体育館を借りて自主練に来ていた。その際、しれっとLIMEのグループ内に名前を入れていた及川に内心でよくやった、と誉めておく。絶対に口にはしねえが。
名前との付き合いは長い。もう3年以上になる。サーブ教えてください、と突然及川の元にやって来たあいつは俺にとって、いつの間にか可愛い後輩の1人となっていた。
その可愛い後輩はメキメキと力をつけ、単身で東京へ行き、そのまま舞台を世界に移した。その技のレベルの高さは目標にするには十分で、名前も及川のサーブや俺のスパイクを目標にしていた。
そんなこともあって、俺たち3人はお互いがお互いを高め合う存在だった。だから来てくれるのは嬉しいし、一緒にバレーが出来るのは純粋に楽しい。なによりあいつも相当なバレー馬鹿だ。呼べば大体二つ返事で来るので俺らとしても誘いやすい。
そんな名前だが、今日は珍しく何かあったらしい。律儀なやつだから、余程出ない限り来るとは思ったんだが、止むにやまれぬ事情なら仕方がない。
「はあ!?」
「うるせーよお前」
「なんで!?俺というものがありながら!!」
ガン無視だ。そろそろ米神に血管が浮かぶ。
「えっ、なに、なんで!?スゲー楽しみに待ってたんだけど俺!」
「え、名前ちゃん来ないの?」
「らしいな。つーか及川うるせえ」
「彼女かよ」
けらけらと温田が笑った。名前は及川の呼び出しに基本的には従順だから、誘えば断らない。及川がそんな感じ連れ回すもんだから、部活の他の面子も名前のことを早々に覚えた。そして名前もその人懐っこさから、ウチに受け入れられるのも早かった。
もともと名前は練習に混じっても問題ないくらいには実力もある。そして無条件に懐いてくる後輩。さらに女子。
理想の後輩だろう。花巻と松川が騒いでいたが、まあ、俺もそう思う。
そんなこともあって、他校にも関わらず自主練に呼ぶくらいには、俺たち2年は名前をいたく可愛がっていた。いじっているともいうか。
特に名前を可愛がっているのは、及川(こいつは色々歪んでいるが)と花巻、松川の3人。……まあ、俺も入れて4人つーことにしとく。
矢巾なんかは何故か名前をライバル視している。名前が来ないことに一番納得がいってないのは多分及川よりも矢巾だろうな。なんであいつ来ないんスか、なんて俺に聞くんじゃねえよ。めんどくせぇな、自分で聞け。
休憩しながらなんとなく及川の電話に耳を傾けていたら、及川がぴたりと静かになった。なんだ、気味悪ぃな。
「…なんで名前のケータイにお前が出てくるのかなァ、牛若ァ…!」
突然低くなった及川の声に、全員がそっちを見る。牛若っつったか?なんで牛若が出てくんだよ、と突然出てきた名前に、全員がピリッとした空気を出した。
牛若に阻まれてきた世代の人間としては、その名前は鬼門だ。ましてや、名前の電話に出てくるたあ、どういうことだよ。
「は?どうでもいいから早く名前返してくれない?今日は名前、俺らと先約あるんだけど……おい、ちょっ、許可してねーよ!話進めんな!おい!!っくそマジで切りやがったあああ」
スマホを叩きつけんばかりの勢いで、及川は地団駄を踏んだ。やめろみっともねえ子供じゃねえんだ。
「……ムカつくことに!名前ちゃんは今日白鳥沢の自主練に拉致られました!ということで及川さんはこれから勇者の如く名前ちゃんの救出に――じょ、冗談だって岩ちゃん…」
いい加減にしろ、と拳を握ると及川はひきつった笑みを浮かべた。わかってんなら最初からそうしろや。
「明日はこっち来んだからいいだろうが。いいから練習すんぞ」
だから矢巾その顔やめろ。言いたいことあんだったら自分で言えよ。番号交換してんだろうが!!てめーらもだ!花巻も松川もあからさまにテンション下げてんじゃねえよ。俺だってテンション下がるわボゲェ!