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烏養監督が倒れた。

苦しそうに歪む顔と、止まらない汗。練習を見てもらってる中での突然のことだった。監督、と叫んでも呼んでも苦しそうに唸るばかりで、監督からはなにも返ってこない。どうしていいか分からなかった。

どれくらいそうしていたか分からないけど、我に返って救急車を呼んだ。出先でのことで近くに親類もいない。状況が判っているのは私だけだったから、そのまま救急者には私が同席することになった。

ご家族の連絡先はご存知ですか、と聞かれて、すぐさまスマホから監督の家電を呼び出す。通話ボタンを押した後に、監督のご家族になんて伝えていいか分からなくて、それを病院の人にそのまま押し付けた。

隊員の人が事情を説明する横で、私はずっとかさかさの手を握って、壊れたように、嫌だと、監督と繰り返すしか出来なかった。



呆然と病院のベンチに座っていると、先ほど無理矢理渡したケータイを、救急隊員の人が持って来てくれた。君が通報してくれなかったら危なかったけど、もう大丈夫だよ。よく頑張ったね、と言われて、やっと肩から力が抜けた。

ご家族の方が君にお礼を言いたいそうだけど、会える?と聞かれて、なにがなんだかわからないまま、はい、と答えた。

色々聞きたいことがまぜこぜになってぐちゃぐちゃだ。
ねえ、大丈夫ってどれくらいなの?本当に?監督はちゃんと、監督でいれるの?私、まだ色々教わってばっかりなのに、なにも返せてないよ。ねえ、監督はまだ、私の監督でいてくれるの…?

「お前っ、やっぱり名前か!?」
「、繋…兄…!」
「お前こっち帰ってきてたって、本当だったのかよ、しかもそのジャージ烏野じゃねえか!何度か良く似たやついんな、とは思ったけど……いや、ちげえな、びっくりしただろ、名前。悪かった」

ばたばたと足音をさせて、やって来たのは監督の孫で、私に昔からよくバレーを教えてくれていた、繋兄こと、繋心くんだった。よく見れば坂の下商店のエプロンをしている。

久々の再会がこんな形になろうとは、と混乱している私をよそに繋兄が肩をしっかり掴んだ。
分厚い掌は、本当に大人のそれで。大丈夫だ、と伝えてくるようで。しっかりしろ、と言っているようで。

「じじいを助けてくれて、ありがとうな」

繋兄の顔を見て、やっと本当に、心の底から安堵した。視界が涙で見えなくなる。目の前にある繋兄の肩に顔を埋めて、私は泣いた。
怖かったと言いながらわんわん子供みたいに泣く私を、繋兄は安心させるために、抱きしめて、ずっと背中を撫でてくれていた。




結局、烏養監督は監督を離れた。
代理を努めてくれるコーチもいなければ、その伝もない。顧問の先生はバレーボールに関してはルールも知らない。
あっという間にインハイの予選で負けて、3年が部活を去っていった。新体制で大地さんが主将になった。監督の場所は空いたまま。

何もかもが、振り出しに戻ったようだった。

思えば、指導者がいない、というのは初めてのことだった。常に誰か、正してくれる人が、私のバレーには必ずいた。弱い私を叱責したり、間違ってくれることを教えてくれたり、時には間違っていてもあえて何も言わなかったり。そうやって、私はいろいろな大人達から支えられていたんだと。改めて気づいた。気づかされた。

失って初めて気付くなんて、どこかの三文小説のようだと思った。でも、事実だった。

先の見えないトンネル。足に絡まるなにか。止まってしまえ、と誰かが呟く。でも、その選択肢はない。全国へ。行くんだ、絶対に。あの舞台へ。その思いだけが、すべての道標だった。

暗い中を掻き分けて進む先輩たちの背中に、皆が追いかけてくるものを振り払って、必死で着いていく。合ってるのかわからない。自分たちが進む方向は、本当にこれでいいんだろうか。そんなえもいわれぬ、恐怖が。足を絡めとる。
でも、そんなことを考えている余裕はなかった。

とにかく強くなるためには、練習しかなかった。調べて、実践して、失敗して。それの繰り返し。わからないことが、こんなにも怖いなんて。皆必死だった。恐怖と戦っている。

でも、私だけは、別のものと戦っていた。

自分の中で生まれた、薄汚い感情を、がんじがらめにして、心の奥底に仕舞い込んで。

私は今日も、皆と練習をする。



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