03


烏養監督は苗字さんに厳しい。それはもう、俺たちの比じゃないくらい。

「足止めんじゃねえ!」
「っぐ…はい!」
「次!」
「はい!」

ひたすらレシーブ練習が続く。誰がどう見てももうバテバテで、集中力も切れた状態。くしゃりと苗字さんの顔が歪んだ。それでも続くレシーブ練に俺の心臓は、きゅっと小さくなった(気がした)
わかる、わかるぞ…ほんと嫌だよなあ…。

「何本目だよこれ…」
「わかんねえ…でももう10分は経つぞ…」

ばし、と音を立ててレシーブの返球が乱れた。あらぬ方向に飛んでいったボールを、苗字さんが呆然と見ていた。そこにすかさず烏養監督の怒声が飛んだ。

「体力落ちてんぞ!10分走ってこい!」

はい、と静かに答えた苗字さんは俯きながら体育館の出口へ向かう。途中小さく聴こえてくる声に、少し眉間に皺が寄ってしまった。

「うわぁ…カワイソ…」
「俺だったら辞めてるな…」

そんなこと言わなくてもいいだろうに。
同じ事を思ったのか、大地もスガもそっちを険しい顔で見ていた。

「大丈夫か、苗字?」
「…うん、行ってくるね」

縁下の気遣いにも疲れたように返す苗字さんは、静かに体育館を出ていった。それをじっと見つめていた西谷がばっと、監督を見た。

「監督!俺も走りに行ってきます!」

出た。西谷の、笑顔なのに有無を言わせないやつ。
俺はあれにめっぽう弱い。なんというか、抵抗する気力を奪われるのだ。ああ、言っても聞かないだろうな、と。人はそれを諦めと呼ぶ。
そして烏養監督も俺と同じようにため息をついた。

「…全員10分休憩!」
「ウス!休憩してきます!」

そう言って走って行った西谷に、思わず苦笑がこぼれた。
ちなみにこういう時、真っ先に追い掛けそうな田中は、烏養監督からの指導で床とお友達になっている。
烏養監督にセンスがある、と言わしめた西谷はそのセンスでさくっとレシーブ練習をこなし、苗字さんを追いかけていった。

「あれじゃ休憩になんねーべ」
「だな」
「監督も苗字さんに厳しいな…」

駆け出した背中を見送る。身長に見合わない大きな背中だと思った。西谷に任せておけば大丈夫だろう。
ぼそりと呟いた俺の呟きに、大地とスガが2人揃ってあー、と唸った。

「まあ、あれはどう見ても」
「期待のあらわれだよなあ…」
「正直、苗字ちゃんってメンタルそんなに強くないじゃん、普段。よく付いてくるなあって思うんだよなー」

俺もメンタルそんなに強い方じゃない。むしろ弱い。監督あれだけ怒られてボールをバンバン当てられたら嫌になると思うなあ…。
想像しただけで青くなる俺に大地がまたかへなちょこ、と軽く蹴ってきた。うう…だって。

「それは苗字が負けず嫌いだからだろ」
「黒川さん…」

俺たちの話に入ってきたのは黒川さんだった。
苗字さんを部活に受け入れた黒川さんは、マネージャーでもある苗字さんともよく話をしている。まあ、マネージャーなんだから当然なんだけど。
それ以上に、黒川さんはじめ3年は苗字さんをいたく可愛がっている気がする。

「正直俺らもすぐに音をあげるかと思ったんだけど。それどころか、あいつ鍵閉めの前と鍵開けの後に練習してるぞ」

それを聞いて俺らは目を見開いた。




はっはっ、と短い息を吐き出す。上がる息と、早い鼓動に体力が落ちたことをひしひしと感じる。監督が言っていた通りブランクを取り戻すには、圧倒的に体力と練習量が足りない。

今の練習量でいっぱいいっぱいだけど、前はもっとこなしていた気がする。やっぱり数ヶ月とはいえ、バレーから離れていた代償は大きい。
まずは体力と筋力をアップさせて、出来るだけボールに触って早く無くさないと…。あれ、

私はブランクを取り戻して、どうするつもりなんだろう。

ふっと考えてしまったら、考えが纏まらなくなって足が止まってしまった。さっきまで軽快に進んでいた一歩が、とてつもなく重い。
何してるんだろう。こんな放課後に1人で律儀に走って。別にサボろうと思えばいくらでもサボれるのに。
そう思ったら急にどうしていいかわからなくなった。いっか、もう。充分でしょ。

そう思っていたら後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、私より小さな体と大きな動き。手をブンブン振りながら走ってきたのは西谷だった。

「おーい!名前!」
「西谷…なんで」
「休憩中!」
「休憩中なのに、走りに来たの…?」
「ああ!」

意味不明だ。なに考えてんのこいつ。そんな些細なことに、少しだけ苛立ってしまった。西谷は何も悪くないのに。

私のつまらない苛立ちを感じとったのか、西谷は何も言わずに走り始めた。はあ、とため息をついて仕方なく西谷の横に並ぶ。

しばらく沈黙が続いた。普段は勝手に喋るくせにこういうときは寄り添うように黙るから、西谷は本当に質が悪い。
でも、その一方で少し安心もした。私はこの背中に何故か無条件に安心してしまう。

ふと、足を止めて西谷が口を開いた。つられて私も足を止める。

「なあ、名前ってなんでバレーやってんだ?」
「なんでって、…烏養監督怖いし…」

なんでやってるかなんて私が一番聞きたい。監督が怖いから。言われて仕方なくやってるだけだし。

本当に?それだけか?と西谷の目と私が訴えてくる。言いたいことはあるはずなのに、私の口からは空気が漏れるばかりで肯定も否定も出てこなかった。

どうしよう、と思っていたら西谷がにかっといつもの笑みを見せた。

「ふーん、わかんねえけど。俺は好きだからだと思うぜ」
「、そんなわけ…ないよ」
「じゃあ名前は好きじゃないことにあんな必死になれんのか?」
「…っ!」
「俺は名前がバレー好きでも嫌いでもいい」

前を真っ直ぐ見たままだ。なのに心は私のことを離さないと言わんばかりのそれ。聞きたくない、と本能が叫んだと同時。出てきた西谷からの言葉に私は思わず息を呑んだ。

「俺は名前から逃げねえよ。だから、名前も自分には、嘘つくなよ」


いつでも西谷は真っ直ぐだ。真っ直ぐすぎて、時々怖くて、痛い。




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