君の街まで


※IF 2020の世界線(ほぼ独白)


罵声はない。代わりに称賛もない。

静寂で満ちた会場に、知っている音だけがした。床とシューズの擦れる音。審判の笛の音。ボールの、弾む音。泣いても笑っても、これが最後の試合。

すう、と息を吸って吐く。何も特別なことはなかった。鮮やかな色の床に、ボールを叩きつけて確かめる。中学、高校のときから変わらないルーティーン。
この5年間、ひたすらに準備してきたことだった。今更、怖気づくこともない。精度をあげろ。より成功に近づけるために。慣れ親しんだ音すら遮るように目を閉じた。

この数年は、苦難の連続だった。日本代表というのは、言葉にすればこんなに軽いのに、その名前を貰うのに馬鹿みたいな労力がいる。
きついトレーニングに耐えて、好きなことを全部投げ打って、自分の肉体も心も限界まで追い詰めて。確かな技術と精神を携えても手に入るかどうかわからない特別な席。

そこに座るには技術だけじゃなくて運も必要だった。肉体の全盛期も、技術の最高到達点も待ってはくれない。ピークが過ぎれば体力も筋力も落ちるし、新しい戦術や技術が生まれる。自分の時間もライバルの時間も待ってくれない。

大会が1年延期されたことで、コンディションの調整はさらに難しくなった。1年前、共にユニフォームを纏ったチームメイトは、怪我でその色を諦めざるを得なかった。
なにより、ぼやぼやしていれば、より若くよりエネルギーに溢れた選手にその場を奪われた。
選手層が厚ければ厚いほど、それだけチャンスを掴めない人間が出てくるのは当然だった。

怪我で離れた背中。纏うユニフォームの色を変えた背中。背番号の書かれなくなった背中。もう二度と、揃うことのないそれぞれの背中。

彼らの想いを背に、なんていう都合にいい言葉が波のように投げ掛けられた。フィクションのようなストーリーは、いつだって期待される。
加えて、私が烏野にいたことは、特に大きく取り上げられた。男子にゆかりのあるメンバーが選ばれたこともあったし、異色の経歴だからだろう。マスコミは面白いように同じことばかり聞いてきた。
確かに私は烏野にいた。バレーから逃げた。


だから。どうした。


私がここにいるのは私がバレー選んだからだ。続ける努力をしてきたからだ。
あの日から、どんなに苦しくても、辛くても、バレーから逃げないと決めたからだ。逃げた方がしんどいのは、よく知っている。バレーに触れないことが、どれだけ辛いかもよく知っている。
もうブレないと決めた。迷わないと決めてから、私はずっとここを目指してきた。

誰にも譲らない。もう手放したりなんかしない。
私の手の中にはポールがあって、ネットを挟んだ反対側には倒すべき敵がいる。バレーボールを通して、全力を出せる相手がいる。それだけでいい。

決勝戦。ファイナルセット。13-8の不利。
頭を掠める全てが消えていく。目を開ければ、相手のコートが光って見えて、自分がどこにサーブを打てばいいかが手に取るように分かる。スッ、とボールを上に投げた。

ボール越しにライトがキラキラ光って見えた。あの頃よりも高い天井なのに、一瞬だけ烏野の、朝の光が差し込む体育館にいるような、そんな気がした。
手にボールの感触が触れた瞬間、込み上げる気持ちが止めどなく溢れて、全部がスローに感じられた。


ねえ、西谷。
見てるかな。私、西谷に見て欲しくて、ここまで来たよ。


邪念であり、信念だった。沢山のサービスエースを、スパイクを決めればきっと私のプレーは、バレーは、この地球上のどこかにいる西谷に届く。私が沢山点を取れば、そうしたら、きっと。

それが、私がかつて捨てたその席に固執する理由だった。
背中を押してくれたあの日から、私は西谷に何かを返したかった。西谷が、見たことのない景色を、聞いたことのない未知を求めるというのなら。

なら、私は。世界の頂から見える景色を、君に捧げよう。

再びサーブトスをあげた。これも決まる。確信だった。
ネットの向こう側の選手の顔が歪むのがよく見えた。愉悦。恐怖。畏怖。尊敬。諦念。不屈。渇望。
まぜこぜになった感情が伝染する。倒せ。倒さなければ。倒す。倒す。

―――倒したい。

さあ。新しい景色を見に行こう。





「なあ、西谷、ほんとに良かったのか?」
「なにがっスか、旭さん」
「いや、今日だろ、苗字さんの試合」
「そっすね!」
「軽いなあ……。俺は帰国の関係で今しかここに来れなかったけど、西谷はしばらくここにいるんだろ?なら、俺に付き合わなくても――」
「大丈夫っすよ、旭さん!」

「俺、名前のこと信じてるんで」



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