どうして春を追いかけなかったのか


春。

桜はとうに散って、瑞々しい若葉が枝を彩っている。宮城と違って寒さに震えることもない入学式。東京よりもいくばくか温暖な気温になんだか背筋がむずむずした。
先日まで身に纏っていたセーラー服でもジャージでもなく、まだ糊のきいている茶色のブレザーを袖に通して全身をチェックする。全身鏡なんておしゃれなものはないけど、せめて上半身くらいはしっかりしておこう、と学生寮の共有トイレに向かった。

鏡を覗けば僅かに伸びた髪と見慣れた自分の顔が映っていた。詰まらなそうな顔。とても今日から高校生という人間には思えなかった。
さっきまでここにいた別の学校に行くらしい寮生は、楽しそうに髪をいじっていてこれから始まる高校生活に胸を躍らせているのが嫌でも分かった。私とは正反対で、少しだけ気分が落ちる。

学生寮を出て高校までの道を歩く。今まで通い慣れた道とは全然違う景色だ。
下を向いたまま歩いていると履きならしたローファーが目に入る。今までジャージでばかり登校していたからか、なんとなく落ち着かない気分になる。
耳に収めたイヤホンから流れる音楽なんて全然頭に入らなくて、代わりに入ってきたのは数ヶ月前交わした、コーチと監督の声だった。

バレーをやめる。

そう言ったとき、案の定監督とコーチからは猛反対された。
やめるな、戻ってこれなくなる、本当に後悔しないのか。そう言われたけれどそんなの私だって知らない。でももうバレーを好きでいることも、チームメイトからの突き放すような視線も、私には耐えられなかった。

沢山練習したいと、もっと上手くなりたいと思っていたのは私だけだった。ずっと私はコートで1人で、思い上がっていた。そんな簡単な事実にようやく気付いたら、なんだか全部どうでも良くなった。
バレーが好きだったはずなのに、気づけばバレーが好きなんだからと刷り込むように自分に言い聞かせてボールを追っていた。そんな現実にも限界が来て、私は半ば無理矢理バレーから距離を取ることを決めた。


『―――わかった。お前が変なところで頑固なのも分かってる。まだ進学先も決まってねえんだろう。なら、せめて、ここに行ってくれないか?』
『兵庫……?』
『俺の同期がここの監督をやってる。必ずバレーに関われとは言わん。だが、もしお前がもう一度バレーをやりたいと思ったら……』

「迷わず頼れ、か」

監督から渡された学校名と同期だという監督仲間。特に行きたかった学校もなかったから、なんとなく監督に言われるままここに進学した。
偏差値的にも問題はなかったし、東京にも宮城にも私の居場所なんてないんじゃないかと思ったら、残ることも戻ることもできなかった。全然私のことを知らない土地で学校生活を送りたかった。

なんだか疲れたOLみたいだな、と思ったけど事実だからしょうがない。次第に大きく聞こえてくる声が、学校が近いことを教えてくれた。入学式と書かれた看板の横で家族で、友人同士で写真を撮っているのを横目に受付を済ませる。

受験以来、2度目の校内を進む。大きい学校だな、としみじみ思った。女子校だったせいか同じ校舎に男子がいるのはなんだか慣れない。この関西の言葉もそうだ。すでにこんなに憂鬱で大丈夫なんだろうか、私。そう思いながら自分のクラスを確認する。3組か、と特になんの感想も抱かず下駄箱に向かう。

どうせ知り合いもいないんだから、他のクラスやクラスメートを確認したって無駄だ。さっさと教室に行った方が余程手っ取り早い、とクラスに向かう。だから知らなかった。

「ね、さっきむっちゃかっこええ男子おったの見た?」
「見た見た!双子なんかな!?名前なんていうんやろ〜ね、何組やっけ?」
「2組言うてた!」





扉を開けた瞬間、目の間に広がったのは茶色のブレザーとシャツ、それに紅白で彩られた新入生を祝うバッヂ。
危なかったぶつかるところだった、と一歩引く。すいません、と言おうとしてふと違和感を覚えた。この人、随分と身長が高いみたいだ。

170を超える私は、自慢じゃないが結構と男子と同じ目線になることが多い。だから大体の男子とは顔を上げることなくお互いの顔がばっちり見える。でも、今は首元しか見えないから、この人は私よりも10cm以上身長が高いんだと思う。この身長ならバスケ部かバレー部かな、と適当に辺りを付けた。

「うお、」
「わ、すいませ」

いや冷静に考えてる場合じゃない。謝らないと。そう思って、顔をあげた。それが失敗だった。

「は」
「え」

思わずかちん、と固まった。
至近距離から私を見下げる金髪。いや私立だからってやりすぎじゃないか。いつの間に私よりも身長高くなったんだ。なんか肩幅広くなってないか、ずるい。

―――そんなこと、考えてる場合じゃない。この顔、声。知っている。知りすぎている。短い間とはいえ同じ釜の飯をリアルで食っている。いや違う、そうじゃない、なんで、


なんで、ここに、侑が。


「〜〜〜〜〜〜っ!!!」

気付けば足が勝手に動いていた。瞬発力に自信はないけど、あまりの出来事に普段よりも力が発揮されたらしい。うまくスタートダッシュを決めて、教室を飛び出した。そのまま全速力であまり人のいない廊下を駆け抜ける。何人かが驚いたように私を見てきたけど、全部無視した。

「は!?なん、ちょ、ま……待てやコラァ!!」

後ろからヤクザみたいな野太い声が聞こえてきて思わず喉がひっ、と鳴った。廊下響く足音が追加されて、追ってきているのが嫌でもわかる。怖くて後ろなんて振り返られない。

そうだった、そうだった!稲荷崎は吹奏楽がめちゃくちゃ強いって聞いてたけど男子バレーも県内敵なしの強豪校だった!!
やばいやばいやばい!!!なんでここに!!いや兵庫の強豪ならいてもおかしくないけど!でもこんなの聞いてない!!


同じ学校に!!宮侑がいるなんて!!聞いてない!!


結局、他の学年の階も駆け抜ける羽目になった。体力持つかなと心配になったけど、待たんかい!という声は、2年の階を通った時に何故だか消えていて、ほっと胸をなでおろした。それと同時にチャイムが鳴り響いて、また全力で教室に戻る羽目になった。

幸いなことに、ギリギリで戻った教室に侑の姿は見えなかった。隣の席の子に聞けば宮侑は同じクラスではないらしい。なんでここにいたのか分からないけど、ひとまず安心した。

「苗字さん?言うん?むっちゃ目立っとったで〜」
「アイツに借金でもあるんかジブン」

席の近くにいる人たちにくすくす笑われて、顔が赤くなった。静かに学校生活を送ろうと思ったのに、5分で瓦解するなんて。全部侑のせいだ。
自分の席について、がっくりと項垂れる。何が知らない土地だ。心機一転を誓った私の覚悟を返してくれ。


頭を抱えた私を見て、さらにクラスメートが笑った。





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