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またひとつ季節が巡った。私が宮城に帰ってきてからもう随分と経った。バレー部の3年生もあっという間に引退して、気付けば2年と1年だけ。いつもより人の少なくなった体育館は少しだけ寂しかった。

季節が巡れば、当然変化もある。
そしてそれは私にも。いつかぶつかると思ってたけど、先送りにしていた問題がとうとうやってきた。

「苗字さん!!お願い!!女バレに入って!」
「み、道宮先輩…」
「今日こそ逃がさないよ!?」

ふんす、と鼻息荒そうに教室に来たのは女子バレー部のキャプテン、道宮先輩。毎日足しげく通っては私を女子バレー部に勧誘をしてくる先輩で、クラスメートはこの光景にもう慣れてしまったみたいだった。

3年生が引退したこのタイミングだからだとは思うけど、それにしてもかなり必死だった。毎回断っているにも関わらず、毎日勧誘してくる。このしつこさは田中と西谷に匹敵する。そろそろお昼ご飯食べる場所を変えたい。

「すいません…私一応マネージャーなので…」
「でも男子と練習してるんだよね!?じゃあプレーヤーとしても活躍できるって!」

事実なので反論の余地がない。むしろ部内でも、とは口が割けても言えない。

きらきらした目をして、道宮先輩は私を毎日勧誘する。女バレに入りたくないわけじゃない。ただ、きっと、今の私ではまた前と同じことになる。それは確信めいた直感だった。

それがどうしようもなく怖くて、私は結局女子バレー部の扉を叩けていないし、叩く気もなかった。そんな心にもうひとり、心の中にいる自分がゆらり、と囁いてくるのがわかった。

「苗字さんほどのプレーヤーが勿体ないよ!」


また逃げるの。なに一つ、あの頃と変わっていないね。


「ユースに選ばれるくらいの才能があるなら試合でも即戦力だよ!」


そうやって逃げて、いつまでも過去のこと引き摺って。もういい加減にしたら。


「それとも、私たちとやるのはやっぱり嫌かな?」


そんなんだから。見捨てられるんだよ。


違う、と否定したかったのに。言葉が出てこなかった。
ちが、と言い掛けたとき、ふっと私の視界が黒に染まった。

「すいません、先輩」

毎日聞く声だ。え、と溢すが本人は私のそれを綺麗に流して先輩と向き合う。
椅子に座ったままの私のからは、その背中しか見えなくて。いつも見下ろしている背中が。後ろで守ってくれる背中が、急に大きく見えた。

「俺は男バレの西谷ッス。名前のことなんですけど、少し待ってやってくれないッスか」

なんで。西谷が、ここに。
呆然とする私を余所に、西谷はどんどん言葉を重ねていく。私だけが置いてけぼりにされている。

「名前は色々あって、今俺たちと練習してます。でも、それは女子バレー部に入りたくないとかそういうんじゃないんす。こいつの気持ちの整理がつくまで、それまで待ってて貰えないっすか!お願いします!」
「に、西谷…」

西谷が頭を下げたとき、ちょうど予鈴が鳴った。何も解決していないのに、ほっと安心する自分にほとほと嫌気が差した。

「わ、わかった…私もしつこかったよね…でも諦めないから!」

ぱたぱたと走って教室を出ていく先輩の後ろ姿に、ふう、と一息吐いた。くるり、こっちを向いた西谷はにか、と笑った。

「ワリーな、名前!困ってそうな感じだったから入っちまった!」
「や、ほんと、助かった…ありがとう」
「オウ!いいってことよ!」

いつもと変わらない西谷に安心すると同時に、その笑顔に少し心がざわついた。

西谷には、いつも助けて貰ってばかりだ。田中にも縁下にも、大地さんや及川さんたちにも。頭の中を色んな人たちがぐるぐると回る。

私、いつまで色んな人に甘えてるんだろう。

胸を駆けた不安ともつかない何かは、授業中も消えることはなかった。



放課後。私は第2体育館の前にいた。
お昼休みは時間とタイミングが悪くて、ちゃんと話ができなかったし、今日は女バレは練習が休みだ。
つい帰る足で、男バレが練習している体育館まで来てしまった。とはいえ、練習してるところにいきなり入っていくのも気が引ける。誰かいないかな、できれば澤村とか。

「ん?道宮か?」
「さっ!澤村!!」

突然名前を呼ばれて振り返ると、そこには密かに思いを寄せる相手。変なとこ見られた!やっばい恥ずかしすぎる。フツーに不審者だよね、こんなの。
どうしよう、なんて言おう、と思っていると澤村が分かった、と言わんばかりに苦笑した。

「苗字か?」
「うっ…しつこいのは分かってるんだけど」

諦められなくて。そう言うと、あー、と唸ると澤村は頬を掻く。うっ、困り顔もかっこいい…。

「道宮の気持ちも分かるけど、女バレにはちょっと難しいかもしれないな、あいつは」
「さっ澤村まで!?」

ちょっとショックだった。まさか澤村にまで言われるとは。なんとなく澤村は賛同してくれるんじゃないかって、勝手に思ってた自分にちょっとモヤモヤした。

「なんていうかな…見てくか、練習」
「えっ!?」

いいの?と聞くとびっくりすると思うけどな、と澤村が苦笑した。まあ、確かに男子の方が圧倒的に練習量も多いし、それに元U-15の日本代表だからハイレベルな練習をしてるんだろうなとは思う。

やっぱり女バレじゃレベル低いって思ってるのかな。いやいや、まだ練習も見て貰ってないのにそんな。

「失礼しまー」
「ふざけんな!!」

ちら、と顔を覗かせた瞬間、大きな声が聞こえてきた。あまりの大きな声に思わず肩が揺れた。でもこの声って。

「田中ァ!あんた手ェ抜いたな!」
「抜いてねーよ!!お前こそバテてんじゃねえか!」

確か、1年生の男の子だ。坊主の、キレのあるスパイクを打つ子。東峰君に代わるエースになるかも、って澤村が言っていた子。
その子に厳しい声を浴びせるのは、意外なことに苗字さんだった。

「バテても精度高くやれるよう集中してんのにショボいジャンプで切らすなっつってんの!」
「てめえ!」
「やーめーろってふたりとも!昨日もやったろ!?」
「「だってスガさん!」」

菅原君が仲裁に入っても、睨み合う2人に周りも困ったように笑っていた。

「やめろって、名前!龍!いいからもう1回やるぞ!」

さっきの、お昼の子だ。苗字さんと坊主くんを叱ってふたりともすごすご戻る。
それで2人とも言うこと聞くんだ、と見ていてちょっと面白かった。2人とも根は素直らしい。
向こうのサーブを別の子がレシーブして、苗字さんがトスをあげた。

「ナイスレシーブ!」
「決めろよ!」
「ッシャオラァァァァ!!!見たかァァァァ!!」

ドンピシャの位置に打ち込まれたストレートは、苗字さんの言うしょぼいジャンプではないことが分かる。全力で飛んで、打ち込んだそれだ。だけど、

「西谷!」
「オウ!」
「ゲッ」

西谷くん、とやらがそれを綺麗にあげた。ひとり凄いリベロがいるって聞いていたけど、どうやら彼らしい。リベロからセッター、スパイカーの流れで綺麗にきまった。

「ああああまたか!!西谷のレシーブ鉄壁でマジむかつく!!もう一回!!」
「まじでか!お前もうバテバテだろーが!」

ゼエゼエ言いながらも、もう一回、とボールを握った苗字さんに、坊主くんが指摘する。苗字さんは誰から見ても、バテバテだった。

苦しくないのかな、すこし休めばいいのに、と思った私の考えは吹き飛ばされることになる。

「当たり前でしょ!もうバテたわ!でも勝って全国行くんでしょうが!ならバテた中でも踏ん張れる練習をすんの!分かったらサーブ行くよ!」
「オヴェーイ!!!」

その言葉に、思わず息を呑んだ。
ずっとあんなんだよ、と澤村が苦笑しながらそうこぼした。

「とにかく練習が全てだっていうんだ。練習で出来てないことは試合でできないって。だから死ぬ気で練習しろって。多分烏養監督に飼い慣らされてるな」

あの練習を、多分苗字は女バレでもやるぞ。

澤村の言葉に、少し背中に冷たいものが走る。
あの勢いを。あの熱量を。私は先輩として、キャプテンとして受けられるんだろうか。

「自分が不器用なの分かってるんだよあいつは。色々あったみたいでさ。まだ本当に吹っ切れるには時間掛かるみたいだけど、道宮たちのレベルが低いとか、そういうこと考えるやつじゃないよ」

むしろ俺は道宮たちの心が折れないか心配だぞ、と澤村が笑う。まっすぐで、ひたむきで。何の表裏もないから、なおのこと性質が悪い。これは、無理だなあ、と私も笑った。

「苗字!」
「はい!…あ、み、道宮先輩…」
「苗字さんのバレーしてるとこ初めて見たよ。私」

多分、間抜けな顔をしていると思う。苗字さんはさっきまでの雰囲気をどこかへ押しやっていた。小さい子どもが怒られて肩を竦めているような、そんないじらしさがあった。

「……私、多分この勢いで女バレやります。たぶん、練習も試合も同じ熱求めると思います。だから、私、女バレには」
「いいの、わかったから、大丈夫。苗字さん、すごいね、そんなに努力できるの、ほんと、すごい」

口から出てきた言葉は、自分でもすとんと心に落ちる言葉だった。

「一杯、練習してきたんだね」

インターハイが終わって、先輩達は春高に向けて残るかと思いきや誰も残らなかった。バレーはこれで終わりにするんだと言って部活を去っていった。あっという間だった。

あとは任せたよ、道宮。
あっという間に主将を任され、急に目の前に誰もいないことが怖くなった。今まで感じなかった先輩たちの背中の大きさを、今になって実感する。

空いた穴を埋めなければ。そう思った。

任された部活だ。強くなければ、と思った矢先に苗字名前がいると聞いた。勧誘期間は上手いこと隠れていたらしい。彼女は中学生ながらに東京の強豪校へ進学していたから、彼女を知る者は少なかったというのもある。

なんで女バレに入ってくれなかったんだ、入ってくれていたらインターハイ進めたかもしれないのに。天才なんでしょう?なんて酷い考えが浮かんだ。

今日の、苗字さんを見るまでは。

天才だとか、才能だとか。そんなものは彼女にとって何でもなかった。ただ真っ直ぐに上だけを見ている。手を抜くことなく、積み重ねる練習を通じて上だけを。

それを見てしまったから、手っ取り早く誰かにすがろうとした自分が恥ずかしくなった。自分が強くなるんじゃなくて、強い誰かを求めた時点で多分私は彼女の熱量についていけないと思った。

最終的には坊主くんが折れたけど、ぶつかり合ってまでも突き通す熱量。理解されなくても自分の正しさを信じられる強さ。ひとりで立っている彼女を見て、なんて孤高の人だろうと、ただ言葉が出てこなかった。そして、格好いい、とも思った。

「えっ!?おい、苗字今どこに涙腺スイッチあったんだ!?」
「す、いません…わっ、わたしの我儘なのに、道宮先輩、ほんと毎日来てくれて、っに、入部断っちゃったのに、すごいって、誉めてくれるから…!」

苗字さんはさっきまでの練習での剣幕が嘘のようにぐすぐす言い始めた。そのギャップに同性なのにきゅんとした。すごく可愛いんだけど。頭撫でたい。え、どうしようこの後輩すごく可愛い。妹みたいで。入部したら真緒が可愛がりそう。

でも、今の女バレは、きっと彼女にとってまだ相応しい舞台じゃない。

「苗字さんが入りたくなるくらいのバレー部にしてみせるよ!」

決して強がりではなく。いつか貴女に頼らない力と志をもって。また勧誘するね、と伝えると彼女ははい、と涙ながらに笑った。

結果として、澤村と私が衝動的に頭を撫でてしまったのはしょうがないことだと思う。



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