「は、……オイ、っ苗字!!」
「苗字さん!?」
後、任せる。
その言葉を置き去りにして苗字さんがかっちゃんの手を振り払ったのが見えた。一瞬のことだったのに、その時の苗字さんの表情は今でも僕の脳裏に焼き付いている。
あの時、確かに#みょうじさ#んは笑っていた。
いつも冷静な苗字さんが初めて見せた顔だった。焦り、恐怖、疑問。全部圧し殺した結果、それらが振り切れてしまったような歪んだ笑み。ピンチにも関わらず、思わず笑ってしまうようなヒーローのそれと同じだと思った。
なんでそうしているのか自分でも分からない。けれど体が動いてしまう。
僕も覚えがあるそれは、猛烈な何かに突き動かされた結果だ。それが何によって突き動かされたのか。その時の僕にはわからなかったけれど、オールマイトに、あの人たちに何が起きたかを聞けば、その『何か』はすぐに分かった。
あの時苗字さんがどうしてかっちゃんの手を振り払ったのかも。苗字さんが何を思ってあの場に戻ったのかも。
だからね、苗字さん。僕はーー
「じゃあ、なんであの時、君はあそこに戻ったの?」
「っ」
「助けてなんて声、聞こえる距離じゃなかった。じゃあ、どうして君はあんな所に戻ったんだ……!」
「っそれは、」
苗字さんの動揺が手に取るように分かった。言われたくないことを真正面から突きつけられた焦燥の色が、今まで冷たさだけを映していた瞳に宿る。
僕が言ったことはきっと苗字さん自身が疑問に思っていることだ。合宿で僕に問いをぶつけて、さっきも自分の本質を敵に近いと言い切った苗字さんなら、きっとまだ今の問いの答えを導き出せていない。
勝機もなかったあの場所に戻った理由なんて、苗字さんじゃなくても分かる。僕だけじゃなくて、轟くんやかっちゃん、A組のみんななら絶対に。
簡単なことだよ、苗字さん。答えはシンプルだ。本当は、自分だって分かってるんじゃないのか。
それなのに、どうして頑なに自分から目を逸らすんだ。
「助けたかったからだよね……!?助けてなんて言葉が聞こえなくても、あの人を助けたかったから……!」
「っ、そんな、わけ……!そんなの、ただの偽善でしょ……!誰も望んでないのに、お節介なんて焼いてたらキリが――!」
否定に否定が積み重なる。自分に刃を突き立てるような打ち消す言葉が零れていくのを悲しく思うと同時に、苛立ちもした。なんでそんなに自分を否定するんだ。偽善、お節介。僕もそう思うよ。
――でも、それがどうした。
「偽善だろうが、お節介だろうが、なんだっていいじゃないか!」
「っな、」
腹の底から込み上げる熱がそのまま言葉になっていった。自分が出した声に苗字さんが怯んだのが分かる。
合宿の時に、苗字さんに聞かれた問い。助けを求める人にどれだけ手を伸ばせるか、何をもって線を引くか。そんなの、どれだけ考えたって分からない。
僕はオールマイトじゃないから、困っているすべての人を零さず助けることなんてきっと出来ない。
けど、それは手を伸ばさない理由にはならない。
「助ける理由なんて助けてから考えればいい!後からあの時、手を伸ばしておけばよかったなんて後悔、僕はしたくない!」
無個性だった僕に、人を助ける術はなかった。でも今は違う。届くんだ。届ける力を与えてもらったんだ。なんの力もなかった僕に、オールマイトが個性を授けてくれた。だから、その手を伸ばさなくちゃ。僕は、僕を信じて託してくれたオールマイトを裏切りたくない。
「僕は頼まれなきゃ助けないような薄情にはなりたくないし!結果を恐れて何もできない木偶の坊にはなりたくない!何かを変えられる力があるのに、何もしなかったことを誇りたくない!」
言葉を失う苗字さんにひたすら思ったことをぶつけていく。
小細工は駄目だ。少しでも逃げる素振りを見せたら、賢いこの人に会話のペースを掴まれてしまう。そうすれば、苗字さんが望む方向に話を持って行かれてしまう。それだけは避けたかった。
普段冷静なこの人の心が揺れてるうちに。感情が揺れてるうちに。ずるいかもしれないけれど、僕たちの心を届けたい。
「だから、頼まれなくったって、嫌われたって助けるんだ!ヒーローだから、だから君だって戻ったんじゃないか!理屈より、先に体が動いたんだろ!?あの人に恨まれても、嫌われてもいい。それでも、生きててほしいから、助けたかったから、だから命がけであそこにもどったんじゃないか!」
「っ!」
「苗字さん前に言ったよね。助けてって言われてないのに、なんで助けたいと思ったのかって。そんなの、どうかしなくちゃって、なんとかしなくっちゃって、理屈より体が先に動いたからだ。君だってそうだろ!」
頭では苗字さんが持っている過去の事情も、目標があるのも理解した。苗字さんが決めた道なら、僕たちは中途半端に口出ししていいことじゃないのもわかる。
矛盾している。それでも。
クラスメートに踏み込ませない一線を引いている苗字さんが、今回のことで傷付いて、それを誰にも打ち明けられずにたった独りで藻掻いているなら。それはあまりにも苦しくて、辛いことだから。だから、僕は。
「同じだよ。あの時の君と同じで、僕らも君を助けたいって思ったんだ。ここにいない皆だってそうだ」
今外を走り回っている耳郎さんや尾白くんたちも、雄英内で情報収集をしている切島くんや麗日さんたちも。皆そう思ったからこうして動いている。
過去や神野であったこと、何もかも言って欲しいなんて言わない。僕らはきっと、君が奪われてきた理不尽や怒りをすべて共有することは出来ないだろうから。
でも、それは君を1人にする理由にはならない。
「感情論で、非合理的かもしれない。でも、僕らはみんな君を助けたい」
「っ、なんで、そこまで、して……!」
「そんなの、決まってる」
苗字さんの声が震えている。怯えるような、どこかで迷子になってしまったような表情は今の苗字さんの心そのものだろう。
きっとどうしたらいいかわからないんだ。だったら、その手を引いてあげたい。苗字さんが、孤独な道を歩まないように。
ヒーローとして。友達として。僕らは君を助けたい。
「――オイ」
「っかっちゃ……!」
僕の言葉を最後に黙ってしまった苗字さんが何かをいうよりも先に、今まで成り行きを静かに見守っていた影が乱雑に苗字さんの胸倉を掴み上げた。
「痛いんだけど……離してくんない……?」
「さっきから聞いてりゃごちゃごちゃと……アレだろ、要はテメェて決めた道から尻尾撒いて逃げるっつーことだろうが。――くそダセえ」
苗字さんからの抗議の声が上がってもかっちゃんは静かだった。いつもなら相手を抑え込むように勢いよく反論するのに、苗字さんの退学が告げられてから、かっちゃんはどこか落ち着いていたように見えた。
けど、その視線や声で分かる。かっちゃんは、煮えたぎるような怒りをただ内に溜めていた。そしてそれが、本人を前に爆発した。
「てめえの夢なんざ知らねえ!勝手にしろ!俺ァ別にてめえがヒーローやめようがどうしようが知ったこっちゃねえ!」
「っ、」
「勝手に突っ込んで、助けてぇやつ救えなくて、今度はヒーローやめますだァ?ふざけとんのか、テメェ……!」
ビリビリと肌に刺さるような怒気に苗字さんの体がびくりと跳ねた。ひとつひとつ逃げ場を奪っていくように苗字さんが言われたくなかった現実を、かっちゃんが突きつけていく。かっちゃんの言葉を聞いている苗字さんの顔が痛々しく歪んでいく。
「やめる理由を他人にしとんな!!テメーが弱えから、力が足りねえからこうなったんだろうが!」
「かっちゃん!言い過ぎ……!」
「黙ってろクソナード!!」
言い過ぎだ、と止めてもヒートアップしたかっちゃんは止まらない。苗字さんに真正面からぶつけているそれは僕も見たことがないほどに刺々しくて、荒くて。そしてどこか行き場のない苛立ちをぶつけているみたいに見えた。
けど苗字さんも負けじとかっちゃんの胸倉掴んで、鋭い眼光で睨みつけた。
「テメーはいつからそんな偉くなったんだ?ア?あんときも他の奴のことばっか考えやがってよぉ……むかつくんだよ……弱ェくせによ!」
「っうるさい……!黙ってれば好き勝手言いやがって……!お前に何が……!」
「わかるわけねぇだろうが!自分1人で抱え込んでますみてえな面しやがって!勝手に察しろってか?こっちを見ようともしねえやつが都合の良いこと言うんじゃねえよ!」
苗字さんの反論と迷いを捻じ伏せるように、かっちゃんの声が部屋中に響いた。僕にはどうしてか、その声は怒りというよりも悲痛な叫びに聞こえた。
「今もそうだろうが。全部自分のせいだみてぇな顔しやがって……!テメーみてえな雑魚が!オールマイトみてえに何でも助けられるわけねぇだろうが!!それでも自分のせいだって思っとんなら、そいつごと背負って生きるぐらいの気概見せろや!」
は、と苗字さんが息を呑む音がした。かっちゃんの胸ぐらを掴んでいた手が力なく、ずるりと落ちる。
それは、苗字さんがかっちゃんに反論する気がないことを、返す言葉がないことを指していた。
「ここまで来れたヤツが、あっさり尻尾巻いて逃げてんじゃねえよ!よりによって、テメェが、一番クソダセエことしとんな!虫酸が走る!」
そう言ってかっちゃんは苗字さんを突き飛ばした。胸ぐらを掴まれて中途半端に浮いていた体が床に強かにぶつかる。苗字さんは声を上げなかったけど、流石にやりすぎだ。「爆豪!」と轟くんがかっちゃんを諫めるように呼んだけど、舌打ちだけを返したかっちゃんはそのまま玄関へ足を向けた。
「え、かっちゃん……!?」
「帰る。こんな奴、俺がぶっ潰すまでもねえ。――せいぜい落ちぶれてろ」
そんな言葉を残して、かっちゃんは本当に部屋から出て行ってしまった。僕はぽかん、とその背中を見送っていたけど、すぐに轟くんが苗字さんに声を掛けた。
「怪我ねえか、苗字」
「あ、うん……大丈夫、うん」
どこか心ここにあらずといった様子の苗字さんは、轟くんの声にも曖昧に答えた。きっとかっちゃんの言った言葉が頭をぐるぐる駆け巡っているんだろう。
それまで苗字さんを静かに見ていた轟くんが、その手を差し出した。
「苗字、俺、お前に言いたいことあるんだ」