ひとまず元気はアピールしとくべき

「じゃあ、予定通りに!」
「よっしゃ!俺たちは雄英ん中探しまくるぞ!」
「デクくん!気を付けて!」
「うん!ありがとう!」

昨日のくじ引きの結果、アタリを引いた僕や轟くんをはじめクラスの半分は学校の敷地外へ苗字さんを探しに行くことになった。切島くんや麗日さんたちは学校に残って情報収集だ。

なるべく広い範囲を調べることと、敵やマスコミ対策も兼ねて2人1組、もしくは3人1組で事前に仕分けたエリアを探しに出かける。僕と轟くんはペアで苗字さんを探しに出かけることになった。かっちゃんは気づけばどこかに姿を消してしまった。

「行こう!轟くん!」
「ああ」

タイムリミットは5時間。時間はあるようであまりない。もちろん個性を使うことも禁止されているから、本当に地味に探しにいくしかない。相澤先生は公安委員会との誓約に反することだから、と情報を一切教えてくれなかったのはかなり痛い。

間に合うのか。良くない想像が不安を掻き立てるけれど、そんなことを考えるくらいなら探した方がいい。

言い得ぬ不安を見ないフリして、轟くんと校門を飛び出す。悠長に歩いている暇なんか、と思った瞬間「あの!」と声を掛けられて思わず、足が止まった。

「すいません!雄英のヒーロー科の方ですよね?体育祭で、戦っていた」
「そうですけど……あの、なにか御用ですか?僕たちちょっと急いでいて……」

僕と轟くんを呼び止めたのは僕のお母さんよりも少し年上に見えるご夫婦だった。マスコミという感じでもなさそうだし、一体誰なんだろうか。呼び止められる理由がヒーロー科なら、最終的にオールマイトに取り次いでもらいたいというお願いかもしれない。取り次ぎは難しいうえに、今はタイミングが良くない。
どうしたものか、そんな考えを持っていた僕らはご夫婦の口から続けられた言葉に、思わず顔を見合わせた。

「私たち――」




スマホの画面に表示されたナビに従ってアスファルトをひたすら走る。雄英の最寄りから電車で2駅、駅から徒歩10分ほどにあるアパート。そこが僕と轟くんが目指す先だった。学校が夏休みに入っているせいか、路上に人影は全然見えなくて静かな住宅街に僕らの走る音だけが響いていた。

「あれか……」
「うん、あそこみた……っ!?かっちゃん!?」

ようやく見えて来たアパートの前に見覚えのある姿を見つけて思わず声を上げてしまった。僕と轟くんに気付いたかっちゃんが不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
雄英にいる皆から苗字さんの家が分かったという連絡はない。僕らもついさっき教えてもらったばっかりだ。ということは。

「待って、なんでかっちゃんが……!?ていうか、苗字さんの家知ってたの!?」
「うるっせえなごちゃごちゃと!!着いてくんじゃねえ!!」
「苗字の家来たんなら目的地は一緒だろ」
「っせーなテメェもしゃべんじゃねえよ半分野郎が!!」

僕らに怒鳴りながらもかっちゃんの進む足は、聞いた通りの号室に迷うことなく向かっていく。
もしかして来たことあるのかな、かっちゃん……。

…………………………え?なんで?何しに?
かっちゃんと苗字さんって、そんなに仲良かったっけ……?比較的仲のいい麗日さんも耳郎さんも知らない苗字さんの家を、なんでかっちゃんが……?

頭の中に浮かんでは消える疑問に誰も答えてくれないまま、かっちゃんは扉の前で足を止めた。教えて貰った通りの部屋番号。表札も何もないけど、ここに、苗字さんが。でも、いるとして苗字さんはこの扉を開けてくれるだろうか。

ごくり、と息を呑む。最初の一声で開けてもらえるかどうかが決まる。ここは警戒されないように、慎重にいくべきだ……!
作戦を、と思った瞬間、真横からドカァン!と爆音に近い音が響いた。……え。

「オイコラ苗字テメェいんだろーが!さっさとここあけろや!!」
「かっちゃん……!!!借金取りじゃないんだから!!」
「うるせーな!!鍵開いてねーならこうするしかねえだろうがよ!!おい、あけろや!!」

取り立て屋みたいにかっちゃんがアパートのドアを蹴っていた。もちろん手加減はしているから壊したりはしないけど、やり方に問題しかない。良識の中で息をしているみたいな苗字さんにはあまりに相性が悪すぎて慎重どころじゃなくなった。これ、考えうる限り最悪なパターン……!
そう思っている横では轟くんが普通にインターホンを押していた。誰か……!

「轟だが……苗字、いるか?」
「てめえなにフツーにピンポンしとんだ意味あるわきゃねえだろうが!おい出てきやがれ!扉爆破すんぞ!」
「かっっっっちゃん……!!」

かっちゃんがもう一度扉を蹴ろうとした瞬間、ガン、と扉が開いた。チェーンロックの隙間の分だけ開かれた扉から、よく知った目が覗いた。間違いない、苗字さんだ。見つかった!と思って声を上げようとしたけれど、隙間から見える目があまりにも、その……胡乱なそれで、思わず口を閉じた。
そして、その目がカッと見開かれて思わず内心で悲鳴を上げた。

「近 所 迷 惑」

でっ!ですよね!!!





「上がって。なんもないけど。玄関先でチンピラみたいに騒がれるよりマシ」
「すいません……」

そう言って苗字さんは僕らを渋々部屋に入れてくれた。本当に渋々だったけど。
案の定、チンピラ呼ばわりされたかっちゃんがキレかけたけど、苗字さんのひと睨みで黙った。かっちゃん、苗字さんと切島くんのことは割と聞くんだよなぁ……。

苗字さんに招かれた部屋には言う通りほとんどのものが置いてなくて、残っているのは冷蔵庫と数個の段ボールくらいだった。突然押しかけたことを謝ると苗字さんは別に、と冷えたペットボトルを差し出した。
ありがたく貰って喉を潤すと、轟くんが静かに口を開いた。

「なんで、何もねえんだ?」
「引越の最中だから」
「じゃあ、やっぱり雄英に――!」
「相澤先生から聞いてない?退学届出したから雄英にはもう行かないけど」

不思議そうに苗字さんは首を傾げた。何を言っているんだ、とばかりの様子に思わず出掛けた言葉を喉の奥に戻す。感情的になってしまいそうになるのをなんとか押し留める。
苗字さんは冷静な人だ。感情で戦うことを良しとしない。こっちが感情的になっていると判断されてしまえば、言葉から説得力が消える。そうなってしまったら、僕らの言葉は苗字さんには届かなくなる。説得は絶望的だ。

「……なんで、」
「なんで?ヒーローを目指さない人間がヒーロー科にいてどうするの?」
「ヒーロー、辞めちゃうの……?どうして……?だって、あんなに……」

分からなかった。苗字さんが考えていることが、何も。ヒーローを目指さないって、どうして。あんなにもヒーローになると言っていたのに。
僅かに眉間に皺を寄せたものの、苗字さんは静かに僕の問いに答えてくれた。

「どうしてって……必要性を感じなくなったから。別に私の目標を達成するならヒーローじゃなくても出来るし、だったらより自分の力を伸ばせる場所に環境を移すのは普通のことじゃない?」
「苗字さんの、目標って……」
「ここで言うつもりはないけど、別にヒーローじゃなくても叶えられるよ。ただ、ヒーローになるのが一番手っ取り早かっただけ。だからヒーロー目指したけど、ここまでキャリアに傷が付いたらもう厳しいでしょ」

苗字さんの声は揺れない。その声にゆるぎない意志の強さを感じてしまう。説得の難しさと緊張感に、さっき水を飲んだばかりの喉がすでにカラカラになっているような気がした。

確かに、神野事件は苗字さんの全てを暴いただけに留まらなかった。勝手に飛び交う憶測。全く知らない人間によって作り上げられる『苗字名前』という人物像。苗字さんにとって、ヒーローという存在は遠くに感じるようになってしまったのかもしれない。けれど。

「海外の高校に編入を希望して現在審査待ち。9月から向こうの学校に通う予定。私の夢を実現するためのベストな選択。時間は有限だから、有意義に使わないと」
「でも……!」
「目的地につくまでにルートを変えるの、そんなに不思議なこと?」

その問いに、思わず言葉に詰まってしまった。
だって、僕もお母さんに同じことを言ったから。雄英でなくてもいい、けれどヒーローにはなりたい。ずっとなりたかったヒーローに。オールマイトに個性を、次を託された者として。僕はヒーローにならなきゃいけない。そのために僕は過程を捨てた。諦めたくなかったから。
それと同じだ。そう思ったら苗字さんに何も言えなくなってしまった。
反論はもうないと悟ったのか、苗字さんは軽く息をついて立ち上がった。

「話は終わり。そういうことだから。帰って訓練した方がいいんじゃない?仮免試験、近いんでしょ?」
「納得なんか、できるわけねえだろうが」
「轟くん……」

苛立つような、感情を無理矢理押し殺したような轟くんの声が部屋に落ちる。それまでどこかふわふわしていた空気が、肌を刺すようなものに一変したけれど、苗字さんの目は変わらない。凪いだような、熱を失って冷め切ってしまったような色が変わらずに僕らを射抜いていた。

「別に君たちの納得も理解も求めてない。私の人生だ。私が決める」
「っ、でも!こんなに頑張って来たじゃないか!」

相澤先生は退学は本人の意志だって言っていた。けれど、僕にはどうしてもそうは思えなかった。
うまく言葉には出来ないけれど、それでも苗字さんの言うキャリアとかそういうものとは別の何かがある気がする。そして僕はその感情に、少しだけ心当たりがあった。
周りから無理に決まっていると自分の未来を狭められている窮屈さを。抗う術を持たずただ受け入れるしかなかった惨めさを。僕は知っている。
無個性。ヒーロー。過去の僕が感じていた孤独と虚無。

努力は報われるわけじゃない。奇跡は約束されているわけじゃない。
でも、諦めなければ。諦めさえしなければ、やったことは無駄にならない。冷静な判断も、個性の技術の高さも。苗字さんが努力して掴んできたものだ。それを否定してしまうのは、ヒーローの道を諦めてしまうのは、窮屈と惨めさを苗字さんがたった1人で抱え込んでしまうのは。孤独な闇の中に残してしまうのは。

――僕が嫌だ。

「だから……!」
「はー……何度も言わせないでくれるかな……。もういいって言ってんの。こんな経歴で、どうやってヒーローを目指すの?無理に決まってるでしょうが」

いい加減にしろ、と言わんばかりに苗字さんが深々とため息をついた。今日初めて、苗字さんの言葉に、声に色が乗った。
その感情の揺れに、やっぱり、と確信する。
苗字さんはまだ、この道を諦め切れていない。自分で自分に理由を付けて諦めようとしているんだ。僕が、そうやって現実から抗っていたように。

「そもそもさ、向いてないんだよ。知ってる?人間の人格形成は10歳までで決まるんだってさ。14まであそこにいた私はどっぷり危険思想に染まってる。冷血で、ドライで、私の本質は、どっちかっていうと向こう側の人間なんだよ」

自分を嘲るかのような声色が部屋に落ちていく。
聞いていられなかった。自分で自分を傷つけて行くような言葉に胸がざわつく。同じだ。今の苗字さんは、昔の、無個性だったころの僕と同じだ。
なるべく考えないようにはしていた。無個性だからとか、そういうことは。それでも、ふっと心が弱くなったときに声が聞こえてくる。

自分はここまでだ。
これ以上望んだって無駄だ。
こんなことをして一体何になるんだ。
どうせヒーローになんて、なれない。
だって、僕は無個性だから。

そう囁く自分が幾度となく現れた。それでもヒーローになることを諦め切れなくて、研究と称して声を掻き消すようにノートに綴った。ヒーローについて、個性について。そうして我武者羅に抗った。
抗っていたら、気付いたら道が開けていた。開けてくれた。オールマイトが、ヒーローが。
だから。今度は僕が。

「どうだっていいんだ、他人なんて。私は緑谷や轟と違って、誰かのためになんていう崇高な精神ないんだよ」

何を言えばいい。何を言えば、苗字さんの心は揺れる。どうしたら傾いてしまった天秤を揺らすことが出来る。なにか、苗字さんの心に、石を投げ込めれば。思い出せ。苗字さんの心が一番揺れたのは。感情が剥き出しになったのは――。

そこまで考えて、ふと苗字さんの表情が脳裏に蘇った。
そうだ、あの時、君は確かに。

「軽蔑したでしょ?そう思っちゃうから、私はヒーローに向かない。だったらさっさとその道はあきらめて別の道を――」
「じゃあ、なんであの時、君はあそこに戻ったの?」

その瞬間、苗字さんの瞳が揺れたのを僕は確かに見た。


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