どれだけ持って行くんだ、税金

突然の浮遊感に何が起きたのか、理解が及ばなかった。

「ン、だこれァ……!」
「ごほ、ごほっ、ぐぅ……!さいっあく……!クソを下水で……なんだっけ?」
「いつの話しとんだクソが!!」

胃から何かが逆流するような生理的な嫌悪感と、強烈な悪臭が体の内部からあふれ出したのだけはかろうじて分かった。
まずい、と思う間もなくほぼ同時に、そして強制的に視界が変わった。直前まで見ていたのはヒーローたちによって破壊されたバーと、激情に駆られて感情のままに絶叫する死柄木の姿だったが、今は何故か更地だ。

どういう理屈だ。状況が把握できない。なんでもアリじゃないか、こんなの。動かない方が邪魔にならない、なんてタカを括らずにすぐにあそこから離れるべきだった……!

くそ、と思いながら砕けた瓦礫を握りしめた。ヒュー、と掠れた音しか出さない喉の痛み堪えながら、短く途切れ途切れになる息をなんとか整える。一緒に飛ばされたらしい爆豪は背中の向こうで同じように咽ていた。個々で飛ばされたわけじゃないことが唯一の救いだろう。

黒霧と言われていた男の個性とは少し違うような気がしたが、そんなことはどうでもいい。
それよりも、ヒーローたちから離されたことが一番の問題だ。どういう手かは知らないがあの状況から逃げられるほどの力があるなら、この追いかけっこが延々と続く未来しか見えない。

これが数か月の長期戦にでもなったらと思うと頭が痛い。最悪だ。こいつらの逃亡劇にこっちの貴重な時間を使って付き合わされなければならないんだ……!
義務教育の中学生までと違って高校生には出席日数と単位があるんだぞ。出席日数が足りなくて留年でもしたらどうしてくれる……!この生い立ちに加えて高校留年などヒーローでなくても経歴に傷が付いたも同然。将来的に見れば大きな損失だ。

そもそも、経歴云々の前に現在進行で時間を浪費している。完全に無駄だ。無駄すぎる。時は金なんだぞ……!労働はしてないが授業料というコストが掛かっている以上、ただの損失でしかない。
国立とはいえ授業料だってタダではないのだ。ましてや私の家庭状況を考えれば、余計な金は掛からないに越したことはない。

それだというのにこの有り様。時間と記者会見の様子から見て既に事件から2日以上が経過している。合宿期間2日分の損失がどれほどかなんてあえて言う必要もない。

おのれ連合……!
お前らの都合に付き合わされた分の時間的、人的コストは賠償金に上乗せして絶対に踏んだくってやるからな……!絶対にだ!!

そう、思っていたとき。

「――悪いね、爆豪くん、苗字くん」
「――は、」
「ア"ァ……?」

考えてみれば。おかしいことばかりだ。
飛ばされる直前の敵連合の焦り方は異常だった。どうして彼らはあんなにも焦っていた?
どうして荒野だと思っていた。じゃあ近くに見えるビルの灯りはなんだ?
脳無を出してきた時点で総力戦だと思っていた。オールマイト相手に余力を残すとは思えない。だったら、いま、声を掛けて来たのは。誰だ?

「――ッ、ばくご……が、ァっ!」
「おい!苗字!」

爆豪の呼ぶ声が遠くでするけど、あまりの吐き気に立っていられなくて結局嘔吐する羽目になった。何かの個性を使われたのか、異常に脳が揺れている。
一時的に方向感覚を奪われたのか、三半規管を直接揺らされたのかはわからない。だが、脳震盪を起こしたように頭がふわふわして、呼吸することで精いっぱいだ。

「躊躇と容赦のない、実に早い良い判断だよ。苗字くん」
「テメェ……コイツに何しやがった……!」
「なに、発動させた重力操作の個性を少し返しただけだよ。僕に当てようとした攻撃が、自身に向かっているだけさ」

考えてみればあの時、ヒーローたち以上に連合の連中が焦っていたのは、あの介入が予期しないものだったからだ。ただひとり、死柄木を除いて。
それに、此処は荒野なんかじゃない。荒野にしては街の灯りが近すぎる。まるで、街の中心部にいるような。ここは街の中心だ。そして更地なのは、それまで建っていたビルが壊されて更地になったからだ。
決定打は、一瞬だけ視界に映った隆々とした体と、見覚えのあるフリル。あの訳の分からないブートキャンプの教官と同じコスチューム。

導き出される答えはひとつだった。声を掛けて来たのは敵、もしくは連合の協力者だ。
――ならば躊躇する必要はない。

そう思っての個性発動だったが、相手の方が上手だった。こちらが発動するよりも早くむこうの個性が発動して先手を食らった。しかも私の個性と相性が最悪の個性だ。思考と計算が妨害されては何もできない。おまけに『返された』とあれば迂闊に二手目を出せない。
完全に主導権を向こうに持っていかれた。

「だい、じょうぶ、あたま、ゆれてる、だけだから」
「あまりに躊躇がなかったからやりすぎてしまったようだ。すまなかったね」
「あァ"……!?テメェ……!」

悪びれないその様子に爆豪が何かを言いかけたその瞬間、黒いなにかからぼろぼろと敵が吐き出された。さっきまでの形勢がリセットされている。それどころか、こっちは足手纏いが増えて、向こうにはプロヒーロー相手を無傷で退けられる実力者が増えた。悪化したと言わざるを得ない。

「先生……!」
「また失敗したね、弔。でも決してめげてはいけないよ」

敵が歩みを進める。ぶれる視界の中でも靴音は鮮明に聞こえた。
考えろ、考えろ。今できる最善を。この場を離れるために、なにをすべきだ。何が出来る。
爆豪だけを返すことならなんとか出来るかも知れない。でも、それでは駄目だ。2人で、無傷で、帰らなければ。雄英の信頼は元に戻らない。むしろ不安感を煽ることになる。それに、あの信頼を裏切るわけには。

「こうして仲間も取り返した。この子たちもね。君が大切な駒だと考え、判断したからだ」

カツカツとこの場に不釣り合いな革靴の音を響かせて、死柄木の前に立った『先生』はその手を差し伸べた。神の子が人を救ってやるのだ、と言わんばかりに。

「またやり直せばいい。いくらでもやり直せる」

祝福である。福音である。救済である。
人が背負いし原罪を禊ぐかのような、甘くやさしい言葉。紡がれた音は無垢と純真を詰め込んだ神を賛美する歌声だ。たゆむことなく、滞ることを知らない歌が瓦礫が敷き詰められた荒野に木霊する。愉悦と憐憫を織り交ぜながら。

「そのために僕ががいるんだよ。全ては君のためにある」

その言葉に喉の奥が震えた。
音が遠くなる。
耳鳴りがする。
揺れが酷い。
息があがって苦しい。
指先が壊死したように、冷たくなっていく。

『考えるな。感じるな。僕の言う通りにしろ。出来るまでやり直せ。成功まで導いてやる。そのために、僕がいる。全ては君たちのためにある』

あの家で刷り込まれた言葉。概念。支配される思考。あの時感じた痛みが、恐怖が、重圧が体の底から甦ってくるようだった。地獄から手が伸びて引き摺り込まれたが最後、二度と明るい世界に戻れないんじゃないかという錯覚が襲ってくる。

同じだ。何もかも。言っていることが、すべて、この巨悪の輪郭をなぞっている。

「お、まえ……!」

吐き気もなにもかも、全部腹の底に押し戻してかろうじて出せた声は、自分でも分かるくらいには震えていた。さっきまで抱いていた不義も不屈も、すべて消し飛ばされたようだった。怒りはどこかに消えて、代わりに白に覆われたあの世界が再び頭の中を支配しつつあった。肌を打つ痛さも、骨が軋むような寒さも、尊厳と思考の死も。再び白い津波となって襲ってくる。逃げられない。

「お前、お前が、あそこを、あの……!」

不気味なマスクの下の表情を伺うことは出来ないのに、これから出す答えが正解だと分かってしまった。どうしてこいつらがここまで私に執着したのか、あの子を引き入れられたのか。答えがその口元に浮かんでいる。答え合わせというにはあまりに歪で醜悪そのものだ。

「あの家の、『校長』か!!」

あの家に棲んでいた悪夢が、私の前でひとの形をしている。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -