モチベーション低下を理由に休みたい

「可哀想に」

粘着質な死柄木の声が、テレビの音声を垂れ流す店内に広がった。会見では未だ記者が何かを糾弾している。
死柄木の表情は手に隠されていて見えない。けれど、その奥に愉悦が浮かんでいるのは、見なくともわかった。さっきまで喚いていた爆豪すら、今は沈黙を守っている。

死柄木によって盛大に暴露された私の過去は、爆豪を黙らせるには充分だったらしい。流石に公安委員会が絡んだことまではバレてはいないが、それでも戸籍云々は赤裸々に語られた。威勢のいい言葉もなく呆然と私を見ている爆豪に、横目で視線を向ける。

爆豪の表情は固まっていた。戸惑い、疑い、嫌悪。それに近い何ががあるのはわかる。その胸の内には、一体どんな感情があるんだろうか。
まあ、それが普通の反応だ。何を期待していたんだか、と思考を爆豪から切り替える。
死柄木がつらつらと話をしている間に大分冷静になった。
冷静だ。そう、私は冷静にきまっている。冷静……れい、せい。

いや、冷静でいられる訳ないだろうが……!!

今、まさに私の華々しい人生プランが崩壊の真っ最中なのに!?無理に決まってる!無茶な公安委員会との取引のすえ、やっと掴んだ華々しい引退生活の切符を、今まさしく破られようとしているのに!?
契約不履行にも等しい蛮行だぞ!?
何をどうしたら冷静でいられる!頭を抱えて叫ばないだけまだ尊厳を保っていると誉めて貰いたい!拘束が解けていないだけだけど!

事が大きいだけにバレるかもしれないと思っていたが、いずれにしろ今じゃないんだ!この議題は、今、上げるタイミングじゃない!!余計な発言で触れてほしくない議題を炎上させやがって!せっかく上手く行っていたのに!

「おい、見たかよ苗字。お前、ぜんぶ暴かれてるぞ?可哀想な過去だなあ」
「あの記者、どうせそっちの仕込みでしょ。同情なんて、はは、思ってもないくせによく言うわ」

嫌味と意趣返しだ。これくらいじゃ腹の虫は収まらない。想像の範囲を出ないがそう指摘してやれば、死柄木がつまらなさそうに舌打ちを溢した。

腹はまだまだ収まらない。とはいえ、いつまでも終わったことを言ってもしょうがない。出来る限りの軌道修正をしなければ、私の人生計画は本当にポシャる。少なくとも私のヒーロー業界での評価に、遺恨を残すような形は絶対に避けなければ……!!

必要なのは、方向性の違いをアピールすること。そして勧誘を諦めさせることだ。
少しでも揺らぐような素振りを見せればあらぬことを吹聴されかねない。否定の意志を業界へ明確に示す必要がある。明確な意思表示は大事だ。

さらに、勧誘に莫大な労働コストが掛かることを敵連合に理解させなければならない。人間は生産性が見られない行動を嫌う。これ以上靡かないなら無駄、と叩き込んでやらなければ私はずっと火消しに奔走することになる。そんな非合理的な作業にリソースを費やしている暇はないのだ。

頭を巡らせる私を見ていた死柄木が、一歩ずつ歩みを進めてきた。テレビでは連なるように次から次へと記者による糾弾が続いている。

「同情?……するかよそんなん。俺とおまえは同類だ。ヒーローに救ってもらえなかった、社会からの爪弾きものだろ?」

嘲笑が零れると同時に手が伸ばされる。この手を取れ、と言わんばかりに差し出されたそれが、目前に迫った。

「一緒に壊そうぜ。なあ、名前。ヒーローも、この社会も」

蜜を濃縮したような、甘やかな艶めいた声音だった。
縛られた手は自由になっていない。加えてこの人数差。普通に考えれば大人しくしているだろう。実際そう思っていたが、ここまでされて黙っている訳にはいかない。
私は明確に、この男を叩きつぶさなければならない。暴力ではなく、知性と正論で以て。

「これだから自分を客観視できない人間は……。被害者気取りか?合宿所の襲撃も、爆豪の拉致も犯罪行為に当たらないと?」
「勧誘ついでに抵抗されましたからね。不可抗力です」
「まさしく犯罪者の言い分だな。都合のいい法律の拡大解釈にしか聞こえないけど」
「オイオイ……お前みたいなヤツがそんなみみっちいこと言うなよ……絶対神とまで言われたあの塾長を裏切った落とし子だろうが」

アポロンの落とし子。不名誉な私の、界隈に通った名前だ。
週刊誌が付けたセンスのない名前。あの施設から零れ落ちた異端児。太陽神を地に落とした厄災。
裏社会ではその名前で通っているらしいが、そんな期待を寄せられても困る。呆れるほどの言い分にため息で返せば、死柄木の声が揺らいだ。

「俺たちはちゃんとした目的がある。あんなゴミみたいなやつらと一緒にすんな」

目的。その言葉に少しだけ食指が動いた。
敵連合が言う目的はなんなのか。大体想像は付くが、そこまではっきりと言うなら何かしらの目的はあるんだろう。他の敵組織と違う何かが。
純粋な興味に加えて、ここまで周到に用意した計画の目的くらいは土産として持って帰りたかった。そうすれば私の評価も多少マシになるはずだ。

「目的?目的ってなに?こんなことをして、さらに何がしたい」
「俺たちがヒーロー社会をぶっ潰す。それで世界を変えるんだよ……!」

促した言葉の先を聞いて、思わず天を仰いだ。
隣の爆豪が訝し気に私を見る気配が伝わって来た。

「――話にならんな」

思っていたよりも、最低だ。なんの価値もない言葉だった。
将来どうしたい、と聞かれて「社長になって大金持ちになりたい」と答えるような、中身がふわっふわの将来だ。紙より薄い。

「それが勧誘だと?笑わせてくれる。ヒーロー社会を壊してどうするつもりだ。そもそもどんな世界にする。どんなメリットがある。私はどのポストに就いて、なんの仕事をする?」

矢継ぎ早に放つ質問に、一切の答えは返ってこない。補佐らしい黒霧と呼ばれる男でさえこちらを見たままだ。
想像よりもお粗末な野望に、これ幸いと論破することにした。配慮せずにノーを突き付けていく。
代替案なき否定はこんなにも気楽なのか。前世の上司のように理論詰めしていく自分に少し、いや、かなり嫌気が差すがしょうがない。とにかく、完全に諦めさせることが優先だ。

「答えられないだろう?まったく具体性も計画性もない勧誘だからな。中身のないプレゼンされても答えが出るわけがない。実現に際しての具体的なステップは?コストは?」

トップは夢を語らなければならない。夢を語らなければ優秀な人材も融資も得られない。だが、それ以上に現実を見なくてはならない。当たり前だ。従業員の人生を預かるのだ。現実は誰よりも見なければならない。

でも、死柄木にはその覚悟はまるでなかった。私の想像以上に。だから勧誘の言葉は紙のように薄く、熱量も僅かしかない。

「目的も、手段、すべてが曖昧。どんな仕事をするかもわからないのに、今の立場を捨てて一緒に来てくれ?行くわけないだろうが。誰がそんな泥舟に乗り込む?」

まるで誰かの言葉を借りただけのようだと思わざるを得ない。だからこそ、どうしてこんなにも多くの、あの襲撃を果たせるだけの人間が集まったのかわからなかった。ステインが既に逮捕されていることを考えれば、より一層。

きっと、バックに大きな力を持つ誰かがいる。

その答えに行き着くのはそう遅くなかった。もしかしたら、死柄木自身も利用されているだけかもしれない。
そう思うくらいには、持っているビジョンと計画の狡猾さにギャップがあった。おそらく、この手練れ達を集めたのはそのバックに付いている誰かだ。私を欲しがっているのも、死柄木じゃなくてそいつだろう。

「自分の意見だけを押し付けて、相手に呑ませるのが交渉だと?さぞ楽な仕事だな。外回りと称して喫茶店をオアシスにする不良社員が大量に収穫できるわけだ」

だから、過剰なまでに否定しなければならない。こいつの後ろで見ているだけの誰かに伝わるほど苛烈に、拒絶を訴えなければならない。

「悪いが、私はそんな職場も破綻した事業計画を立てるトップも、絶対にお断りだ。どれだけ良い条件を積まれたとしても。そもそも、私とお前が同類?そんなわけがあるか」

私と死柄木は違う。たとえ同じような社会から爪弾きにされた人間だったとしても。たとえヒーローから見捨てられたとしても。誰かを恨まずには居られなかったとしても。
私は、最後の一線を越えない。

「私は被害者で、お前たちは加害者だ。立場が違う。思想が違う。確かに、ヒーローや社会を憎む気持ちは少なからずある。だが、社会が悪いと責任転嫁をして、誰かから何かを奪おうとするお前と、私は、違う。お前が思ってる同類は」

越えれば、私もあの塾長と同じ倫理と知性を欠いた獣になる。


「ただの幻想だよ」


そう言った瞬間、衝撃と共に椅子ごと引き倒された。頭の傷口を打ち付けられて体に激痛が駆け抜ける。揺れる視界の中でも死柄木を睨む。掌に覆われた指の隙間から瞳孔の開いた赤い目が見下ろしていた。

「こいつ、殺す」

分かりやすくキレている。やっぱりどう足掻いても解り合えないらしい。
内心でため息をつきつつも伸びてくる手をどう回避しようかと頭を巡らす。身動きは取れない。相手は触るだけで肉体すら破壊できる個性の持ち主だ。
重力操作をしようにも演算が出来るほど脳に余裕がない。何しろまだ視界ごと脳が揺れている。

「だめです死柄木……!」
「苗字テメエ!なに無抵抗になっとんだ!」

言いたいことを言っい切ったせいか、妙な達成感があった。猛烈な虚脱感に襲われて体から力が抜ける。
人生プランを軌道修正をするとは言ったものの、どこかでもういいか、と諦めを促す自分もいた。
ここまで頑張ったよ。もういいじゃないか。
まる1年かけて周到に用意した企画が無に帰したような、そんななげやりな気持ちが体を急速に占拠した。1度それが過ったらもうその思考に取りつかれた。

あー、もー、なんか、うん、どうでもいいや。言いたいこと言ったし、もう無理。無理なもんは無理。疲れた。もう何もしたくない。

猛烈に布団に帰りたい。今すぐベッドに入って寝たい。ずっと張っていた緊張の糸がぶつんと切れた気がした。

ヒーローになったところで、帰ったところで、もう私に期待している人間はいないだろう。少女Aはそれほどまでにヒーローに相応しくないバックグラウンドの持ち主だ。
業界に知れ渡ってしまった以上、もう居場所はない。外的要因で将来の道を断たれるとか。ほんと最悪。もう知らない。煮るなり焼くなり好きにして。

割りとシビアな人生だったけど、2度あることは3度あるというし、さっさと次に期待してもいいんじゃないか。

倒されると同時に、死柄木が拘束を崩壊させた。馬乗りになった死柄木が手を伸ばしてくる。手足が自由になったというのに、体からは力が抜けたままだ。抵抗しない私に、爆豪が何かを言っているのが聞こえる。

『ご質問は、以上でしょうか』

はっきりと、何かを押し殺した声が聞こえた。

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