上司!余計なことを言うな!黙ってろ!

『それでは、先程行われた雄英高校謝罪会見の一部をご覧下さい』

神野区で変装を済ませた僕らが店を出て、目的地へ向かっている途中。雄英の名前に思わず振り返った先、巨大なモニターには相澤先生たちが映っていた。
見慣れたヒーロースーツじゃなくて、フォーマルなスーツを着て、ぴっしりと髪を撫でつけている。いつもと違う姿が、メディア嫌いの先生が人目を憚らず全国に姿を見せていることが、事態の、そして世間からの注目の大きさを感じさせた。

悪者扱いにも似た厳しい質問とその回答に、辺りから疑いの、不満の、不信の声が大きくなる。悪い方向へ押し流されていく。水面に投げ込まれた石が波紋を起こしていくように、じわじわと不穏な何かが広がっていく。そんな不穏さが辺りに漂っていた。

反論したいのにできない。雄英が何もしなかったわけじゃない。対策だってしていた。ヒーロー科だって、無敵じゃない。悪いのは雄英でも相澤先生でもないのに、どうして敵じゃなくて僕らが責められなきゃならないんだ。

くやしい。何もできない、何も言えない。

ぎり、と拳を握りしめる。だめだ、今は堪えるときだ。ただでさえ、僕らがここにいることはバレてはいけない。だから早くここから立ち去らないと。
それに、八百万さんのデバイスを手に入れている以上、警察もヒーローももう動き出してる。かっちゃんを助けるのが、今は最優先だ。

『――敵は浅はかであると、私は考えております』
「……行こう、切島くん」

なにより、相澤先生の強い言葉に大丈夫だと思った。相澤先生の言う通り、かっちゃんはオールマイトに憧れてヒーローを目指してるんだ。それを分かってくれている人がいるなら、絶対に大丈夫。それ以降も続く記者の問いは、もう聞かなくても十分だ。
切島くんも飯田君も、相澤先生の言葉に安心したように肩の力を抜いて、スクリーンに背を向けようとした。その時、僕らの想像もしなかった名前が飛び出た。

『では、もうひとりの被害者、苗字名前さんについても同じことが言えますか』

それって、どういう。
進めようとした足が、ひたりと地面に縫い付けられたように動かなくなった。外した視線をもう1度モニターに向ける。心なしか、相澤先生の顔も強張っている気がした。それよりも。

なんで、引き合いに苗字さんが出てくるんだ?

クラスからの支持もある。考え方も大人びていて、僕たちよりも視野が広くて冷静。ヒーローになることに高い情熱を持っている人。同じ教室で、ヒーローを目指す、僕らの中でも少し抜き出た存在。
それなのに、なんで、苗字さんが。僕らとも、かっちゃんと、違う、みたいな言い方を。

『今回爆豪くんと共に攫われた苗字さん。調べましたが優秀な成績を修めているにも関わらず、体育祭での主だった活躍も見受けられません。ですが、体育祭で彼女がプロヒーロー、エンデヴァーの隣にいた際、それまでになかった怪我が確認されています。なぜでしょうか?』
「誰だァ、苗字名前って」
「拉致されたもう1人の子って言ってたじゃん。聞いとけよ〜」

ざわざわと飛び交う興味に何となく嫌な予感がした。かっちゃんのように知名度が高いわけじゃない。それでも、勿体ぶった記者の質問の仕方に周りの興味が掻き立てられていく気配がした。
さっきまで雄英への不満を口にしていた人たちが、今度は憑りつかれたようにモニターを見ている。

『観客同士のトラブルに彼女が巻き込まれたためです。怪我を負ったことによる本戦棄権については残念でしたが、彼女の適切な判断および対応で被害は最小限に抑え込めたと認識しております』

体育祭で後の苗字さんの姿を思い出す。あっけらかんとした、でも痛々しいギプス姿。彼女の口から語られたボランティアにはそういう意味があったのか、とあの時を振り返った。
自分の試合が控えているにも関わらず、お客さん同士のトラブルを解決するなんて、誰にでもできることじゃない。やっぱり、苗字さんはヒーローに向いている人間だ。

じゃあ、この記者の、苗字さんを糾弾するような勢いは、一体なんなのだろうか。
まるで、そうじゃないと言いたげな強さは。絶対的な確信は。

嫌な予感が背中から消えない。結果の悪いテストの答案用紙を返却されるときのような、得体の知れない恐怖に胸がざわついている。

『本当に客とのトラブルでしょうか?』
『……質問の意味がわかりかね――』

『少女A』

相澤先生の言葉を遮るように、記者がそう言った。え、と誰かの声が零れる。それが僕の喉から出た言葉だと、最初は分からなかった。
周囲の音が遠退いていく、自分の心臓の脈拍とモニターから流れる音だけが僕の世界を作っていた。少女Aって、まさか。

『かつての苗字名前さんですよね?』
『生徒の個人情報に関して、この場でお答えはできかねます』

すかさずそう言った校長先生の言葉も気にせず、記者は言葉を続けた。誰もこの質問を止める気配がない。見ているだけで分かる。
これは、きっと、所謂特ダネだ。雄英追及のために、満を持して、極限まで尖れた牙だ。
鋭利な言葉が夜を切り裂いていく。

『あの事件を乗り越えヒーローを目指し、国内最難関と言われる雄英に入学し、トップヒーローを目指す。なるほど、誰もが喜びそうな究極の美談ですね』

最早質問でもなんでもないのに、誰も止めないのは、皆がその答えを知りたいと思っているからだ。生放送、公式な記者会見の場だったら逃げられないと、その言葉は真実に近いものだと思っている。

『過去、世間を騒がし世論を大きく変えたあの事件の被害者。ヒーローに助けて貰えず、自らを助けるしかなかった彼女は、――ヒーローを恨んでいるのでは?』
『生徒の個人情報に関して、この場でお答えはできかねます』
『そうですか。でも、4月からの度重なる雄英高校への執拗な襲撃。いずれも苗字さんが入学してからですね?』

いやらしい聞き方だ。敵の活動活性化なんて、そんなの、僕たちと関係ないじゃないか。そんなの、敵の都合だ。そんなことを言ったら、当て嵌まるのは苗字さんだけじゃない。僕だって、1年のみんなが同じなのに。まるで、苗字さんだけが当て嵌まるのだと、そう、先入観を植えつけられた。
言わずとも導き出される答えに、周りからのざわめきが広がる。

『――彼女自身に、敵連合となんらかの繋がりがあったのではないですか?』

暴論だ。酷い。言いがかりじゃないか。
カッと頭に血が上りそうになる。そんなことあるわけないだろ。そう、叫びそうになるよりも先に、周りのざわめきが一際大きくなった。

「『少女A』ってあの?」
「太陽の家事件?なにそれ」
「は?お前しらねーの?ググれよ」
「え、裏切り者ってこと?やばくね?」
「雄英終わったな」

言葉が、感情が渦巻く。
燃え盛る炎に、さらに薪がくべられるように。憶測に満たない何かが、命を吹き込まれるように形を作っていく。そんなおぞましさが、背中を這い上がってくる。

僕も、飯田くんも、八百万さんも、切島くんも、轟くんさえ、喉が震えてそこに立つのがやっとだった。苗字さんすら不信の標的になるのか。雄英に向けられたような、謂れのない鋭利な言葉が、苗字さんに。
そう思っていたから、人混みの隙間を縫って届いた音に、乾いた音にもならない吐息が溢れていった。

「あーでもさ、『少女A』なら、敵になってもおかしくないよな」
「……え?」

なんで。

「あそこまでされたらさ、ぶっちゃけ社会とかヒーロー恨んでもしょうがないよね」
「親に売られたってこと?可哀想じゃん」
「やば、俺だったら秒で敵になってるわ〜」
「つーかむしろ敵一択だろ。ヒーローとか、お前が言うのかよって感じ」

なにを、言っているんだ。誰のことを言ってるんだ。苗字さんはそんな、人じゃ。

可哀想。
しょうがないよね。
やっぱりそうなっちゃうんだ。
そういう生まれだもん。

声が大きくなる。ざわめきが夜の静寂を砕いていく。どうしてか、子供の頃に画用紙に書きだした僕の世界だけで生きていた、空想の歪な形の敵を思い出した。
ぼやけて、輪郭すらあやふやだった得体の知れない何かが、形を作っていく。敵である理由も、名前もない。名前を付けるまでもない、ただ『敵』というものに分類された、無名の怪物。

そんな絵が脳裏で、苗字さんの姿と重なった。

ぞっと背筋が凍えた。勝手に作られていく苗字さんという人間。
可哀想で、ヒーローを恨むのはしょうがなくて、敵になるのもしょうがない。そんなことない、と言いたかったのに、その言葉が音になることはなかった。

『お前は象徴だ。このヒーロー社会の歪みが生んだ、最高の贄だ……!』
『君は今でも、ヒーローを恨んでいるかい?』
『助けられなかったのにへらへら笑ってるからだよなあ』

脳裏に過ぎる言葉たち。苗字さんが晒されてきた感情の渦。

偏見。思い込み。同情。憐憫。愉悦。興味。無関心。諦念。猜疑。不信。――恐れ。

『緑谷さ、洸汰君のこと一瞬でも、親のいない可哀想な子って、そう思わなかった?』

あのとき、炊事場で話した苗字さんの瞳に映っていた僕は、一体どんな表情をしていたんだろうか。


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