会議の雰囲気は無理に変えると痛い目をみる

凍りついた空気というのは、大体碌なものを運んでこない。
会議であればお通夜のような空気を一掃しようと、議題は突拍子もない方向にいきがちだし、突然上司からのつるし上げに発展することもなくはない。つまり、一刻も早く打開すべき状況だ。特に今は。このままだと連合に付け入る隙を与えかねない。

早く、はやく、何か言わなければ。
これ以上彼を巻き込んではいけない。断固とした意志はあるのに、唇は震えるだけで音を発しない。
先生。
明るく発せられたその言葉にぞっと背筋に寒いものが走った。その言葉が恐ろしい訳でも、先生が恐ろしい訳でもない。恐怖と戦慄を覚えたのは、その顔を見たからだ。

先生と言った彼の表情には夢や病に浮かされたような、恍惚すらも飲み込む熱が籠っていた。崇拝にも似た執着と純真が混じりあって、汚泥のように濁っていた。異様な匂いを発している錯覚さえしていた。言葉を返せたのはもはや奇跡だった。

「……そ、うだね、先生、だ、」
「うん!へんなおねえちゃん。ねえ、おねえちゃんも先生にあいにいこうよ」
「あ、そ、――え」

子供のように体を揺すられる。ねえ、と甘えるような仕草に再び背中が粟立った。
思考がバラバラに分解されるようだった。纏まらない。自分でも動揺していると分かるのに、その震える心を落ちつけることができない。いや、それよりも。

今。なんと言った?会いに行こう、だと?
あんな話に出すことすら恐れていたのに、なんで、そんな顔、まるで本当に会いたいみたいじゃないか。
いや、それよりも。


会いに行ける訳、ないだろう。『先生』は監獄にいるのに。


「お前もういいよ、あっちに行ってろ」
「はあい、しがらきさん、またね、おねえちゃん」

にこにこと手を振りながら扉の奥へ去って行った彼を見送る。シン、と静まり返った部屋にパタン、という扉の音が落ちた。
誰も何も発しない。連合が私の出方を伺っているのが嫌でも分かる。隣にいる爆豪は何が起きたか分からないという視線を向けて来ているのだろうか。分からない。頭の中がぐちゃぐちゃにかき回されたようだった。

あの子にとって『先生』はトラウマ以外の何物でもない。その言葉を聞くだけで震えて、まともに意思の疎通も出来なかったというのに。それがどうしてあんなに嬉々として先生を求め始めた?

それに、あの子があんなに容易く死柄木の言葉を聞くことも、ここにいることすら考えられない。リハビリを続けても声すら聞こえなかったというのに、どういうことだ。人の心はそんな簡単に治るものじゃないのに、どうして。

「可哀想だなあ……助けてやれよ、苗字。ヒーローだろ?」

誰も言葉を発しない空間に、死柄木の愉悦を噛み潰した声が響いた。隠さずに睨みつけると、今度こそはっきりとした笑い声が聞こえる。
可哀想?お前が?それを言うのか。あの子を利用しているくせに。

いつの間にか背中に汗が浮いて、それが背中を滑って行った。その感覚にすら寒気を覚えて反射的に体が跳ねた。くつ、と死柄木が手の下で笑みを零したのが分かって、ぞわりと嫌悪感が湧き上がる。

「……ここまで引っ張り出してどうするつもりだ。あの子に何をした。何をさせようとしている」
「何も?強いて言えばお前を誘き寄せる餌だよ」
「馬鹿げてる」
「でも結果的にお前はここに来た。あいつがいなきゃ、お前はここにいないだろ、なあ、苗字」

死柄木の言葉を吐き捨てる。
馬鹿げている。それよりもだ。こいつらは、あの子に、何をした。症状が劇的に改善した理由も、方法も分からない。一体何をした。

今すぐにこの拘束具を分解して問い正したいのを押し殺す。あの子の姿が見えなくなったことでようやく冷静を少し取り戻した頭が、今動くのは時期尚早だと訴えてくる。
別室に移った以上、あの子に危害が加えられることはないはずだ。諸々気になることしかないが、今一番に優先すべきは敵連合から離れて安全を確保することと、早急にこの話題を終わらせることだ。

「……もういい。早いところ本題に入ってくれない?結論の出ない議論は時間の無駄だって知らないの?」

ただの結果論だ。答える気がない以上、今は深追いすべきじゃない。
堂々巡りして議題が行方不明になった会議と同じ匂いがする。結論の出ない会議などただの時間の無駄。議事録の結論に何も書けない会議などこの世から根絶されるべきだ。……しまった話が逸れた。

とにかく、今は無駄な会議より優先すべき事項がある。
そうでないとさっきから死柄木と私を交互に見ている隣の男の我慢がきかない。暴言を言われるよりも放置されることが一番効くタイプの人間だ。脱出を考えていると思ったが思い違いだったか……?とにかく変な発言で議題が変な方向進む前にどうにかしてこの男のガス抜きをしなければ……!
そう思った瞬間、めちゃくちゃデカい音が無防備な耳を襲った。

「さっきから■■、■■……てめぇら俺の知らねえ名前出してんじゃねぇ!!クソがァ!!」

遅かった。

あちゃあ、と顔を顰める。マジかよ、という敵連合からの視線が何故か私にも刺さる。
見る限り連合はそれなりに年を重ねた人が所属している。そのせいか、この高校生らしい思春期特有の自己主張の激しさが若干、煩わしく感じるのかもしれない。ツギハギと女口調の男など、あからさまに面倒くさいという顔をしている。全くの同意。

この爆豪を見て死柄木は勧誘を思いとどまってくれないだろうか。少なくとも誰かの下についてチームのために貢献、なんていう高尚な精神など持ち合わせていない。
むしろスタンドプレーすぎてプロジェクトマネージャーが頭を抱えるタイプの人間だ。私だったらそうなる。悪いことは言わない。やめたほうがいい。
個人で動く方がパフォーマンスが高いうえ、見ただけでこのメンバーとは絶対上手くいかないのがもう予想できる。なにより精神的に子供VS子供の爆豪と死柄木が上手くいくはずがない。

「■■■■■、目の前にいるだろ。なあ?」

敵連合からの視線を全部無視していると、死柄木が爆豪の言葉を受けて私に視線を送った。
なぞなぞのヒントを教える無邪気さを滲ませているが、こっちとしては何も楽しくない。せっかく話が逸らせると思ったのに、と内心でため息をつく。
ぐりん、と爆豪の顔が勢いよくこっちに向いた。ほら、矛先がこっちに来た。面倒だからなんとしても死柄木にボールをパスしたい。

「あァ……!?てめぇ……まさかスパイとか言うんじゃねえだろうな……!」
「こんな将来性もない反社会的勢力擬き、こっちから願い下げだわ。就職先ならもっとマシなとこ選ぶよ」

ほんの少し、話の矛先を逸らした。正直なところ、爆豪の問いに素直に答えるのは憚られた。
この刺青も、名前も、ずっと隠してきたからだ。今更ここで感づかれるわけにはいかない。まだ、平気だ。名前だけならわからない。

隠している全ての情報が公になれば、間違いなく私の生活は一変する。あの名前とイコールで繋がれば私の経歴にも傷が付く。安泰な引退生活のためには絶対にバレるわけにはいかない。自分のキャリアは自分で守らなければならない。

だって、私はずっと、苗字名前だ。前世から、私は、苗字名前だ。

「とぼけてンじゃねえぞ……!てめえは、何を隠してやがる!」
「今それを、爆豪に言う必要――」

あるの、と言い切ろうとした瞬間、突如として爆豪の表情が凪いだ。それなのに赤い瞳だけが鋭さを増して私を射抜く。いつか、家で問い詰められたときのような、逃がさないと言わんばかりの強い視線に、思わず言葉が途切れた。

「ファミレスで、くっちゃべってたろうが。スーツ着た男と」

決定打だった。ぶわ、と全身の毛穴が開く。
聞かれていた。見られていた。よりにもよって、この男に。ヒーローを目指して、雄英に所属する、この男に。『ナンバーワンヒーロー』に誰よりも固執している、この男に。

引いた汗が再び滲み出ている気がした。
あのとき、あの場でなにを話した?そうだ、話したのは公判のスケジュールとカウンセリングと、いや、そもそもどこから聞かれていた?どう誤魔化せば、うまく切り抜けられる。

「ははは!最高だな、苗字!自分で自分の首絞めてさあ、ホント、バカだよなあ」

言葉を失う私と対象的な爆豪の表情を見ていた死柄木が、堪えきれないというように大きな笑い声をあげた。

「なに、笑ってやがる、テメェ……!」
「爆豪くんさぁ、クラスメートのこと知らなさすぎだろ。ついでに教えてやるよ、苗字名前の、いや、■■■■■のこと」
「……やめろ」

勿体ぶった話し方に虫唾が走る。もうどうだっていい。とにかく、辞めさせなければ。

感情のままに拘束具を外そうと個性を発動させようとした瞬間、耳に吹き込まれるように落ちて来た低い声と背中にべったりと張り付く気配に、ぞくりと悪寒が走る。首に手が添えられて、巻き付くように体が抱え込まれていると気付いたときにはもう遅かった。いつの間に……!

「動くなよ、名前」
「お前……っ!」

目の前に出された指先。そのツギハギの皮膚から青白い炎が滲みだす。この拘束をほどくよりも、私が火だるまになる方が早い。死柄木は止められない。爆豪も、この男も。悠長にしていた自分を恨んだ。

ギリ、と食いしばった歯が擦れて不愉快な音を立てた。強く握った爪が、ぶち、と何かを裂いた感触だけがした。息が荒くなる。視界が揺れる。

手が、ない。
駄目だ、打つ手がない!
見つからない!

なんでだ!
くそ、なんで、どうしてこんな、私ばっかりが理不尽な思いをしなきゃならない!!

「■■■■■。今は苗字名前で、『少女A』、要するに」
「やめろ!」
「『たいようの家事件』の被害者だよ」

は、と息を呑む声が聞こえた気がした。


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