定時後に開催される会議は呪いと同義

会議という場において、男には自信のあることとないことの2つが存在していた。
男が自信を持っていること、それは会議資料作成だった。会議において相手への説明と円滑な進行に分かりやすい資料は欠かせない存在だった。

デザインはもちろん細部にもこだわった資料は部内でも好評につきた。普段は口うるさい上司も、男の資料にだけは苦言を呈することはなかった。今回もまた然り。それどころかこれまででの最高傑作と言っても憚られないほどの資料となっている。自信があった。

一方で、男は会議での発言に自信がなかった。何かを言おうとすれば、言葉が喉の奥でつっかえてしまい音になることを諦めるのだ。他になにかないのか、と言われると急かされるとことさら駄目だった。
会議に参加する人数が多ければ多いほど、階級が上がれば上がるほど摩擦係数は上昇し、ついには鉛のように動かなくなる。特に今回のような、部長クラスが出席する会議は鬼門だった。声は震え、指先はもじもじと意味の分からない文字を書いた。

そんなわけだから、毎回会議では口のうまい上司が話し、男はただエンターキーを押すだけの存在と化していた。そしてそれは今回も同様だった。映し出されている画面が、最高傑作といえる資料であること以外は。

「現在、指定敵団体である死穢八斎會において、複数の情報筋から組織に金の動きがあるとの話が上がっています」
「どこの情報だ。指定敵団体は公安以外にも警視庁4課が張っているはずだが?そっちからそんな話は上がってきていないぞ」
「うちのモグラが複数から集めた情報で―――」

暗い室内のスクリーンに映し出された内容にはチャートが表示され、渾身の分かりやすい会議資料だと自負している。きっとこれで俺にも一目置かれるだろう。さあ、次のスライドがこの資料で最も時間を掛けたページだ。皆の驚く様が脳裏に描かれる。さあ、上司よ合図をくれ。

その思考を遮るようにこんこん、と扉が開かれた。スクリーンではなく、音の発生源たる扉を全員が見た。

公安の会議には表に出せない内容が多い。個性による盗聴や情報流出を警戒し、会議室に入室するには専用のカードと出席者にのみ伝えられるパスワードを入力しなければならない。特に今回のような指定敵団体などの反社会的勢力に関する会議には、厳重なセキュリティ体制が敷かれていた。

そんなためか、火急の要件でなければこの扉はノックされない。してはならない。それはヒーロー公安委員会における不文律であった。その扉が開かれたということは、つまりそういうことである。議場に沈黙が走った。

ましてや、この会議にはヒーロー公安委員会長官そのひとが参加していた。長官自らが出席するような重要性、機密性の高い会議においては特にその暗黙のルールはことさら強く遵守されていた。

扉の近くにいた一番若手が駆け寄って仔細を聞き、慌てた様子で扉を開けた。これも会議における暗黙のルールを崩したものだ。
若手といっても勤続1年や2年の人間ではない。勤続10年をゆうに超えた、この会議に参加できるほどの腕と信頼を持つ人間である。部下を10人以上従える彼がその判断を誤ることは考えにくかった。

その若手が扉を開けたということは―――ヒーロー公安委員会が大きな力を以てして対応に当たらなければならないほどの火急案件である可能性が高い。ことの大きさを察した議場は、先ほどよりも細く張り詰めた緊張感が支配していた。

入ってきたのは若い男であった。物々しい空気と視線にさらされながらも、緊張した面持ちで震える声を張り上げた。

「か、会議中失礼いたします。先ほど長野県警に1年生の林間合宿中の雄英高校からの通報が入りました。複数の敵からの襲撃を受け、生徒およびプロヒーローに被害が出ている模様です」
「襲撃?先の事件をふまえ、林間合宿は例年と違う場所で行われているはずでは?」
「確か、こちらでもごく一部の人間しか知らないはずだ」

議場がざわつく。春先から最近まで敵勢力の隆盛は公安内でも多くの関心を集めていた。特に雄英高校は稀に見る頻度の高さで会議に名前が挙がっている。
先のステインの事件にも雄英生徒が関わっていることを考えれば、学校側の厳戒体制も間違っていないはずであった。雄英とて甘い体制であったわけではない。曲りなりにもプロヒーローが教鞭を執り、危機管理を徹底ができる日本最高峰のヒーロー教育機関である。

それでも雄英の警備に風穴を開けたということは、いよいよ敵の勢力が看過し難い勢いで増しているということに他ならない。総じてはヒーローへの絶対的な信頼に対する大きな揺らぎを、社会が感じるということだ。その意味をこの場にいる全員が瞬時に理解していた。

「また、未確認ではありますが、強襲してきた敵勢力は敵連合との可能性が高いとのことです。現在県警本部が対応に当たっており、生徒およびプロヒーローからの聞き取りを進めています」
「敵連合の……!?雄英を出し抜けるほどの力などなかったはず」
「すぐに県警公安部から情報を引っ張ってきて頂戴。我々も動き――」

その言葉を遮るように、若い男の携帯が震えた。失礼します、と画面を確認した若い男が震える声で画面を読み上げる。

「い、今入ってきた情報です。生徒、およびヒーローに複数の行方不明者が発生中とのこと。そのうちひとりは、苗字名前です」

息を呑むような音がいくつも零れた。苗字名前。今年に入ってから雄英の中でもとりわけ良く聞く名前だった。

「その情報は確かなの?」
「目の前で連れ去られたと証言している生徒が複数います。幻覚個性使用やダミーの可能性も否めませんが調査中です。公安の索敵部隊が現着し、現在被害状況を確認中です」
「苗字名前の名前を使われることが最悪のシナリオね……。雄英襲撃が与える社会への影響とあれの生い立ちはあまりにも相性が良すぎる」

長官が苛ついたように米神に手を当てる。誰も声どころか物音ひとつ立てなかった。

「……公安でもチームを設立して対応に当たって頂戴。担当はジャッジメントとします。この会議資料に追加する情報がある場合のみ報告を頂戴」

そう言って長官がその身を翻した。カツカツとヒールの音が遠ざかっていく。パタン、と扉が閉ざされると同時に会議室はガサガサと書類と人の動く音で満たされた。男は右を見て、左を見て目を白黒させた。

「え、え?」
「なにやってんだ、会議は終わりだ、解散だよ解散」
「そんなあ」

結局、男の渾身の一枚は対策本部の発足と同時に一度も表示されることなく荼毘に付された。

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