手抜きではなく効率化と言っていただきたい

「苗字、お前は立ち回りには問題ないから演習メインだ」

宿舎に戻る途中で相澤先生にそう言われて思わず固まった。また演習。今度こそ座学で落ち着けると思ったのにこれである。本当に相澤先生はよく見ている、と思わず口元が引き攣った。

「は、はは……相澤先生……マジですか……」
「マジだよ。個性を伸ばす訓練の続きだ。今から1時間、個性を使い続けろ。重力操作はもっと精度を上げていくぞ」

うっ。なんてしんどいスケジュールなんだ。
1時間ならまだいい。相澤先生が納得しなければ延長の可能性だって大いにある。むしろ延長の可能性しかない。嫌だぞ、私は昨日みたいな深夜までのブラック補習なんて。

そう思っていたらどこから出したのかとてつもない量の風船が入った袋を渡された。5つそれぞれに業務用、と書かれている。なんとなく何をされるのか分かって内心で叫んだ。

「中に入ってる5種類の風船、それぞれ別の軌道で動かせるように特訓だ」
「絶妙に違うタイプの風船なんですね……強度差アリってことですね……」
「そうだ、ちゃんと強度と重量を考慮しないと割れるからな」

私の個性を完全に把握したうえでの訓練のチョイスである。流石現役のプロヒーローだ。こっちの出来ることと出来ないことの把握が鬼のように早い。
万全であれば3つくらいまでなら自由に操れるが、今のコンディションなら絶対にとんでもない量の風船を割る自信がある。5って、普通でもきついですが。

「はい……。屋内だと迷惑を掛けると思うので外でも大丈夫ですか?」
「……構わん、あまり遠くに行きすぎるなよ」

はーい、と答えてその場に留まる。宿舎から離れるメリットもないのでそんなに遠くに行くつもりもない。引っかかったのは、相澤先生が答えを出すまでに数舜を要したことだ。

どうやら初日の電話の件が未だに尾を引いているらしい。気にしない、とは言っていたものの単独行動はまだ懸案事項ということか。
疑わしきは徹底的に疑うのはヒーローの鑑ではあるが、ここまでだとは。信頼回復が絶望的な気がしてきた。嫌味なほど優秀なヒーローだ。
立ち止まった私に、相澤先生が苗字、と声を投げかけてきた。

「くれぐれも手は抜くなよ。俺はお前のその合理的な判断を買っちゃいるが、手抜きと温存は別だ。……自分を追い込まねえとキャパは広がらねえぞ」
「……承知、しました」

そう言って相澤先生は今度こそ三奈や瀬呂たちを連れて宿舎へ消えて行った。その背中を視線だけで追って脱力する。最後、変に緊張したな、と思いながら大きく伸びをした。

「っあ〜〜〜、なんなの、も〜〜。そんなに根に持たなくても良くない!?」

苗字名前渾身の叫びだ。いや、だって正直ここまで引きずるなんて誰が考えただろうか。
確かに、緑谷や飯田みたいに常にマックスを維持しているわけではないが、手抜きまで言われてしまうとこちらとしても些か腹が立つ。当たりがキツイ。ひっじょーにキツイ。

しかし。あそこまではっきりと手を抜くな、と言われてしまった以上手を抜くわけにもいかない。変なところで問題児扱いはごめんだ。

確かに相澤先生自身、愛情深い先生だと思うのだがいかんせんやり方がややキツイ。流石去年1クラスまるごと除籍しただけある。まあ、本人たちの適正を鑑みての判断というのであれば、逆に優しさだろうけど。

中途半端な覚悟と自覚では、生死が関わる案件には関わらせられないだろう。本人のつっけんどんな態度もあって誤解されがちではあるが、生徒として、ヒーローとしてここまでバランス良く接してくれる人格者は貴重だ。

「優しいんだけど、こう、言い方?的な……、いやいるよね、こういう人職場に1人くらいはさ、うん……」

うっかり前世の部署の人間関係を思い出した。まあ、言い方がキツくとも筋は通っているので、個人的にはこのタイプとは一緒に仕事がしやすい。それに、少なくとも今まで出会った先生という括りではまともと言える。

それだけに、かつて教育指導していた『先生』が如何に狂人だったかがわかる。嫌なことを芋づる式に思い出しそうになって慌ててその思考を打ち消す。もうあれが世に放たれることはないだろう。

やや早くなった鼓動をなんとか落ち着けようと息を吸い込んだ瞬間、どこからか漂ってくる焦げ臭いにおいに思わず顔をしかめた。

「ん……?なに?山火事?」

花火やなんかの火薬とは違うにおいだ。一瞬炊事場かと思ったが、この時間にあそこを使うような用事もないだろう。それなのに、なんでこんなにおいが。
脳裏に過った炎に関する個性を持った2人が浮かんだ。まさかあの2人、同じペアになって喧嘩でもしているんだろうか。トラブルの匂いしかしない。というか最早事故じゃないか?

「……爆豪がやらかした方が現実的か?流石に燃やすとか……いや、やりかねないか?」

それにしては爆発音はなかったし、なにか異常かあればマンダレイからのテレパスがあるだろう。それがないということは現状、特に異常がないということだ。それなのに胸に生まれたざわめきが収まることはない。

嫌な予感がする。

一応相澤先生に報告しておいた方がいいだろうか。いやでも集中しろって言われそうだな。そう思って踵を返そうとした足が、その場に縫い付けられた。湧き上がって来る暗澹とした疑心が警鐘を鳴らしている。

――言ったところで、相澤先生は今の私の言葉を信用してくれるんだろうか。

結果的にスパイと思われてもおかしくない真似をしたことは、もう取り返せない事実だ。一応、ご自由にとスマホを渡したけど、あの人のことだから中を見ていない可能性もある。

わかっている。自分が蒔いた種だ。
それでも相澤先生には、あの人には、そういう目で見て欲しくなかった。

勿論、相澤先生だってプロだ。こういう不測の事態に対応できるよう、あらゆることを想定していないといけないのは重々理解している。

だとしたら、この数ヶ月で築いてきたこの信頼関係はなんだというのか。体育祭、職場体験と立て続けに巻き込まれたトラブルのせいで相澤先生と過ごす時間は長かった。
加えて、私自身他の生徒よりも精神年齢が近いせいか勝手に親近感を抱いていた。同級生たちよりもよほどお互いに信頼していたのではないかと思う。私が一方的にかもしれないけど。

それだけにあの手抜き発言と態度には少々クるものがあったが、致し方がない。この合宿中は大人しくプルスウルトラして信頼回復に努めるべきだ。

あの山火事もどきも、轟が凍らせれば一件落着だろう。私の出る幕ではない。向こうは向こうに任せてまずは自身のタスクから解消するべきだ。……この判断正しいよね?

「大丈夫かな、いやむしろ自分の方か?相澤先生まさかサボりチェックに来やしないだろうな……流石にこのコンディションで重力操作の精密なコントロールは無茶振りが過ぎる……。あ〜もう疲れた〜、さぼりてえ〜〜」

さっきまでの決意はそれとして嫌なものは嫌だ。
ため息をつきながら貰った風船の束をポケットに詰める。明らかに割ることを想定しているあたり、ここまですることは計画の内だったということか。業務用の物量に辟易としたが、文句を言っても仕方ない。まずは膨らますか、と諦めて風船に口を付けた。


「よォ」

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