同情するならホワイトな職場をくれ!

「え……?」
「そのままの意味だけど……そんなに、何かを言いたい?」

緑谷は不思議そうな顔をしていた。初めて聞いたとでも言いたげな顔をしていたけれど、私からしたらそんな顔をする方が不思議だった。
誰かが来る気配は未だない。私と緑谷だけしかいない炊事場に沈黙が落ちる。布巾で食器を拭きながら緑谷にそのまま言葉を投げ掛けた。

「社会をどう思おうが個人の勝手じゃない?批判的でも、肯定的でも。歪んだ見方はよくないけどさ、全員が全員、社会に不満を持たないわけないし」

誰かの勝ちが誰かの負けであるように、誰かにとって住みよい世界は、他の誰かにとっては住みにくい世界だ。全員に平等で、誰も不満を言わない社会などそう簡単には作れない。

緑谷は、ヒーロー社会を憎むというその子をどうしたいんだろうか。純粋な、そして緑谷を見ていてずっと思っていた疑問だった。

「でも、彼にも恨む事情があるんでしょ?それをぽっと出の奴が、この社会は悪いところじゃない、って言っても納得できないんじゃない?」

思想に正解はない。
あの子が社会をそう思うのなら、それもひとつの考え方だ。もちろん程度はある。社会のルールを守る範囲で、個人が自由な思想を持つ。それが、理性で構築された人間社会の姿だ。そうでなければ、我々は獣と変わらない。

いつだったか、心操にそう言ったことがあった。その考えは私の中で今も変わらない。理性で己を御せるから、この個性世界は成り立っている。

「でも、洸汰君の両親はヒーローなのに、それを否定しちゃったら――」
「親は関係ないよ、洸汰君個人の話だ。親がヒーローでも、そうじゃなくても、彼の世界の見え方は彼のものでしょ」

あの子は何も知らない子供じゃない。親の素晴らしさも、マンダレイ達の優しさも分かっている。わかった上で、この個性社会を拒否したいのだ。
だから、恨みの矛先が親でも、マンダレイたちでもなくヒーロー社会へ向いている。それが、今のあの子に出来る精いっぱいなんだろう。

人の心には防衛本能がある。壊れそうな心を守ろうとして、脳は色々な手段をとる。鬱による体調不良だったり、記憶喪失だったり。何かを憎むことで、心のバランスを保つこともそのうちのひとつだ。

緑谷の正義は、その拠り所を奪うことだ。

正義は魔性だ。どんな言葉も正当化できる。だから、私はときどき緑谷がそれに憑りつかれているんじゃないかと思うことがある。
強靭な憧れと真っ直ぐで、綺麗で、強すぎる思い。自分の体を壊してまで他者を救おうとするその姿勢が、自分の心を擦り潰しているんじゃないかと思う。

私はそうやって、心ごと潰してしまった人を知っている。その人が最後、どういう道を選んでしまうのかも。

「人に何かしてあげたいって思うのは立派だと思う。でも、それが自分の考えの押し付けにならないよう気を付けなよ……個人の善意や価値観の押し付けは、時に悪意よりもタチが悪い」
「ちが、そんなつもりじゃ――!」
「じゃあ聞くけどさ」

それまで手元の皿を拭いていた手を止めて、ようやく私は緑谷を見た。どうしてそんなことを言うんだと言いたげな表情に、心の底に燻った黒い炎が勢いを増す気がした。
わかっている。これは言葉に出来ない、言ってはいけない苛立ちだ。社会への達観と、過去の自分が経験してきた無力さだ。

「彼が助けてって、緑谷に言ったの?」





苗字さんのその言葉に、僕はとうとう何も言えなくなってしまった。真剣な瞳が僕を貫いてその場所に縫い付けられたみたいになる。

「言われては、ない……けど……」
「だよね。求められてないのに助けるの?じゃあ助けを求める人はどうするの?助けるなら優先順位ってどうやってつけるの?場所?年齢?」

逃げ場を遮るように苗字さんの言葉が重なっていく。苗字さんの言葉は最もだ。たぶん、これまでのどのヒーローも答えを出せなかっただろう問いかけ。きっと、オールマイトですら。

「分かってるよ。トリアージだ。ヒーローだって万能じゃない。救えない命もある。手の届く範囲しか救えない。でも、敵被害者を前にして、君は僕の手の届く範囲じゃなかったんだって、それで納得して貰える?」

意地悪な質問だな、と思った。けど、いつか僕たちがヒーローとして生きていくうえで絶対にぶつかる問いだった。
僕たちはそう遠くない未来に、自分が納得できる形で答えを出さないといけない。苗字さんはそれを全部分かって、僕にそれを突き付けてきているんだとそう思った。

そういえば、最近、似たようなことを言われたような気がする。どこだ、誰だ。なんだろうか、この言い難い恐怖感は。クラスメートにこんなことを思うなんてどうかしているのに、それを否定する言葉が出てこない。

緑谷、と名前を呼ばれて思わずごくりと唾を飲み込んだ。緊張しているんだろうか。

「全部が全部ハッピーエンドで終わるわけじゃない。優先順位を間違えることだってある。ヒーローも人間だからね。けど、そうだと言うなら、私達は救うと同時に溢してしまった者から怨まれても、それを受け止めなきゃいけない」

真っ直ぐに苗字さんの視線が僕を貫いた。なんとなく、そこから先の言葉を聞いてはいけない気がした。

「救えなかったヒーローが、怨みの矛先を個性に、ヒーロー社会に向けるべきではないなんて言えないよ」
『救えなかったのにへらへら笑ってるからだよなあ』

頭の中にあの笑顔と、言葉が響く。木椰区で見た、あの。

そうだ、これ、死柄木のあの言葉と似てるんだ。ようやく掴んだ既視感の正体が、まさかあのオールマイトや僕たちを殺そうとした敵連合と一緒だなんて。そんなところに共通点を見出だすなんて、僕は、なんてことを。

「まあ、これは一個人の――」
「それって、そう思うのって、……苗字さんと、ヒーローと、何か関係があるの……?」

考えたくもなかった。クラスメートと敵連合を一緒に括っているなんて。気の迷いだと思いたかった。

「……ある、って言ったら君はどうする?」

それでも、ガンガンと警鐘が鳴り響く頭の中には病院で聞いた言葉が重く沈殿している。偶然聞いてしまった、ヒーローを恨んでいるかという面構署長の問いかけ。
ひとつの可能性が頭を巡って、気付けば否定する言葉を求めるように問いかけていた。そんなことないよって、いつもみたいにはっきりと苗字さんからの言葉で、否定してほしかった。

「質問を質問で返すのはよくないか。まあ、ないとは言い切れないよ。でも、皆何かしらヒーローに影響されてここまできたんじゃない?緑谷だって、そうでしょ?」
「そう、だけど……!でも、僕は苗字さんとは、ちょっと違うっていうか」

確かにヒーローの影響は受けてきた。それどころか、僕はオールマイトに人生を変えて貰った。たぶん他の人とは少し違う影響の受け方だと思う。そう言いたかったのに、言葉を発した瞬間に苗字さんの雰囲気ががらりと変わった。

「……違う、ねえ。そりゃ違うでしょ?同じ人間なんていないし、そもそも私と同じ人間だっていない」

ピクリ、と苗字さんの眉が跳ねる。不愉快だと言いたげに歪められた眉間と、苗字さんから向けられるピリピリと肌を刺すような視線に思わず息を詰まらせた。

「同じルーツだったとしても考え方には絶対に差が生まれる。蛙の子は必ずしも蛙になるわけじゃないし、親のいない子供は絶対に不幸っていうわけじゃない」
「それはわかってるけど……!」
「分かってる?本当に?じゃあ、なんで助けてって言っていない洸汰くんをどうにかしたいって思ったの?」

ドクン、と一際大きな音が心臓を刻んだ。ものすごい速さで血液が巡っていくのが分かる。足元から崩されたような浮遊感がして、体が凍り付いたように動かなかった。

返って来ない返答に、今まで凪いだように感情を見せなかった瞳に苗字さんが少しだけ諦めたような色を乗せた。同時に、漠然と思った。僕は今、見放されようとしている。

「緑谷さ、洸汰君のこと一瞬でも、両親のいない可哀想な子って、そう思わなかった?」
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